Episodio 6 日本人によるキリスト降誕劇(Ohmura)
1
協議会が終わり、終結した司祭たちはまたそれぞれの配属の教会に帰って行った。
フロイス師も、しばらくは有馬でこれまでの記録を整理したいということで有馬に戻って行った。
それからナターレ《(クリスマス)》まで十日ほど、ヴァリニャーノ師はまた自室にこもりきりになってしまった。
自分の日本での滞在を振り返り、特に三つの協議会の内容を記録し残すための執筆に終始していたのである。そしてその十日間で、まずは「日本滞在中の宣教師の内規」、そして「準管区長内規」、「布教区長内規」も同時に著していた。書きかけをちょっと見せてもらったが、まだ半分というところでかなりの量だった。
そうしているうちに季節はどんどん真冬へと向かい、それでも心温まるナターレ《(クリスマス)》まで日一日と近づいていった。
「近々大村に向かいたいので、
と、ヴァリうニャーノ師はコエリョ師に言っていた。コエリョ師はまたもやにこりともせず、
「わかりました」
とだけ言ってうなずいていた。
数日後、ルセナ師からの手紙が届いた。午前九時の
初めて行く私はいろいろとヴァリニャーノ師に尋ねていたが、時津の港までは歩いても二時間半くらいなのだという。
「長崎から船に乗っては行かれないのですか?」
「行かれないことはないがね、かなりの遠回りになるから、かえって時間がかかるよ。二、三日はかかる」
そう言って、ヴァリニャーノ師は笑った。
「この時津から船というのがいちばん近いんだ。前に行った時は知らないからすべてを陸路で行ってしまい、早朝に出て夕方に着くという感じでまる一日かかった。ましてや今は冬だから、それと同じ時間だと着く頃には暗くなってしまう」
「ではもしドン・バルトロメウが迎えの船を出してくれなければ、それくらい時間をかけて歩かねばならなかったのですか?」
「時津から、あの琵琶湖と同じように金を払えばだれでも乗せてくれる便船は出ているけれど、その船は
そのような話をしながらも、私は初めての土地である大村へ行くという実感が湧いてきた。ヴァリニャーノ師は、私がまだ日本に来る前にマカオにいた頃に、大村へは何度も足を運んでいるようだ。
こうして準備もあわただしく、ナターレ《(クリスマス)》の三日前の金曜日にはコエリョ師とミゲル・ヴァス師のみを残して、ほかの司祭は皆大村に向けて出発した。
ヴァリニャーノ師は全員で大村に行くとドン・バルトロメウには言っていたが、いくらなんでも本当に一人残らず行ってしまったら長崎の信徒たちはどうやってナターレ《(クリスマス)》を過ごすのかということになってしまう。司祭が全員不在ではナターレ《(クリスマス)》のミサも挙げられない。
ヴァリニャーノ師とメシア師、サンチェス師と私、それにトスカネロ兄の五人は馬で、まずは
皆が道は知っている。なぜなら、このメンブロ《(メンバー)》の中で大村が初めてなのは私だけであった。
まずは長崎の町の関門を出たらすぐに左に折れ、山の麓を旋回する形で歩く。ポルトガル船が停泊している港から見ると、入江を挟んで対岸に当たる部分だ。そこから北上する形で街道は続いていた。
左手の湾はだんだん細くなってその突き当たりが川の河口だった。その川に沿って道は続く。川といってもそれほど大きな川ではない。かつては湾の対岸も、今はただの川向こうになった。
その向こうには
右手はなだらかな丘がずっと続き、その丘の下を縫う形で川は流れ、道も続いていた。
ほんの少し歩いただけで、ヴァリニャーノ師は眼を細めて右手の丘を馬上から眺めた。
「このあたりはもうドン・バルトロメウの領国ではない。あの有馬の殿、ドン・プロタジオの土地なんだ」
地理的に有馬からだいぶ離れているのに不思議だなあと、私は何気にヴァリニャーノ師の説明を聞いていた。
どうも、ヴァリニャーノ師は馬を進めながらも右手の丘の一角を凝視しているようだ。そこには冬枯れした森で覆われているだけで、建物などは何も見えなかった。なぜヴァリニャーノ師はそのようなどこにでもある普通の丘を見つめているのだろうと、私は不思議に思った。
