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 ヤスフェは我われの横に入り口を背にして座ったので、我われも座る向きをヤスフェの方に変えた。

「元気だったかね」

 私は座ったまま、ヤスフェの手を取った。

「はいお蔭さまで」

「去年以上に武士サムライらしくなったな」

 髪もすっかり伸び、きちんと武士サムライの髷を結っている。ただ、人種柄髪は縮れ毛なので、そこだけが本物の武士サムライとは違っていた。

カリオン神父パードレ・カリオン、こちらは去年都で大騒ぎとなった…」

 カリオン師は、私がヤスフェを紹介するのを笑って手で制した。

「毎週神学校セミナリヨで会ってますよ」

「ほう。ちゃんと日曜日には休みがもらえるのかい」

「上様の特別なお計らいです」

 ヤスフェは洗礼を受けて信徒クリスティアーノとなって以来、毎週日曜日の神学校セミナリヨの礼拝堂でのミサには欠かさずあずかっているらしい。

 服装もしっかりとこの国の武士サムライ格好いでたちで胸には大きな十字架が光っていた。

「では、お送りせよとのことですので、話は歩きながらでも」

 物腰も、すっかりこの国になじんでいる。そのヤスフェに先導される形で、我われは天主閣を出た。

 黒金門を出て、大手への石段を下る。本当ならばこの足で信長殿の嫡男の勘九郎信忠殿カンクロー・ノブタダ・ドノにもあいさつに行きたいところだが、先ほどの信長殿の話にもあったように、勘九郎殿カンクロー・ドノ甲斐カイ武田殿タケダ・ドノとの戦争のために総司令官として出征していて不在のはずだ。

 彼が今は織田家のあるじとはいえやはり天主閣に居住しているのは父の信長殿で、彼の屋敷はその足元にある。

 かつて安土のシロができる前は信長殿の城であった美濃ミノ岐阜ギフという城を、彼は譲り受けているにすぎない。かつてセスペデス師が布教に赴いた地だ。

神父様パードレ、やはりあの話はまずいのでは」

 と、歩きながら不意にヤスフェが言った。カリオン師にだ。ヤスフェは隣の部屋で、我われの会話は全部聞いていたようだ。

 彼は今信長殿の小姓コショウという身分で、我われの国でのパッジョに当たる。だから、信長殿が誰か人と会うときはあの乱丸ランマルという少年とともに常に隣の部屋で待機している。だから信長が会っている人との話の内容も彼らの耳には筒抜けなのだ。

「いや、それは私も今はそう思う。あのときは調子に乗っていた」

 カリオン師もヤスフェに指摘されてばつが悪そうだった。

「まあまあ、カリオン神父パードレ・カリオンの気持ちも分からないではないから、そう蒸し返しなさんな」

 私は何とかカリオン師を弁護しようとした。

「信長殿が心配しているように、イスパニアがインカを滅ぼしたようにはこの国に軍事的攻撃を仕掛けてくることはできないのだし、信長殿もそれで我われを誤解することもないだろう」

「まあ、それはあなたのアコンパーニャール( フ ォ ロ ー )があったからで」

「私はポルトガル人ではないのだから、そんなに気にしなくていいですよ」

 さらに私は笑顔をカリオン師に向けた。だが、ヤスフェの表情はいつしか固くなっていた。

「上様は、そんなことを心配なさっているのではない。上様はイスパニアやポルトガルがこの国を攻めてくるなどということはお考えになっていませんよ」

 城中は結構武士サムライたちが行き来している。皆、戦争に行く準備で忙しいのだ。だが我われはポルトガル語で話しているのだから、話の内容が聞かれても彼らには分からないはずである。

 ただ、聞き取れてしまうであろう「上様ウエサマ」のような単語については、ヤスフェはそこだけ小声で言った。

「上様はご自分がコンキスタドールになろうとされている。上様にとってのインカやアステカはシーナのミング帝国」

 私は言葉を失くして思わず足を止めそうになったし、カリオン師も初めて聞くことらしい。

 あくまで他国の政治向きのことだから我われがどうこう思うべきことでもないし、口をはさむことでもない。ただ、心配なのはこの国の民と明の民だ。信長殿の野望は、それはそれでぞっとする話だ。

家来ケライの人たちは知っているのかね?」

「ごく一部の人にしか話していないようです。それでも十分に波紋は広がっています。やっと訪れようとしている平和な世の中なのに、わざわざ外国へ行って戦争をする必要はないし、迷惑を受けるのは自分たちだとひそかに言っているものもいます。もちろん、信長殿に直接そのようなことを言ったものの首は胴体から離れるでしょう。でも、家来たちにとってはそうなったら一大事です」

