2

 我われが大手門に着くとそこには出迎えの武士サムライがいて、恭しく頭を下げて我われを迎えてくれた。

 久しぶりのあの幅の広い石の階段を上っていくと、百々橋ドドバシ口の方からの道と合流する地点に至る。あの有馬の城の大手門からの石段はこの安土の城の石段を意識して造られていると感じたが、やはりスカーラスケールが全然違う。

 ここからも例の摠見寺ソーケンジというテラの様子がよく見えるが、以前も大きな屋根を持つ本堂のある寺だった。だが、私は眼を見開いた。寺は信長殿の長男の勘九郎殿の屋敷の向こうだが、その本堂はかつてよりもさらに大規模な巨大な本堂となっていた。

「あの寺、ものすごく大きくなりましたね」

 私が感嘆の声を挙げると、歩きながらカリオン師は首をかしげた。

「私がここに来た時はもうこんな感じでしたけれど、前はもっと小さかったのですか?」

「前も大きい屋根でしたけれど、一階建ての本堂でした」

 今ではその屋根の上に城の天守閣のような望楼が据えられているのを私は見た。

「ほう、あの屋根の上の塔のような部分はなかったというのですね?」

「あとから付け足したというよりは、完全に新しく建て直していますね」

 道が黒金門へと続く細くて急な石段となると摠見寺ソーケンジを見降ろす形となるので、余計にその全貌が一望できるようになった。

 わずか半年足らずでかなりの工事が行われたらしく、摠見寺ソーケンジは巨大な寺院へと成長していた。

 やがて黒金門をくぐり、石垣で囲まれたスパーツィオ(スペース)を抜けて山の頂上に出たとき、さらに高くそびえる巨大な天主閣を私は再び仰ぎ見た。摠見寺がどんなに改築されて大きくなったとはいえ、この天主閣には到底及ばなかった。

 すぐに中に案内され、我われは最上階に通された。以前もここで信長殿と会見したあの場所だ。

 しばらくして現れた信長殿は、都で見たあのマントを着していた。我われと会うということでわざわざこの姿で登場したというのは我われへのセルビッツィオ(サービス)でもあり、茶目っ気であるとも感じられた。

 その信長殿は威厳の中にも相変わらずの笑みで、聞いた話だと家来ケライには決して見せることがないという親しみの笑顔でこの日も接してくれた。

「いや、久しいのう、コニージョ殿」

 信長殿にいきなり名前を呼ばれて、私は日本式に床に座ったまま頭を下げた。驚いたことに、信長殿はきちんと私の名を覚えておいてくれていた。やはり頭の切れる男なのだ。

「カリオン殿も、いつもご苦労である」

 顔はにこやかではあるが、この日の信長殿は少しそわそわしている様子がうかがえた。

「実は今、甲斐の武田討伐の真っ最中であってな。予も近々安土を出座して甲斐、信濃へと向かう。すでに我が嫡男信忠の軍が破竹の勢いで、甲斐のほとんどは制圧し終わったという知らせも届いておるがな」

「それはおめでとうございます」

 我われはもう一度、頭を下げた。

「それで何かと準備に忙しいのだ。せっかくおいでいただいたが、あまり時間はとれそうもない」

「いえ、私はこのたびこの安土の神学校セミナリヨに着任し、これからはずっとこの地で暮らすことになりましたから、今日はとりあえずご挨拶をということで参りました」

「それはご苦労」

 信長殿はゆっくりとうなずいた。

「今日はウルガン殿は?」

 オルガンティーノ師のことだ。

「今日は体調がすぐれませんので」

 と、カリオン師が答えた。

「それはよくない。お大事にするように伝えてくれ」

 それから信長殿は少し何かを考えていた。そして軽く唸ってから、我われの方を見た。笑顔ではあったが、その目に厳しい表情があった。

「去年、コニージョ殿が九州に戻るということでいとまを告げられたあと、しばらくフロイス殿が残ってたびたび予に会いに来てくれたが、その時に興味深い話を聞いたのでな」

「興味深い話?」

 私はそれが気になった。たしかに去年、ヴァリニャーノ師とともに私が安土を辞してシモに向かう際、堺まで見送りに来てくれたオルガンティーノ師の代わりにフロイス師がここに残留し、あとからフロイス師は我われを追って堺で合流したのだった。

