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 最初はその帆に描かれた島津の紋様の十の字から誰もがそれを十字架だと思い、信徒の船だと思っていた。

 だが着いてみると乗っているのは武装した武士サムライばかりなので、急遽自警団が集められたのである。

 恐ろしいほどの早さだった。何しろ、この土地の本来の領主である大村の殿が来られたとかいうのとはわけが違う。

 かつて長崎は竜造寺の殿の軍勢に焼き払われそうになった過去もあって、まだ人々の記憶に新しいはずだ。だから、そういった時のための自警団であり、今回も帆に十字の紋がある船に武装した武士サムライが乗っているのを見て、竜造寺の軍勢が信徒クリスティアーノの船を装って入りこんだのではないかとものすごい速さで招集されたようだ。

 私が到着する前に、上陸しようとしていた薩摩の武士サムライが自警団に、自分たちが教会の司祭に対する薩摩の殿の使者であることを告げていた。自警団の人々も納得したようで、二列に整列して、逆に彼らの上陸を警護するような形となっていた。

 そこへ私が到着した。先頭のリーダー格の武士サムライの前に立ち、

「薩摩のお方ですね。ようこそ」

 と、言った。武士サムライたちは一斉に足を止め、立ったまま私に向かって身をかがめて頭を下げ、日本式の礼をした。

「我われは島津修理様さあの使者でごわす」

 見ると武士サムライの後ろの方で今ちょうど船から上がろうとしている甲冑を着ていない身分のありそうな武士サムライが、島津殿が遣わした使者であろう。今私が話しているのは警護の武士サムライのようだ。

 やがてゆっくりと、使者の武士サムライが私の前まで来た。そして同じように身をかがめて頭を下げるので、私も同じようにした。

「島津修理大夫義久が使いのものでごわす。いつぞや鹿児島かごっまにおいでになったバテレン様でごわすな」

 私はこの人の顔は覚えていなかったが、向こうは私のことを覚えていてくれたらしい。

「はい。お世話になりました」

「いやあ、これはこれは」

 使者も顔をほころばせていた。

「あんときわが殿は、いずれ正式な使者を送りもすと申しておいやったどん、強行してわいが参ったとでごわす」

「いや、それが、ローマから来ています巡察師ヴィジタドールのバテレンが、今日、ローマに帰るために船を出すのです」

「今日?」

「今日、しかも今です。いままちょうど船に乗ろうとしていたところだったのです。もう、そろそろ船に乗らないといけないのですが、皆さんをお待ちしておりますので、まずは少しでも話をしてください。すぐそこの商人の屋敷におります」

「お、今でごわすか」

 それを聞いて使者は急いで商家に行きたそうだったので、私もすぐに彼らを案内した。彼らは船で来たはずなのに、立派な馬が一等、行列の中で少年にひかれて混ざっていた。誰も乗ってはいない。

 ヴァリニャーノ師がいる商人の屋敷は、見えるほどすぐ近くだ。私が彼らを連れて歩いている時、その商家の店の方から一人の少年が駆け出すのを見た。同じ商家で乗船を待機していたはずの、ローマへの使節団の伊東マンショだった。

 私は不審に思ったが、まずは使者をヴァリニャーノ師のもとへ案内するのが先なので中へとお通しした。警護の武士サムライは店の前の道に整列して待機していた。

 私は彼らをヴァリニャーノ師のいる部屋へ案内すると、気になっていたのですぐに外へと戻った。左右を見てから、先ほどマンショが走っていった方角に行くと、最初の角を曲がった路地の奥で壁に背をもたらせて肩で息をしているマンショを見た。