 なるほどそうかもしれないと思うが、こればかりはその時になってみないと分からない。果たして「その時」が来るかどうかも分からない。

 それにしても、信長殿の考えていることのスカーラ《(スケール)》の大きさには我われは舌を巻くばかりだった。

 

 その日の夜、終課コンピエタのあと、昼間の信長殿の会話から忘れかけていたものを思い出した。

 ドミニコ会のラス・カサス師というスパーニャ人司祭が書いた「|Brevísima relación de la destrucción de las Indias《インディアスの破壊についての簡潔な報告》」というあの本だ。

 日本を離れる直前に、ヴァリニャーノ師がそっと私にくれたものだった。

 私はまだ完全に解いていない荷物の中から、ようやくその本を見つけた。そして恐る恐る表紙を開いた。中はスパーニャ語で書かれていたが、ポルトガル語が分かればスパーニャ語は何とか読むことはできる。

 そしてそこに書かれているのは、戦慄の内容だった。コンキスタトーレに率いられたスパーニャの兵士が、かのインカの地でどれだけのことをしたか……。最初の方こそインカの地とそこに住む人々、この本では「インディオ」と称される人々の様子が記され、それはさしずめ我われの会が総長に送る報告書のごときものであった。しかし、わりと最初の方で内容はすぐに衝撃的になる。

 

「イスパニア人たちは前に述べたような資質を『天主デウス』より与えられたおとなしい羊の群れを見つけると、空腹なオオカミ、虎、ライオンのようにその間へと入っていった。そして今日に至るまで四十年間、今まで耳にしたこともないような残虐な方法で彼らを殺し、苦しめ、拷問にかけたりして破滅へと追いやってきた。私たちがエスパニョーラ島に上陸したときは三百万人ほどいた原住民は、今では二百人程度になってしまった。他にもすべての島で人口はほとんどない状態になっている。彼らはすべて征服者によって殺されたのである。多くの島が過疎と化すか、もしくは無人島となっている」

 

 そのあとで、エスパニョーラに限らずジャマイカ、キューバ、ヌエヴァイスパニアなどの土地の惨状が記されているが、中でも悲惨なのがやはりエスパニョーラ島であった。

 そこで兵士たちは競って原住民をいかに一撃で真っ二つに斬れるかとか一気に首をはねることができるかなどを遊戯のようにして楽しんだという。

 そして乳飲み子を持つ母親からその赤子を取り上げ、母親の目の前でその赤子の足を持って頭を岩に叩きつけた。

 また、幼い子供を川に突き落とし、その母親の背中を刺してともに川に放り込んだりもした。

 さらにはイエズス様と十二人の使徒を崇めるためと称して十三人の首を絞首台に吊るし、下から火をあぶり、生きたまま全身を焼いたりしたことも記載されている。

 まさしくそこに描かれているのは地獄の様相だった。

 地獄で悪魔にさいなまれる亡者たちが原住民であるが、その悪魔というのがなんとすべてキリスト教徒クリスティアーニなのである。

 そのような話が次から次へ、延々とその本には記されていた。

 私は読み進めるうちに、体の震えが止まらなくなった。読まなければよかったとも思った。嘘だろう、嘘に決まっていると自分に言い聞かせたりした。

 これは作り話だ、あり得ない話だと何度も思おうとしたが、それにしてはこの本の内容はあまりにも生々しく、そして衝撃的だった。

 原住民たちは災いを逃れて山に逃げ込んだが、スパーニャ兵士は猟犬を使って隠れている原住民を狩りだし、見つけ次第次々にその場で八つ裂きにしていったという。

 こうして何百万人もの原住民を虐殺したスパーニャ人であったが、何よりも身の毛がよだつのは、彼らの口実である。

 彼らは言った。「キリストの教えを受け容れ、カスティーリャ国王に服従せよ。さもなくば情容赦なく戦いをしかけ、殺し、また捕らえるだろう」と。

 イエズス様が言われた「全世界を巡りて、すべての創られし者に福音を宣べ伝えよ」というみ言葉を、スパーニャ人たちはそのように解釈したのである。

 そして手始めは金銭の強奪だが、それよりも先に原住民の村々で「われらは『天主デウス』とローマ教皇およびこの地の王であるカスティーリャ国王について知らせるために来たのだ。今すぐカスティーリャ国王に忠誠を誓うべし。さもなければ、今すぐにおまえたちを殺したり捕えたりすることになる」と宣言した。

 ある日突然やってきた人々のそのような脅しに原住民がすぐに従うはずもなく、そうなると村に火が放たれた。女子供を含め大勢の原住民が生きたまま焼き殺されたとあった。

 つまりコンキスタドールとは残酷な暴力による侵略にほかならず、それは『天主デウス』の掟だけでなくこの世のあらゆる法律にも背く行為で、それは「トルコ人がキリスト教会を破壊するに等しいひどい行為である」とこの本は述べていた。コンキスタドールとは誰が見てもはっきりした人類最大の敵であり、「その所業は語り尽くすことは不可能である」という。

