Episodio 6 都大路の聖体行列(Miyako)

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 結局勘九郎殿には挨拶しそびれたが、三七殿はまだ安土にいる。

 徳川殿もいなくなったことだし、三七殿もようやく自邸に戻ったという情報も入った。オルガンティーノ師もひと言あいさつしたいというので、我われは神学校セミナリヨに戻るとすぐに三七殿の屋敷に使いの同宿を走らせた。すると三七殿もぜひ我々に会いたいとの返事だった。

 そこでオルガンティーノ師と私、そして神学校セミナリヨの授業でこの時間は教壇に立つことになっていたフランチェスコ師の代わりに、日本人の盲目の修道士のロレンソ兄ですぐに三七殿の屋敷に向かった。

 徳川殿が安土に着た頃に数日降り続いていた雨はあの摠見寺ソーケンジで踊りを見た先週の土曜日からはやんで、しばらくは晴れ間も続いていた。

 ちょうど去年の今頃も体験したが、いわゆる梅雨の中休みだ。

 我われが三七殿の屋敷に到着すると、三七殿は相好を崩して我われを上座に据えた。

「久しぶりに帰ってきましたよ。帰ってきたらすぐに三河殿が来られて大騒ぎで、今日ようやくこのの自分の屋敷に戻れました。でもまたすぐに、四国へと出陣です」

 三七殿は笑顔ではあるが、その中にこれまでの疲れとこれからに対する緊張感が少しく入っていることは容易に見て取れた。

「御苦労さまです。ご武運ゴブウンをお祈りいたします」

 こういう時に日本ではこう言うのだということを、さすがにオルガンティーノ師はよくわきまえている。「ご武運ゴブウン」とは戦場における幸運という意味だが、そこには手柄を立て無事に生きて帰ってくることを祈るという気持ちがある。

「私は一日も早く洗礼を受けてキリシタンになりたいのだが、いまだそれが許されずにいるという己の罪深さを恥じております」

「罪びとであることは、誰しも同じです。そのような罪びとを招くために、キリストは来られました。罪の許しと永遠の命に与らせていただく恵みは、誰にも等しく与えられているのです。それを受け入れるかどうかの問題です」

「そうですね」

 少し、三七殿はため息をついた。

「私はこれから父の命で阿波アワいくさのために参ります。勝ち戦となった暁には、父は私に四国シコク全部を領有させると言ってくれました」

 四国シコクとは四つの国という意味で、阿波、讃岐、伊予、土佐の四つの国からなる巨大な島である。

「すでに兄の城介ジョーノスケ勘九郎カンクローは父の旧領である美濃、尾張に加え、このたび武田領だった甲斐と信濃を父より与えられました。もう一人の兄は伊賀と伊勢を領有しています。ようやく私も国持くにもちとなります。そうなったときには、バテレン様方もぜひ我が領有する四国へとおいでください。そして今度こそ、私に洗礼をお授け願いたい」

「そうなることを楽しみにしています」

 にこやかに笑って、オルガンティーノ師は言った。

「四国にも多数の南蛮寺を立て、多くの領民をもキリシタンにし、また我が石高こくだかより多額の寄進を南蛮寺に致しまする。もうバテレン様方も、ほかに収入みいりの当てを探さずとも済みますから、ぜひそうさせてください」

 笑顔さわやかに語るこの青年が、オルガンティーノ師もそうだったであろうが私にとってもとても頼もしげに見えた。

 この殿トノは今は神戸カンベと名乗ってはいるが、織田家の血筋であり信長殿の三男であることは揺るぎない事実である。

 今やこの国全土を支配しようとしている織田家から一人でも信徒クリスティアーノが出ることはこの上ない喜びであった。

「ときに、そうなったときにはお願いがあるのですが」

 三七殿の口調が少し変わった。

「皆さん方にも一度は四国においでいただきたいとは思いますが、やはり南蛮寺となりますとどなたかバテレン様にずっと四国に住んで布教をしていただきたいのですが」

「それはもちろんです」

「他に、こちらにおられる了斎殿リョーサイドノを共にお遣わし頂きたいのです。了斎殿とはもう古くからの付き合いで、私がまだ幼少の頃から親しくして、気心も知れておりますので」