「どうしました?」

 私がポルトガル語でそう言いながら近づくと、涙目で彼は私を見た。

「ごめんなさい。でも、薩摩の人が来ると聞いたので、どうしても耐えられなくて」

「なぜです?」

「薩摩は父のかたきっちゃが」

 と、急にそこだけ日本語で彼は言った。

「父のカタキ?」

 マンショはまたポルトガル語に戻した。

「はい、私の父は薩摩との戦争で死にました。薩摩に殺されました」

「恨んでますか?」

「いえ、恨んではいけないということは、バテレン様方からすでに教わっています。イエズス様も七の七十倍まで人を許せとおっしゃったんですよね」

「その通りです」

「でも、やはり、感情的にはいたたまれなくなるのですよ。父を殺した薩摩の人たちが同じ屋根の下にいるということが」

 私はゆっくりと息をしてから、やさしく言った。

「イエズス様は『汝の敵を愛し、汝の敵のために祈れ』と仰せになりました。そしてイエズス様は言葉で言われただけでなく、自らそれを実践なさいました。十字架の上で苦しみに打ちひしがれている時も、自分を十字架につけた人たちのことを『天主様デウス』に『この者たちをお許しください。この者たちは自分が何をしているのか分からないのです』と祈られました。あなたの気持ちは分かります。でもあなたはたった今、広い広い世界へと旅立とうとしている。これから大きな大きな世界をその目で見るのですから」

「ああ、こぎゃんとこさおったとね」

 と、その路地に入ってきたのは千々石のミゲルだった。

「わいがおらんことなったって、皆大騒ぎしよっとたい」

「すまん」

「今のバテレン様の話、実は角を曲がる前に聞かせてもらったばってん、全くそん通りたい。おいの父上も竜造寺とのいくさで亡くなったばってん、その父上も一度は大村の伯父上に実の弟でありながらいくさばしかけたこともあったと。だけど後で伯父上は父のことをなんも言わんと許してくださったっち聞いとう。バテレン様のおっしゃったとおり、わいどんはこれから広か広か世界に旅立つんだけん、こぎゃんこまかか国ん中でのこつなんか忘れた方がよかとよ」

「んだあな」

 マンショもやっと笑った。

 商家に戻ると、薩摩の使節たちはすでにあいさつを終え、コエリョ師が案内して教会までお連れすることになっていた。そこで準管区長のコエリョ師と正式の会談になるという。私とアルメイダ師もともに行かねばならない。するとここで、ヴァリニャーノ師とはお別れとなるのだ。

「この馬と立派なカタナを使者の方たちは贈り物としてくださった。刀はこのまま船に乗せてローマまで持っていくけれど、馬はあなた方が教会まで連れて行って、教会で使ってください。ローマまで生きて連れて行くのは大変だし、もし無事に着いても日本の馬は向こうの人にはポーネイポニーにしか見えないからね」

 そういってヴァリニャーノ師は笑っていた。

「では、神父様パードレ、お元気で」

「ああ、また日本に来るまでしっかり頑張ってくれたまえ」

 最後のやり取りはやはりイタリア語だった。

「マテオによろしくお伝えください」

「ああ、会えたらね」

 そして握手、これだけのあっけない別れだった。それでも、もはやすべて語り合いつくいたという感じだった。

 次にアルメイダ師だ。

「ご恩は一生忘れません」

 と、アルメイダ師は言っていた。

「あなた様が来られなければ、私は今でも司祭にはなっていなかったでしょう」

「長かったですね。でもまだまだ老いぼれないで、元気で活躍してくださいね。薩摩のことも頼みますよ」

「私がイエズス会に多額の献金をしたことがカブラル神父パードレ・カブラルのお気に召さなかったようですけれど、それよりも何よりも私がユダヤ人だということが長く妨げとなって司祭になれずにいたのに」

「その話はあまり大きな声でしないでください」

 声を落としてヴァリニャーノ師はいさめていたが、しっかりと私の耳に入ってしまった。そして驚いた。

 もともと商人だったアルメイダ師が、日本でイエズス会に入会した時にほぼ全財産をイエズス会に献金したのにそれで清貧のモットーが崩れたとアルメイダ師はカブラル師から目の敵にされていたということは聞いたことがある。ところがそのもう一つの理由が、アルメイダ師がユダヤ人であることにあったとは初耳である。

