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 夕食は信徒クリスティアーニをも集められるだけ集めて、盛大な夕食会となった。住院に入りきれなかった人々には庭で酒肴がふるまわれた。

「そもそも殿というのは、代が替わるとそれだけで厄介ですな。薩摩も先代貴久殿の時は仏教徒もうるさかったですが、一応は福音宣教もうまくいっていました。そういえば、そうそう」

 アルメイダ師は何かを思い出したように、ヴァリニャーノ師を見た。

「代が替わったらという話ですけれど、この天草を分割統治する五人の領主たちのうち、この住院カーサのすぐそばの河内浦カワチウラ城のドン・ミゲルは今年隠居して領主の座を息子のドン・ジョアンに譲ったのですが、これが評判があまりよろしくなくて、皆先代の方がよかったと言っておりますね」

「そうですか、どういうふうによろしくないのですか?」

「直接、聞いてみるといいでしょう」

 そう言ってからアルメイダ師は立ち上がって、宴に同席していた多くの村人たちの方を見た。

「皆さん。新しいご領主様はどんな方ですか」

 アルメイダ師が大声の日本語で呼びかけると、それまで思い思いに酒を酌み交わして歓談していた村人たちは話をやめてアルメイダ師の方を見た。

「どぎゃん方って、若かとに態度は横柄で、同じキリシタンやのに我われば見下しよっと」

「じゃっと。お父上はいつっちゃ我われの身になってもんごとば聞きなしてくださるへりくやったお方やったに、親子でああも違うじゃろか」

「わしらのことば締め付くることしか考えておらん」

 確かに、村人たちにとって新領主のドン・ジョアンの評判は最悪だった。

「そうですか。では明日、会ってみましょうか」

 ヴァリニャーノ師はそう言ってから、村人たちが落ち着くのを待って、今度は再び座ったアルメイダ師にこちらの様子、特にアルメイダ師が住んでいる久玉クダマという土地のことについて聞いていた。

 久玉は天草のいちばん南に位置する港で、我われが初めて天草の島を見た時に、その沖を通過しているはずの港である。アルメイダ師は今日は我われに会うために、わざわざ久玉からこの河内浦に来てくれたようだ。

 なにしろヴァリニャーノ師はもう明日はここを出ていよいよ終着点の有馬に着くつもりだったので、時間を惜しんで長く語らい、宴はかなりの深夜までに及んだ。


 翌日、船に乗って来た我われ一行にアルメイダ師も加わり、住院から歩いてもすぐのドン・ジョアンのいる河内浦城へと向かった。

 向かったのは小さな屋敷で、その裏手の小高い山の上が本当のシロだという。だがホリや高い石垣イシガキヤグラ天守閣テンシュカクなど全くなく砦がある程度のようで、下からは山の木々が茂るだけで何も見えない。その点、あの薩摩の市来鶴丸城も同じだった。鹿児島の内城でさえ屋敷だけで、裏の山の砦すらなかった。シモの地方の城は、たいていこのようなものなのだろうかと思う。

 その屋敷の入り口で、多くの家臣団が丁重に出迎えてくれていた。彼らはあくまで領主であって、殿トノではない。この天草の島は殿はおらず、五人の領主が協議の上で治めているという。

 彼らを日本語で国人コクジンというらしいが、殿よりは規模が小さい小領主である。だから、複数の国人が寄り合ってその地域を治めている。

 天草には五人の国人がいて、天草五人衆と呼ばれているようだ。

 天草殿はその国人の一人である。我われが広場に通されると、だいぶ待たされてからドン・ジョアンは出て来た。確かに若い。まだ十代か、あるいは二十代になったばかりだろう。村人たちは横柄な態度だと言っていたが、静かに我われのそばに来ると、自らは下座に座った。

 そして深々と、我われに頭を下げた、異教徒の殿だったら自分が下座に座るなどあり得ないが、信徒クリスティアーノだとこういうことはよくある。そのまま表情一つ変えずに、ドン・ジョアンはうつむいたまま黙っていた。やがて、悲壮な顔つきになっていった。