やがてその浦上と呼ばれた集落も過ぎて、道の両側は水田が広がるようになった。今は冬なので田んぼも耕作はされておらず、ただ水がはられているだけの浅い池のようであった。右も左も道からちょっと離れたところに丘は続いているが、道自体は峠などもなく終始平らな道だった。
そして港は突然現れた。ずっと山に挟まれた水田の中の道が続くと思いきやいきなり視界が開け、大きな湖が姿を現した。確かにまだ昼前、長崎の教会を出てから二時間半ほどしかたっていない。
「おお」と私は思わず声をあげた。雄大な景色だった。湖の周りはすべて山に囲まれ、よく晴れた空の下でそれらは輝いていた。あの琵琶湖よりは小ぶりの湖のようだが、それでも広大さは引けを取らなかった。風は強くて冷たく、思わずスーダンの上のマントの襟を手で押さえてしまうほどで、さらには帽子が飛ばされないようにしないといけなかった。
その時私はふと違和感を覚えた。強い風の中に、潮の香りを感じたのである。
「この湖は、何というのですか?」
私が尋ねると、答える代わりにヴァリニャーノ師は声をあげて笑った。
「やはり湖と思うかね?」
「いや、湖ですよね。どう見てもこれは」
「それが海なんだよ。大きな湾なのだ」
「え?」
私が驚いて、眼をこすってよく見ても、水平線などは全く見えない。ここらいちばん遠いところはたしかにうっすら水平線のようにもみえるが、よく見るとその上に青い山が横たわっている。つまり、水平線など全くないのだ。あの琵琶湖でさえ、北の果ての方は見事な水平線で、それでいて湖だと聞いて驚いたのだ、今はその逆である。
「とりあえず、急ぎましょう」
と、ヴァリニャーノ師は港の方へ馬足を向けた。ここの港町はかなり交易で栄えているようで、商人たちの屋敷が何件も並んでいた。そんな港にたくさん停泊している船の中に、ひときわ大きな船があった。
帆には大きく、あの信長殿の家の織田家の印がついていた。しかしよく見ると、織田家の印とは微妙に違う。
「あれが。ドン・バルトロメウがよこした船でしょう」
ヴァリニャーノ師はそう言って、船の方へと向かった。
船頭は愛想よく笑い、我われが誰も日本語が解せないと思っているのか、身振りでしきりに話しかけてきた。私が日本語で答えると、
「ありゃあ、日本語が分かりなさっとね」
と驚いていた。
私は船に乗ると早速、船べりから手を出して、水をすくって口に含んでみた。かつて琵琶湖で、こんない大きいのだから海だと疑っていたときに、試しに水を口に含んでみて真水だと分かって湖だと納得したのを思い出したからだ。
そして今度はまぎれもなく海水だった。そのしぐさを見て、ヴァリニャーノ師もメシア師も大笑いをしていた。
強い風を帆いっぱいに受けて船は順調に進んだ。昼食は船上での握り飯だった。船はまっすぐ前方にではなく、若干右手の岸に向かって進んでいた。そしてわずか二時間くらいで、大きな島の島影にある港へと入って行った。
琵琶湖よりは小さいと思われる湖の、いや湖ではなく海の湾だというが、でもどう見てもこの景色はたとえ水が海水であっても湖だとしか思えず、その湖のしかも正面の対岸に向かうのではないようなのであっという間の船旅だった。港の上の陸地は平らな土地が若干あり、その向こうに小高い丘が横たわっていた。
そして最初に我われの目を引いたのは港に立つ巨大な十字架であった。あのような大きな十字架が戸外がに立てられている町など、日本全国他を探してもどこにもないだろう。船が港に近付くにつれ、十字架はますます大きく見えてきた。
「あれはね」
自室にこもったいたはずのヴァリニャーノ師が、私があの十字架を見るのが初めてで、驚いているのを見て笑って言った、
「もう二十年ほど前に
風雨にも負けずずっと二十年間も立ち続けてきた十字架に我われは敬意を表して、まずは教会に行くことにした。
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