 了斎殿リョーサイドノとはすなわちロレンソ兄である。その言葉を聞いたロレンソ兄本人は、

「ま、この老いぼれ、いつまでこの世におるか分かりませんけどな」

 と、高らかに笑っていた。

 この三七殿の軍勢が堺から船に乗って一斉に四国に渡ると、明智殿が危惧していた通りに、長宗我部殿は滅亡する可能性が極めて高い。その明智殿は自分の城である坂本城へ引きこもっているようで、安土に戻ってくる気配はなさそうだった。

 

 三七殿の屋敷から戻ると、我われも都へ行く支度をしなければならない。支度といっても、自分たちの支度よりも神学校セミナリヨの学生たちに支度をさせる方が大変だった。

 そして翌日、先週の土曜日以来の晴れがこの日も続いていた。晴れているとそろそろ汗ばむ季節である。神学生たち三十人以上の大行列とともに、我われは都へと向かった。

 留守はアルメイダ兄、ニコラオ兄、ヴィセンテ兄、ペレイラ兄の四人の修道士だ。

 早朝に出発したが、都に着いた頃はもう夕暮れ近かった。司祭たちは馬だから速度を速めることもできるが、神学校セミナリヨの学生たちは皆徒歩である。それに合わせていたら、速度を速めることもできなかった。

 琵琶湖ラーゴ・ビワのいちばん南の瀬田川にかかる橋を渡り、大津オーツの港から都との間にある逢坂オーサカ山を越える頃はかなり暗くなり始めていた。

 それでもこの前の日が夏至だったので、一年でいちばん昼が長い時期だ。しかし日本では、どんなに昼が長い時期でも午後七時ごろには暗くなる。ローマで夏は夜の八時過ぎまで明るいのとは全然違う。

 都の手前の小さな盆地も過ぎ、もうひとつの峠道も越え、道が下り坂になって左に曲がり、都が一望できる時にはその中にいくつか明かりが点じられていた。

 巨大な都は、山に囲まれたかなり広い空間の底に沈んでいた。その都に向かって、我われは坂道を下っていった。すぐに市街地が始まる。それでもまだ道の左右は空き地が多かった。

 やがて大きな川に出くわし、その川を渡るといよいよ本格的な都で、道の左右も民家や商家で埋め尽くされ、その中を道はまっすぐに延びていた。

 その都のほぼ中央に位置する我らの教会にたどり着いたときは、日はとっぷりと暮れていた。


 出迎えてくれたのはカリオン師だ。久しぶりの再会を、我われは喜んだ。

 すぐに夕食となった。都にいる顔ぶれは司祭はカリオン師のみで、修道士はスパーニャ人のバルトロメオ・ロトンド兄、そして日本人のコスメ兄の二人だった。

 夕食の席で、オルガンティーノ師はポルトガル語で挨拶をした。

 安土には修道士ではポルトガル人が二人、日本人が二人で、あとの司祭全員と一人の修道士がイタリア人であり、司祭館はイタリア語で会話するのが普通になっていた。

 だから、今日一日中イタリア語で会話してきたので、なぜかポルトガル語を聞くのも久しぶりだと感じてしまう。

「ところで、ここ最近の都の様子はどうですか」

 と、食事が始まってからオルガンティーノ師はあらためてカリオン師たちに聞いた。

「いやあ、おととい、徳川殿が来られた時は大変な騒ぎでしたよ」

「都でも大騒ぎだったのですか?」

「ちょうど都に入る粟田口アワタグチという所が、見物人でごった返していたそうですよ」

「安土に来た時も若干の見物人はいましたけれど、徳川殿の供まわりの少なさに、みんな拍子抜けして帰っていきましたけれどね」

 と、私が口を挟んだ。カリオン師は笑っていた。

「ちょうど信長殿の長男の城介勘九郎殿といっしょでしたから、かなりの人数の行進でしたね。それで、都の人々も大騒ぎでしたけれど、この教会でもちょっとした騒ぎというか、気をもんだことがあったのです」

