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港に着くと、城下の町の人々全員が押し寄せたのではないかと思えるくらいの住民による大歓迎だった。
その中を、我われは再び馬に乗った。ドン・バルトロメウのいる大村の城・
確かに三十分くらい歩くと、平らな土地の真ん中に木々が盛り上がったところがあり、そこが城だという。城といってもちょっと小高い土地の上の森がこんもりと見えるだけで、石垣ももちろん天守閣も見えなかった。どうも安土や姫路のように大きな天守閣のある城は、この九州の地には存在しないらしい。
その城の城門の手前、城まで歩いて一分もかからないであろうと思われる至近距離の田んぼの中に教会があった。
屋根の上の十字架からかろうじて教会と分かるような建物で、新しく建てたというよりもも元々あった仏教の
入り口にはルセナ師と、もう一人の修道士が出迎えに出ていた。この年の冬至は早く、もうすでに十日が過ぎていたが、いずれにせよ一年で一番日が暮れるのが早い頃である。それでも、やはり海路で来たお蔭で暗くなる前には着けた。
ただ、日本はエウローパと違い、日没の時間の夏と冬の差がそれほど大きくないのは不思議だった。どんなに夏でも七時半ごろまでには暗くなるし、冬でも五時くらいまでは明るい。
我われはとりあえず、教会の聖堂で到着の祈りを捧げた。もともとは寺の僧侶の住居であった建物が
これはヴァリニャーノ師の指示で、仏教の寺を改築して教会にする場合、寺の本堂を御聖堂にするのは禁止していたからだ。悪魔崇拝が行われていた場所を神聖な聖堂にするのは非常によろしくないという考えだ。
その日はルセナ師やそのほかの修道士たちと会食をしただけで、旅の疲れをいやすべくそれぞれ早めに寝た。翌日は早速城に上がり、ドン・バルトロメウに挨拶に行くことになっている。
その翌日もきれいに晴れていたが、風は冷たく寒かった。我われは朝のミサの後、すぐに城へと向かった。近いので徒歩である。
我われの来訪はすでに知らせてあるので、門のところには一様に首から十字架をかけた歓迎の
「いやあ、ようおいでなさった。さあ、どうぞ、中へ」
ドン・バルトロメウはニコニコ顔で我われ一行を迎え入れてくれた。城門を入ると少し小高い丘の上への坂道を登ることになり、その上にドン・バルトロメウの屋敷があった。
堀はあったが石垣もなく、ただ土が盛られているだけの丘だ。今は葉を落としている木々でその丘は覆われていた。我われは秋に落ちてそのままになっているのであろう落ち葉を踏みながら、その坂を上った。坂は短かった。
屋敷に入ると、ドン・バルトロメウは我われを上座へと
「ここはあなたの城です。それにあなたは今でも長崎を含むこの国の殿ですから、我われが下に座るべきでしょう」
ヴァリニャーノ師は自ら日本語でそう言って譲らず、押し問答の末結局ドン・バルトロメウに上座に座ってもらった。この広間にいるすべての
やがてドン・バルトロメウの妻と思われる女性と三人の子供たちが、ドン・バルトロメウに呼ばれて登場した。
「これが妻のえん、ドンナ・マリアとお呼びください。それから、子供たちです」
「リノでございます」
「セバスチャンと申します」
「ルイスです」
と、皆それぞれに頭を下げた。いちばん上の子でも、まだ十歳にもなっていないようで、いちばん小さなルイスに至ってはやっとしゃべっていると思われるくらいの幼児だった。ここまでは男の子だったが、いちばん小さいルイスよりは少し年上と思われる女の子は、
「メンシアです」
と名乗った。
「おやおや」
それを見てヴァリニャーノ師は驚きの声をあげていた。
「三人とも無事に竜造寺から戻ったのですか?」
ヴァリニャーノ師がそう驚くのを見て私は最初は何のことだかわからなかったが、サンチェス師がポルトガル語で、
