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 それからの月日は、あっという間だった。

 二月になり、日一日とヴァリニャーノ師の出発の日は迫っている。

 今回ヴァリニャーノ師は、マカオで叙階を受ける三人の修道士も伴って行くことになっている。有馬にいたクリストヴァン・モレイラ兄をはじめ、アルヴァロ・ディアス兄、ジョアン・デ・クラスト兄の三人である。モレイラ兄以外の二人は、私は初対面だった。

 この三人に加えて、ローマまで少年使節団に随行するメスキータ兄を含めた四人がマカオで叙階することになっているという。

 日本には司教がいないので、ちょうどアルメイダ師らが日本からマカオに渡って私と一緒にマカオで叙階を受け、それからまた日本に戻ってきたのと同じで、メスキータ兄以外の三人は叙階が終わったら次の定期便で日本に帰ってくるそうだ。

 三人とも若い。その若さを見て、今までは自分たちの世代が最若手だったのに、これからはもう自分よりも若い新司祭が誕生していくことを実感した。ぼんやりしているうちにどんどん後進が続いてきて、自分も先輩と呼ばれる立場になっていく。

 港もあわただしくなった。たんにヴァリニャーノ師が日本を離れるというだけでなく、それは定期船のマカオへの出発でもあるのだから、商館のポルトガル商人たちも長崎の町の商人たちもいろいろな手続きや積み荷の開始やらであたふたとしていた。

 二月四日の第一日曜日の主日のミサは、長崎での最後の司式としてヴァリニャーノ師が執り行った。いつにも増して多くの信徒クリスティアーニがそのミサには詰めかけた。

 そしてその週の水曜日の夜、ヴァリニャーノ師の日本における「最後の晩餐」となった。この時は平戸や天草、口之津や有馬から、あの協議会の時と同じように多くの司祭が駆け付けた。天草からの一団の中には、高齢者といってもいいアルメイダ師の姿もあった。一時期よりもかなり老けて見えた。

 歓談のうちに食事は進んだが、その途中でヴァリニャーノ師は皆に挨拶があるということで人々を静めた。

「明日、私とロレンソ・メシア神父パードレ・ロレンソ・メシアオリヴィエーロ・トスカネロ兄イルマン・オリヴィエーロ・トスカネロディオゴ・メスキータ兄イルマン・ディオゴ・メスキータ、および日本人の少年使節とその随行員は日本を離れローマを目指し、まずはマカオに向かいます。私が日本に来てから二年半、まだまだ日本のすべてを見たわけではありません。しかし、我われの文化を日本人に押し付けるのではなく、我われが日本の文化、風俗習慣に合わせて、互いの尊敬と信頼の築いた上で福音を述べ伝える、この私の方法は決して間違っていたとは思いませんし、今後も続けていただきたい」

 ヴァリニャーノ師は釘をさすかのようにちらっとコエリョ師を見たが、コエリョ師は反応しなかった。ヴァリニャーノ師は続けた。

「我われエウローパの人間にとって、自分たちとは異なる文化を持つことなる人種の人たちに尊敬の念を払うなどということは、至難の業かもしれません。しかし、あえてそれが必要なのです。日本をエウローパのようにしてしまうわけではなく、かといって古い日本のままでもなく、二つの文化をいい意味で合体させる。これが私のやってきたやり方です。決して妥協ではありませんし、キリストの教えに関しては妥協はできませんが、文化は押し付けてはいけないのです。もっとも我われの文化を紹介し、興味を持った人には取り入れてもらうのは構いません。そこが福音宣教の切り口になった事例も多い」

 ヴァリニャーノ師はそこで息を切った。そしてまた続けた。

「二つの文化の融合、そのためには我われが一方的にやってきて日本を見るだけではできない。日本の人にもエウローパを見ていただきたい。だからどうしても今回私と同行する日本人の使節団が必要なのです。いわば彼らは二つの文化の懸け橋、東西の霊界の融合の象徴となってくれることを私は祈ってやみません」

 人々の間で喝采が上がった。それがやむのを待って、ヴァリニャーノ師は話を再開させた。

「私は彼らをローマに送り届け、また日本のことをイエズス会の総長および教皇様に報告申し上げたら、またこの使節団を伴って日本に戻ってきます。その時はもう巡察師ヴィジタドールではなく一司祭としてかもしれません。どんな形にせよ、私はこの愛してやまない日本に必ず戻ってきます」

 最後の方は涙声になっていた。また人々の喝采が上がった。

 そしてサンチェス師が杯を高く掲げた。日本の陶器の杯で、中は日本の白いサケだった。

巡察師ヴィジタドールとそのほかの司祭パードレ修道士イルマンの皆さん、そして日本の使節団の航海の無事を祈って、乾杯サウジ!」

乾杯サウジ!」

乾杯サウジ!」

 と、みな口々に叫んで杯を高く上げた。

 こうして、私がヴァリニャーノ師とともに過ごした日も終わりを告げようとしていた。

 

 ついにその日が来た。その日…二月八日の木曜日は朝からよく晴れ、寒さも和らいでいた。

 朝の平日のミサを終えると、いよいよ出港準備である。だいたいの準備は前日までに終わり、司祭館のヴァリニャーノ師の自室にあった私物はほとんど船中に運び込まれている。それは出港準備というよりもほとんど引っ越しに近かった。