「そのことをウルガン殿にも聞いたが、ウルガン殿はあまりそれについては話したがらない」

「何のことでしょう?」

「そなたがたの国はその西の海の向こうに大きな大地を見つけて、海を越えてその大地にあった帝国を滅ぼし、占領したというではないか。たしかコンキスタドーレスと呼ばれる人々によって」

 たしかにそのような政治向きの話は、オルガンティーノ師は好まれないであろう。しかし、それよりもフロイス師がどういう意図で信長殿にその話をしたのか、その真意が測り兼ねた。だがその時、隣にいたカリオン師の眉が動いた。

「それまで大地は平らで西の海の彼方は崖っぷちとなっていると考えられていましたけれど、大地が丸い球だと分かってからは西の海にと船は乗り出したのです。するとそこにも広い大地があって、巨大な帝国があることを発見しました。そして今から七十年ほど前から次々に我が国からコンキスタドーレスが西の大地に渡って、インカやアステカという帝国を討ち滅ぼしてイスパニアの領土としてきました。その話ですね」

 何か得意げに話すカリオン師を見て、私はまずいのではないかという気がしてきた。おそらくカリオン師は何の気もなく、自分の故国のスパーニャの話が出たので嬉しくなって話しているだけだろう。

 だが、私の脳裏には、その時はっきりと蘇ってきたのだ。あの長崎の寺院の焼け跡で、我われ宣教師を侵略者呼ばわりした子供たち……。

 高槻でも同じようなことがあった。

 もしここで信長殿がコンキスタドーレスの話を聞いて、信長殿の中に我われに対するひどい誤解が生じたら大変なことになる。そこで私はまだ話し続けていたカリオン師にの言葉に強引に割って入った。

「バテレン・フロイスがどういうつもりでそのような話を上様ウエサマに申し上げたかは分かりませんが、我われキリシタンのバテレンには関係のない話でございます。我われバテレンはいろいろな国の人がいますが、皆故国を捨ててキリシタンの教えを広めるために来ました。バテレン・ヴァリニャーノもバテレン・オルガンティーノも、そして私もそういう世界征服の野望など持たないイタリアという地域のものでございます。ですから、この話は詳しくは申し上げることはできません」

 それを隣で聞いていたカリオン師も口をつぐんだ。彼も、自分が少ししゃべりすぎたと感じたようだ。そしてばつが悪そうに、

「そうです。私はバテレンとしてここに来ていますが、私の国はこの国に来ることはできません」

 と、これまでの勢いはよそにぼそっと言った。

「来られぬとは?」

「それは」

 と、私が変わって口を開いた。

「イスパニアとポルトガルで取りきめがありまして、イスパにははエウローパより西、ポルトガルは東にと商いをするということでございます」

 商いという言い方は事実と反するが、今ここで信長殿にあからさまなことを言うわけにはいかない。

「ご存じのとおり大地は丸いので、イスパニアは西、ポルトガルは東といいましても、大地の反対側ではその境目は再び接点を迎えます。この国の皆さんがルソンと呼んでおりますフィリピーナスは例外として、この日本まではすべてポルトガルの商いの範囲でして」

「つまり、縄張りということか」

 その言葉は使いたくなかったのだが、信長殿の方からそう言われて一瞬ギクッとした。だがすぐに信長殿は高笑いをした。

「なるほど、日の本はポルトガルの縄張りよのう。それでこの国に来る南蛮人はポルトガルという国の人々ばかりということだな」

「はい。イスバニアの商人は来られません」

 カリオン師がさらりと言う。だが、口に出してこそ言わないが、商人ばかりではなく軍勢も含まれている。

 私は焦ってきた。

「しかし、ポルトガルの国王は我われと同じキリシタンのバテレンなのです。よその国を自分の国の領土にしようなどということは考えておられません。ですから上様も、どうかご心配なさらないよう」