 アルメイダ師がユダヤ人であることすら初めて知ったのだ。なるほど、日本人に対して「この日本人が」などと見下した心を抱いているカブラル師だ。アルメイダ師がユダヤ人であることを見下していたのは間違いないだろう。

 そのアルメイダ師は、ヴァリニャーノ師との握手の途中から涙をこぼしていた。コエリョ師はとっくにヴァリニャーノ師とのあいさつを終えて、薩摩の使節の一行を案内して教会の方へ向かって歩いて行っている。我われもそれを追わねばならない。

 そこで私はもう一度ヴァリニャーノ師に、日本式に立ったまま深く頭を下げてから歩きだした。

 

 薩摩の使者との会談はすぐに始まった。内容は前に私が島津の殿から直接聞いた通り、鹿児島の港もポルトガル船の寄港地にしてもらいたく、もし承諾すれば薩摩領内でのキリシタン布教も大いに奨励してくれるということだった。

 私は通訳しながらも、コエリョ師がどう出るか興味があった。

「分かりました。しかし、ポルトガル船の寄港地に関しては我われの権限ではないのです。あくまで我われイエズス会はポルトガルという国から派遣されたのではなく、ローマの教皇様の派遣によるもの。ですからポルトガル船の寄港地に関してはカピタン・モールと話してもらわないといけない。でも今やカピタン・モールは先ほど港にいたポルトガル船の出発準備に忙しい。しかも、あの船を操って航海しなければならないのです。つまり、皆さんのご要求は、私どもではお聞き致しかねます」

「そんカピタンとは、っみれあ船長ですかね」

「そうなりますね」

 この会談の間も、コエリョ師はにこりともしなかった。だが、ヴァリニャーノ師がすでに船に乗った以上、今やこの国におけるイエズス会=キリスト教会の最高責任者はこのコエリョ師なのである。

 そして私といえば、通訳しながらも気持ちは港の方へ飛んでいた。ヴァリニャーノ師の船はもう出港したのだろうか、まだ停泊しているのか、そんなことばかりが気になっていた。

「まあ、あと何ヶ月かすれば新しいカピタン・モールがマカオから来ますから、とりあえずそれまで待っていただければ、話は私からカピタン・モールに通しておきます」

 使者はそのコエリョ師の提案をとりあえず飲むという形で、交渉は終わった。

「話がきまりましたら、こちらからお伺いします。私は長崎から動けないので、こちらの「アルメイダ神父パードレ・アルメイダに行っていただきます。もう何回も薩摩には行ったことがある方です」

「ええ、ゆうと存じておいもす。ぜひ、お待ちしておいもす」

 こうして、交渉は終わった。彼らは港の船宿を一軒借りきって泊まるのだという。

 彼らが帰るのを教会の門まで見送ったあと、コエリョ師は私に、

「安土の方に行かれることになったと聞いていますが、いつ発つのですか」

 と、その場で聞いてきた。

 実は私は長崎を離れる日をはっきりと決めてはいなかったのだが、こう言われて決めた。

「一週間後くらいには発ちたいと思います。メスキータ兄イルマン・メスキータとともにきた修道士が安土に戻るときに、ともにと考えています」

「そうですか」

 コエリョ師が言ったのは、ただそれだけだった。私はとにかく港へと駆けつけたかったので、コエリョ師の態度など気にしてはいられなかった。

 ところが、坂の下の街の方からどんどん司祭たちが戻ってくる。つまりヴァリニャーノ師を乗せた船はすでに出港したのかと私は教会の敷地内に戻り、岬の先端部分に行った。

 すると目の前を巨大なナウ船がゆっくりと左の方へ向かって、帆いっぱいに風を受けて、かなりの速さで進んでいくところだった。私はそんなナウ船を、じっと見つめていた。そして船は左の方の、湾の入り口に向かって進んでいき、やがて見えなくなった。

 私の眼に、この時になってやっと涙があふれてきた。

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