「私が、巡察師ヴィジタドールのヴァリニャーノです」

 しびれを切らして、ヴァリニャーノ師の方から日本語で言った。

「はい」

 それだけ言うと、またドン・ジョアンはうつむいてしまった。今にも泣きそうだ。

「ドン・ジョアン、どうしましたか?」

 と、アルメイダ師が口をはさんだ。

「小さい頃から元気で活発なお子でしたね。家を継いで、緊張していますか?」

 それには黙って、ドン・ジョアンは首を横に振った。しばらくしてから、大きく頭を下げた。

「申し訳なかこつやった。わしが至らんやった」

 涙をすすりあげながら、ドン・ジョアンはそれだけ言った。

「わけを話してください。泣いていては分かりません」

 アルメイダ師が促すと、ようやく顔を挙げたドン・ジョアンだったが、まだ目は下の畳を見ていた。

「昨夜、父と共にご挨拶に伺ったとばい。ローマから偉いバテレン様が来らっしゃって、アルメイダ様も久玉より来なさっとっと聞いたばってん」

 そこで息を継いだドン・ジョアンは、下を向いたままさらに続けた。

「そしたら、我が領内にこいほどまでに人がいたとかと思ゆるくらいの大ぜいの民百姓のキリシタンが、皆さまば大歓迎すっ宴のたけなわで、驚きましたとばい。わしの認識が甘かった。こげなほどまでに人びとが歓迎すっほどのお方やったとさね、バテレン様は。こぎゃんこつば言うんは大変失礼とは思いますばってん」

 そこで言葉を切って、そのあとを言いにくそうにドン・ジョアンはためらっていた。だが、意を決したように少しだけ顔を挙げた。

「昔、子供の頃に接したバテレン様方は、みんな大変みすぼらしか格好ばされておったとばい。寺の坊さんはみんなそいなりに着飾っておると。でんなんでバテレンてゆう人たちはこぎゃんに貧しかと、わしは疑問やったとげす」

 それを通訳を通して聞くヴァリニャーノ師の眉が少し動くのを、私は見逃さなかった。ドン・ジョアンは続けた。

「こぎゃんみすぼらしか人たちの説く教えは真理じゃなかと、父に勧められて洗礼ば受けてからも疑問やったとげす。権威ば持って接してはじめて民百姓はついてくるとわしは思うておったとげす。そいやとに昨夜の光景ば見て、どんどん俄然としたとげす。権威ばもって民に接しとったはずのわしや、そいか父でさえこぎゃんにも村人に歓迎されとぉことはなか。こぎゃんに村人たちは親しく接してくれたことはなか。そいば思うと、ただ驚きしかなかやった。そいから昨日は、父も仰々しく行かんでそっと村人たちに気づかれんごとバテレン様のそばに行こうて言いだしたけん、供の者は待たせて、父と二人で庭の方から広間の方へそっと近づいていったと。そうしたら、聞いてしもうた。村人たちがわしばどぎゃん思うとっとか」

 なんと、昨夜、村人たちが新領主を酷評しているその時、当の本人は庭先にいてすべてを聞いていたのだ。しかも、父にも聞かれていたことになる。

「衝撃やった。わしがそぎゃんふうに思われとったごたっと、夢にも思うておらんやったばってん。足は震え、もうそん人たちの前に顔ば出す勇気はなかったと。そんままきびすばかやして屋敷に戻ったとげす。そいから、父にもこっぴどく叱られた。あいが民の生の声たい。民の声に耳ば貸さん領主のごたっと、領主失格て」

 それからしばらく、ドン・ジュアンは泣き続けていた。

 それからまた頭を畳にこすりつけ、

「バテレン様、申し訳なかった。わしが間違っておったとばい。こんジュアン天草太郎左衛門久種、一生の不覚」

 と、言った。フロイス師が耳元で通訳するのを聞いていたヴァリニャーノ師は、にっこりほほ笑んだ。

「安心なさい」

 とだけ日本語で言って、あとはフロイス師に通訳を頼んでヴァリニャーノ師は話を続けた。

「悔い改めれば、すべての罪は許されます。今のあなたの告白は、『天主デウス様』への告解と見なされます。これからは、お許しくださった方にどうお報いしていくかですよ。イエズス様は最後の晩餐で『あなた方は互いに御大切になさい』とおっしゃいました。領主と領民も同じです。『天主デウス』の御大切の民を預かって、すべて等しく『天主デウス』の子である民を御大切になさい」