「すでに去年のうちに竜造寺からは返されました」
と説明してくれた。ヴァリニャーノ師は、
「それはよかった」
と、納得していた。だが、私はよく話が見えない。その様子を察してかサンチェス師は私だけに耳打ちずる様な形で小声で、
「この三人はずっと竜造寺殿のところに人質に取られていたのですよ」
と言ってくれた。この国の風習で、ある殿とある殿が戦争をして、それで勝敗が決まってかつての敵が手を結ぶことになると、翻意を持たせないために相手に妻や子などの人質を送ることになっているという。
この城と竜造寺殿との間で大きなっ戦争があったのは、私も聞いて知っている。私がまだ日本に来る前だ。この城をめぐって多くの兵士が攻めてきたが、ドン・バルトロメウはこれをよく守ったということで人々の間で語り継がれている。
「サンチョは?」
ヴァリニャーノ師の言葉を通訳した後、サンチェス師はまや私に小声で、
「ドン・バルトロメウの長男です」
と言ってくれた。その長男がいないのだ。ちょうど有馬の
「まだ、竜造寺に取られています」
「せっかく三人が返ってきたのに、今度は長男ですか」
そこでヴァリニャーノ師は少しきつい顔をした。
「致し方なかとです。これが乱世のならいですばってん」
「ところで」
と、そこに私が口をはさんだ。
「かなり多くの方が港では我われの船を出迎えて下さいましたけれど、どのくらいの割合がキリシタンなのですか?」
「はい」
悲痛な面立ちから、一転してドン・バルトロメウは得意そうな顔になった。
「わが領内の領民約六万人すべてがキリシタンですたい。一人残らずです」
「それは素晴らしい」
と、言ったのは私ではなくサンチェス師だった。彼は日本語でそう言った後すぐに小声のポルトガル語で、
「まさしく
と、言って笑った。
私はそっとヴァリニャーノ師の顔を見た。ヴァリニャーノ師も笑ってはいたが、苦笑を含むその笑みのどこかに苦笑とは別の意味の翳りがあるように見えた。あの高槻で高槻の殿の高山ジュストが多くの領民を
この領民がすべて
だが、実はそれ以前から、ドン・バルトロメウは高山ジュストとは違って、どうも領民を強制的に受洗させ、拒否したものは追放か処刑という方法にまで及んだらしいことをなんとなく小耳にはさんでいたし、またヴァリニャーノ師の耳にも入っていたようだ。
そこで私は口をはさみ、
「どのようにすべての領民を洗礼まで導いたのですか?」
と、聞いてみた。
「いえいえ、余は何もしとらんとです。全部バテレン・コエリョ様のご指導の言われる通りにしてきただけですけん、余の功績ではなくコエリョ様のお蔭ですたい」
ドン・バルトロメウは顔は笑っている。そして、あくまで謙譲の美徳を示している。だが、いくら
「ところで、わが甥っ子は息災でやっとりますかいね?」
と、急にドン・バルトロメウは話題を変えた。甥っ子というから最初は有馬の殿のドン・プロタジオのことかと思ったが、
「千々石の
と、ドン・バルトロメウは言った。すると有馬の殿ではなく、かつて口之津で我われが受洗式に立ち会ったあの少年のことだ。今は有馬の
「はい。元気で勉学に励んでおります」
ヴァリニャーノ師がそれに答えた。
「そうですか。太かなりよっとでしょうね。で、バテレン様はいつお国へ?」
ヴァリニャーノ師は少し考えてから、
「お正月? くらいですかな」
と、それには自分で日本語で答えた。少し考えていたのは日本語に直すだけでなく、我われの
「そぎゃんですか。もうあとひと月余りしかなかとですね。ああ、できれば余も一緒に連れて行ってもらいたかとです。この目でローマという町も見てみたかです。ばってん、どだい無理な話でしょうな」
そう言って、ドン・バルトロメウはひとしきり笑った。
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