「ん?」

 オルガンティーノ師が少し身を乗り出していた。

「だいたいあのような殿が軍勢をひきつれて都に入るのですから、軍勢をどこに泊めるかという問題があるでしょう。それで、今まではだいたいが都の中のテラに分散して宿泊という形でしたけれど、もしかしてその宿泊の寺の一つとしてこの教会も入っているのではないかと危惧して、修道士たちが騒ぎだしたのですよ。コスメ兄イルマン・コスメが言いだしたのですが」

 当の本人もそこに同席しているが、まだ二十代の日本人でポルトガル語が分からないようなのでカリオン師も遠慮していなかった。

「たしかに教会は日本語では南蛮寺ナンバンデラと言いますからね、彼らはテラだと思っている」

 と、オルガンティーノ師は笑った。

「ま、幸い、『天主デウス』のお計らいでそうならずには済みましたけれどね、もしこの教会に異教徒の軍勢が大勢泊まるとなるとどういうことになるのか、あの時はひやひやしましたよ」

 今だから笑えるという感じでカリオン師は言った。そのことよりも、私には気になったことがあった。

「ところで、勘九郎殿は今は?」

妙覚寺ミューカクジというテラに泊まっています」

 会いたいと私は思った。だが、明日の聖体の祝日コルプス・クリスティのあと、オルガンティーノ師はどういう行動を取るつもりなのかまだ聞いてはいない。そこで私はオルガンティーノ師を見た。

オルガンティーノ神父様パードレ・オルガンティーノ、我われはいつごろまで都にいるのですか? あの信長殿のよく分からない言葉通りに、すぐに戻りますか?」

「う~ん」

 オルガンティーノ師が悩んでいる間に、

「信長殿のよく分からない言葉とは?」

 と、カリオン師が聞いてきた。

「それは」

 と、オルガンティーノ師に代わって私が説明することにした。

「実は信長殿も、近々この都に来られる予定だとのことでしたけれど、どうもそれを言いにくそうに言われたのですよ。そして、信長殿が都に着く前にできれば安土に戻るようにと」

「え?」

 聞いていたカリオン師も首をかしげた。

「さらに」

 と、私は話を続けた。

「万が一信長殿が都に来た後に我われがまだ都にいた場合でも、信長殿のところを訪ねる必要はないと」

「何かありますね」

 と、カリオン師は言った。

「なにしろ天下を取ろうという人ですから」

 また、そう言ってオルガンティーノ師は笑っていた。

「もしかしたら」

 私は真顔だ。

「何か天下を取るためのとてつもない大きなことを、この都でされようとしているのではないでしょうかね」

「まあ、都には今徳川殿もいることだし、そのことと関係ありそうですな。都で徳川殿と何かするのでしょうか」

 そのカリオン師の言葉に、私は思い当たることがあった。

 ヤスフェから得た情報では、どうも最近信長殿はいろいろこそこそと何かを画策しているらしいということだった。密室で明智殿と何やら秘密めいた打ち合わせをしたり、徳川殿接待の食事をやたら気にしていた。

 食事に関しては穏やかではない話もあったし、家康殿はその食事の鯛が腐っていると状況的にあり得ないことを言ってレクラーモ(クレーム)をつけてきた。

 その直後に明智殿は徳川殿接待役の任を解かれて、自分の城である坂本城へと帰っていった。鯛が腐っていたことの責めを負ったとか、あるいは毛利との戦争をしている羽柴筑前殿の援軍に行くことを命じられたのだとか、ヤスフェが言った通りそのあたりは情報が錯綜している。

 その明智殿は、徳川殿が安土に来る前に迎えに行き、一晩じっくりと徳川殿と何かを話してきたはずだ。

 やはり今回信長殿が都に来るのは、徳川殿絡みなのだろうか。分からない。

 だが、明智殿も都に来るという話は聞いていない。ただ、私が聞いていないだけなのかもしれないが……。

コニージョ神父様パードレ・コニージョ

 私があまりにも長く黙っているので、カリオン師が心配そうに顔をのぞかせていた。私はあわてて愛想笑いを見せた。

「いや、大丈夫です」

 そう言いながらも私は、今考えたことはここにいる人たちにはあえて言わないようにしようと思っていた。

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