 あの信長殿よりもらった安土城の屏風絵も、丁重に船に運び込まれた。

 見送りに集まった下布教区の司祭たちも皆、教会を出て港へと集まっていた。また長崎市民の多くの信徒たちクリスティアーニも、続々と港に集まり始めた。それはあくまで信徒クリスティアーニの代表ということだったが、それでもかなりの数だった。

 やがて、商人たちに囲まれて、仰々しく行進をするかのようにカピタン・モールのイグナシオ・デ・リーマがまず船に乗り込んだ。それを待っている間、ヴァリニャーノ師をはじめ今回出港する人々は近くの商家の店の部分を借りてそこで休息していた。


 そこへ、港の様子を見に行っていたサンチェス師が戻ってきた。

「なんだかお見送りの方たちでしょうかね。海の方から港へと入ってきた船が三隻ありますが、帆には大きく十字架が描かれています」

 サンチェス師がそう言うので、私も商家から出て港へと見に行った。港では目の前にこれからヴァリニャーノ師一行や使節団をマカオまで運ぶ巨大なナウ船が停泊しているから湾の方の視界は良くないが、その脇から見るとすでにかなり大きい日本式の船がたしかにゆっくりと港に入ろうとしている時だった。そしてその帆には、たしかに大きな十字架が描かれていた。

 だが私には、いや、私だからこそ、それは十字架ではないということは見てすぐに分かった。私はあわてて商家に戻ると、座敷で待機していたヴァリニャーノ師の前に座った。

神父様パードレ、あれは信徒クリスタンの船ではないですよ。帆に描かれている十字架は、たぶんみんなは十字架にしか見えないでしょうけれど、あれは十字架ではありません。薩摩の島津の船です」

 そう、まぎれもなく帆に描かれている十字架のように見える文様は、薩摩の島津家の家紋だった。私は鹿児島でそれを見ているから知っている。そこへちょっと遅れて、アルメイダ師も部屋に入ってきた。

「島津の船が来ましたね」

 島津の紋様が分かる人が、ここにももう一人いたのだ。トスカネロ兄も分かるはずだが、彼は出発する身なのでヴァリニャーノ師のそばにずっといる。

 かつて私とトスカネロ兄で島津の殿に会いに行ったとき、島津殿はいずれ長崎に使者を遣わすと言っていた。それが今日になったのだ。

 よりによってなぜ今日なのかと思う。もう少し早く来てくれたらヴァリニャーノ師もゆっくりとその使者と対面することもできた。

 だが、考え方によっては、かろうじて間に合ったともいえる。明日だったらもうヴァリニャーノ師はいない。

「私はもう行かなければいけない」

 と、残念そうにヴァリニャーノ師は言った。カピタン・モールが乗船した以上、すぐに巡察師ヴィジタドールとしてヴァリニャーノ師たち、および使節団も乗船しなければならない。

「準管区長を呼んできてください」

 と、ヴァリニャーノ師は私に言うので、私はすぐに同じ建物の別の部屋にいたコエリョ師を呼びに行った。

 私がコエリョ師を伴ってヴァリニャーノ師のいる部屋に戻るまで、そう時間はかからなかった。アルメイダ師もそのままその部屋にいたし、ほかにメシア師、メスキータ兄、トスカネロ兄、ディアス兄、モレイラ兄、クラスト兄などもいたので、畳六枚分の部屋はかなり手狭だった。

「なんというモメント(タイミング)で来るんでしょうかね」

 と、コエリョ師がにこりともしないで言った。

「とりあえず事情を話して、私は今にも乗船しないといけないから、まずはここで挨拶だけ受けて、あとは教会に案内して準管区長、あなたが対処してください」

 ヴァリニャーノ師の言葉に、コエリョ師は黙ってうなずいた。それからヴァリニャーノ師は、我われを見た。

「薩摩の使節との会見にはアルメイダ神父パードレ・アルメイダ、あなたが通訳をお願いします。彼の地の言葉は訛りが激しくて、何度も彼の地に行って耳慣れているあなたが最適です。それと、コニージョ神父パードレ・コニージョ、あなたが薩摩で交渉してくれたその使者ですからあなたも当事者です。あなたも立ち会ってください」

「え?」

 それではヴァリニャーノ師が乗船するときに間に合わないし、会見が長引けば出航にも間に合わないかもしれない。

「もう、十分別れは惜しんだでしょう。あなたに話したいこともすべて話しました」

 港の方では薩摩の船がもう接岸して、人々が降りはじめたようだ。かなりの騒ぎになっているらしいことは、その聞こえてくる喧騒で分かる。早く行って収めないといけない。今は感傷に浸っている時ではないようだ。

「とりあえず港に行って、使節団を連れてきてください」

 私はそう言われて、とりあえず外に出た。この商家のすぐ前はもう岸壁で、ナウ船が接岸している。その右手、岬の付け根に近い方が人だかりとなって喧騒はそちらの方からだった。

 港にはすでに帆は降ろしているが、薩摩の船三隻はもう接岸されていた。上陸する場所にはかつてヴァリニャーノ師の命によって頭人中によって組織された長崎の住民による自警団がすでに集められ、彼らは甲冑を着て整然と並び、警護していた。

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