 ただ残忍な暴力で侵略したというのならまだしも、彼らが侵略の道具として利用したのがキリストの教えであった。

 キリストの教えに従うのならスパーニャ国王に従うことになるという図式を編み出し、拒否すれば残忍な虐殺が待っている、つまりその口実にキリスト教が使われたようなものだ。

 これらはすべて著者であるラス・カサス師がその目で実際に目撃したことばかりなのである。

 さすがに聖職者であるカサス師はキリスト教徒であるスパーニャ兵のあまりにも人間業とは思えない残忍な行動に我慢ができず、この本を著したのだろう。

 私は読み終わっても、しばらく意識は宙をさまよっていた。ヴァリニャーノ師はなぜこの本を私に渡してくれたのだろうか。キリスト教が侵略の口実になっている現状を認識し、日本ではこうならないようにせよという忠告なのか……。

 しかし、実際に我われ宣教師は武力侵略のお先棒を担いでいるという見方もあったし、私もそのような言われ方をしたこともある。

 その時私は痛くもない腹を探られたような気持ちでいたけれど、こうなると他人ごとではない。スパーニャがもし矛先を日本に向けたら日本もこうなるぞという忠告なのか……今はヴァリニャーノ師の真意を確かめるすべはない。

 私はこの国で、こういった地球の裏側での出来事を知った上でどう福音宣教に従事していくか、それを考えていかなければならないとぼんやりと思っていた。

 その時、

神父様パードレ! 大変です! 表に出てみてください!」

 と叫ぶ修道士の声があった。私を呼んでいるらしい。

 ほぼ満月の月明かりに照らされた外の路上に出るとオルガンティーノ師もカリオン師も、すでに神学校セミナリヨの入り口の外の道端に立っていた。修道士も全員出てきており、神学生たちも皆何事かとぞろぞろ出てきていた。

 そうやって表に出たのは我われ神学校セミナリヨの関係者ばかりでなく、町の人々も大騒ぎしながら家から出てきている。町の人々も神学校セミナリヨの人々も皆一斉にお城の方角の上の空を見上げている。そこで私もそちらを見て「あっ!」と声をあげてしまった。

 空の低いあたりが真っ赤だった。しかも、うすぼんやりとではあるが、赤く光っている。一瞬、火事かとも思ったけれど、火事にしてはあまりにも低い空の大部分に赤いコルティーナ(カーテン)は広がっていた。

「おお、これは一体どんなみ意のお示しなのだろうか」

 オルガンティーノ師も真顔で、その赤い空を眺めてつぶやいていた。カリオン師などはただ言葉を失くしていた。今や町中の人々が全員戸外に出て、騒ぎながらこの点の異変を見ていた。

「これは災いの前兆でしょうか、それとも栄光の祝福でしょうか」

 私がオルガンティーノ師の横顔につぶやくと、

「いやあ、分からない」

 と、その横顔は言った。そこに、ほかの修道士に介添えされながらロレンソ兄も出てきた。出てきたところでロレンソ兄には何も見えないであろうが、皆が騒いでいる気配は察したらしい。

「何があったのですか」

 見えない目を空に這わせていたロレンソ兄のそばに、カリオン師は寄った。

「空が赤いのですよ。山の上の低い当たりが一面に」

「ほう」

 ロレンソ兄は少し目を細めた。

赤気せっきですな」

 その聞きなれない単語に、私を含め三人の司祭は一斉にロレンソ兄を見た。

「ここよりもずっと北の国では、夜に空の一部が赤く輝くという現象が見られたと大昔の記録に書いてあるそうです。もちろん、私が目が見えていた頃でも、一度も実際には見たことはありませんが」

 私もリスボンからゴアに向かう船旅の中で、船員からこのような現象の目撃体験の話を聞いた。だがそれははるか北の方、インギリテッラ( イ ギ リ ス )よりも北の海域でということだった。

 その船員の話ではこのような赤一色ではなく、緑や黄色などさまざまな色合いの光のコルティーナ(カーテン)が夜の大空から垂れ下がって輝いて見えたそうで、この世のものとは思えないような美しさだったという。

 今回はそんな大げさなものではないが、人々の目を驚かせるのには十分だった。

「日本では昔からこの赤気が出たら、政治的異変や上に立つ重要な人の死の前兆だと考えてこられたようですな」

 ロレンソ兄が、もう一度そうつぶやいた。もう夜も十時を回っているだろう。赤い光は消えそうもなかった。

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