 そこで障子が開いて、初老の男が入ってきた。

「おお、ドン・ミゲル」

 と、アルメイダ師が声を挙げた。つまり、この泣いている若者の父親、先代領主のドン・ミゲルらしい。そのまま息子と並んで、ヴァリニャーノ師の前に座って手をついた。細身だが温厚そうな老人だった。

天草鎮尚シゲヒサ・ミゲルでござる。お恥ずかしかこつばお見せ申した」

 そう言ってドン・ミゲルは力なく笑った。

「本来ならわしと息子と共にお出迎えすべきところばってん、わざと先に息子一人で対面させたとげす。息子にとって試練の場と思うとったけん」

 そしてアルメイダ師に向かって、

「不肖の息子ですばってん、今後ともよろしゅ頼んもす」

 と、頭を下げた。それからしばらく、ヴァリニャーノ師とドン・ミゲルとの間で、フロイス師の通訳を介して話が進んだ。だが、今日中に出発して有馬に着く予定だったヴァリニャーノ師は、早々に切り上げることにした。

 その別れのあいさつの後、ドン・ミゲルは、

「アルメイダ様も、どうか久玉ば引きはらって、こん河内浦においでまっせんか」

 と、何気なく言った。アルメイダ師は微笑んでいた。

「すべて上長が決めることですし、究極的には『天主デウス様』のみ意がどうなのかということですから、私には何とも言えません」

 アルメイダ師のこの言葉を最後にして、我われは河内浦城を後にした。


 住院カーサに帰る途中の山に挟まれた田圃道を歩きながら、ヴァリニャーノ師はアルメイダ師に、

「先ほどの話ですが、昨夜あなたは、天草五人衆のうち後の三人もいずれキリシタンになることを希望していると言っておりましたね」

「はい。しかし、竜造寺や薩摩がいつ戦争を仕掛けてくるか分からないし、そういった状況が安定してからと考えているようですよ」

「でも、天草殿ドン・ミゲルよりも先に洗礼を受けた領主の志岐シギ殿は、今では棄教してしまったとのことでしたね」

「はい、昨晩お話したとおりです」

 歩きながらもヴァリニャーノ師は何かを考えていた。そして、アルメイダ師に言った。

「やはり、この天草の島のあちこちに布教拠点を設けるよりも、一極化した方がいい。これからこの島の福音宣教の基地はこの西海岸になるでしょう。その中心地がこの河内浦ですよね?」

「はい。その通りですね」

「では、大渡と久玉の住院カーサは廃して、この河内浦に一本化しましょう」

「私もそれがいいと思います」

 なにしろ城と住院カーサは近いので、そこでもう我われは住院カーサに着いてしまった。

「いずれあなたも今年中に一度長崎に来てもらいますから、その時までに考えておきます」

 その話は、とりあえずはそこで終わった。

 住院カーサでの昼食の後、またもや大勢の信徒クリスティアーノの村人たちに見送られながら、我われは有馬へ向けての最後の船出をした。


 まずは陸地に奥深く入り込んでいるまるで湖のような入り江を、細い水路を通って外海に出た。風も順調だ。

 そして針路を北にとり、天草の山がちな島を右手に見ながら一つ岬を回るとまた海峡があった。行く手に横たわって見えて来たのは懐かしい島原半島だということだった。

 いよいよ帰ってきたという実感が、私の中にあった。船は目前の陸地に向かっては進まず、海峡を東へ向かう形で陸と陸の間を進んだ。出発の時には雲仙の威容に見送られていたが、今回は南西の方角から入ってきたので、雲仙は陸地の丘陵のずっと向こうに小さく頭をのぞかせているだけだった、

 やがて海峡の左側の陸地の、ある港に船はゆっくりと近づいて行った。近づくにつれてはっきりと分かったが、そこは有馬の城下だった。感慨ひとしおである。

 ここでもすでに知らせは言っているようで、船が港に近づくと港にはおびただしい数の信徒たちクリスティアーニが出迎えてくれているのが認められた。

 この日は月曜日、すなわち臼杵を出てからちょうどまる二週間目だった。

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