「心配? 予が何を心配しているというのだ?」

 信長殿の顔から一瞬笑顔が消えたのでギクッとしたが、またすぐに高笑いをした。

「予は間もなく武田を平定し、天下布武の理想をいよいよ実現しようとしておる。この日の本が再び一つの国となって、泰平を取り戻す時も目前だ」

 そして隣の部屋に向かって、

乱丸ランマル。地球儀を持て」

 と叫んだ。すぐにフスマが開いて入ってきた体格のよい無骨そうな少年が持ってきたのは、かつてヴァリニャーノ師が都で信長殿に贈った地球儀であった。

「ここがそなたたちの国であると言ったな。この日の本よりも小さい」

 信長殿は地球儀を抱え、身を乗り出して我われにエウローパを指さして見せた。

「そして聞くところによると、これがそなたたちの国が征服したインカやアステカであるというではないか」

 信長殿は正確にそれぞれの地域を指さしていた。

「こんな小さな国がどうやってこんな巨大な帝国を滅ぼして手に入れたのか、予はそこが知りたいのだ」

 私はどう答えていいのか返事に窮していた。カリオン師はすっかりおとなしくなってしまっている。

 どうにか私は、顔をあげた。

「我われの使命は、この国にキリストの教えを広め、人々の魂を救うことのみでございます。この世の政治的なことに関しては、何も申し上げることはございません。お許しください」

 信長殿は一瞬失望したような顔をした。しかしそれが、ヴァリニャーノ師からも言われていた我われの立つべき立場である。

「であるか。まあ、いい。そなたたちの本分を考えたら、致し方ないことかもしれぬ。天下を平定したらそのあとどうするか、考えておったのだがな。この日の本の西の海の向こうにも、インカやアステカに匹敵するようなミンという巨大な帝国がある」

 信長殿は苦笑を洩らし、さらに続けた。

「織田家の家督もすでに嫡男に譲ったし、予は隠居の身。嫡男がやがてこの日の本全体を治めるようになったら、予の居場所はなくなるのでな」

 そう言って信長殿は高笑いをしたのでこの話はここまでと、私は話題を変えることにした。

「時に、上様のコンプレアンノ…」

 私はコンプレアンノ(バースデー)の適当な日本語の訳語が見つからず、平たく

「お生まれれになった日はいつでございますか」

 と言い直して、聞いた。

「知らん」

 その答えは意外だった。だが、信長殿の方が怪訝な顔をしていた。

「なぜ、そのようなことを聞く?」

「いえ、上様のお生まれになった日をお祝いせねば失礼に当たるかと思いましたのでお聞きしました」

「この国ではそのような、生まれた日を祝うという習慣はないが。そういえばそなたたちは冬になると、キリシタンの教祖であるヤソ様の生まれた日だといってセミナリヨでは祝っておったな。たしか、ナタルとか称しておったが」

「はい。それだけではなく、我われの国では、それぞれ一人一人生まれた日が来ると、コンプレアンノ《(誕生日)》と称して周りの者に酒や料理をふるまいます。それで皆で盛大に祝います。なにしろそれで一つ年をとるのですから」

 「年をとるのは正月ではないのか」

 たしかに、この国では年齢の数え方がエウローパとは違うことはすでに知っていた。生まれた時点では一歳で、正月に皆が一斉に年をとる。我われのようにコンプレアンノで年を取らない。だから、祝う意味がないのであろう。

 「正確な日付は知らぬが、なんでも五月頃に生まれたというようなことは守り役から昔聞いたような気がする。しかし、いいことを聞いた。まだ三月みつきも先のことだがな」

 またもや信長殿は上機嫌に笑った。

 あとは信長殿も忙しいということでこの日の会見はここで打ち切りだった。やはり、信長殿と会うのは緊張する。

 しかも以前はあくまでヴァリニャーノ師やフロイス師がプリンツィパーレ(メイン)で、私はただ同席しているだけという感じだった。私が中心となって直接信長殿と話をするのは、これが初めてだったのだ。

 だが信長殿は我われに対しても終始笑顔で、そして我われへの気遣いも忘れない。乱丸という少年と共に退出しようとした信長殿は、部屋の外に向かって、

 「弥助!」

 と叫んだ。すぐにあの懐かしい、黒い巨大な体が現れた。

「バテレン様方を大手までお送りせよ」

 そう言って信長殿は退出し、部屋の中は我われとヤスフェだけが残った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る