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翌日は程よい風だった。船頭は今日出港すると言った。我われの一行にゴンサーロ・ヴァスとその子ペトロが加わり、さらにゴンサーロ・ヴァスは鹿児島まで行くための馬を四頭、一緒に船に乗せた。
ゴンサーロ・ヴァスの妻や店の人びとに見送られて、船は静かに港を離れた。
湾の奥にある港の右も左も、小高い山が乗った岬だ。その湾の外へ船は出て行こうとするが、振り返るとゴンサーロ・ヴァスの妻マリアは港で大きく泣き崩れていた。
順風を受けて船は北へと進んだ。やはりこれまでと同じような複雑怪奇な変化に富む海岸線を右に見て岬をいくつも越え、最後の岬の向こうは、遠くに島影が見えるが右手にはもう陸がなく、それで東へ向かう形で岬を回りこんだ。
すると景色が一変し、日向の東側を南下していた時と同じようなまっすぐの砂浜が続くようになった。砂浜の向こうはようやく平らな土地が広々と広がるようになったが、日向の時ほど広くはない。平野の向こうには山々が横たわっているが、今度はかなり高そうな山もいくつも見えた。また、砂浜もまっすぐではあるが全体的に左手の方へと湾曲している。船は砂浜に沿って進むよりも、その湾曲した先へと直線距離で向かっていた。
そんな景色が半日ほど続き、夕方近くにある小さな漁港へと船は入った。ゴンサーロ・ヴァスが船頭と話し合った結果、そこに船はとりあえず泊まることになったらしい。
そこの漁港が市来鶴丸城へはいちばん近いそうだが、なにしろ漁港なので船宿がない。そこで、その漁港で我われを下ろした後、船は船頭と漕ぎ手などのみでもう少し北の
河口にできた漁港で我われは、馬と共に降りた。
「お城まではちっと歩きもすが、一里もあいもはん」
と、ゴンサーロ・ヴァスは言った。そして四頭の馬には、一頭は元々荷物用なので荷物をかけ、トスカネロ兄がその轡を引いた。あとの三頭はゴンサーロ・ヴァス、ヴァリニャーノ師、フロイス師に乗ってもらい、私とメシア師、ペトロは徒歩だった。
少し川沿いの道を歩いた後、小高い丘と水田との間の道や、平らな土地に続く道を進み、四十分くらいで山の麓に屋敷の屋根が見えてきた。それが市来鶴丸城のようだ。
だが、それはあくまで居館であって、実際の城はその背後にある小高い丘の頂上が
我われの姿を遠くから認めていたようで、我われが着くとかなりお年を召した
「お待ちしておいもした。あたいが
我われはそんな言葉で屋敷の中へと招き入れられた。城の屋敷といってもそれほど大きくはなく、普通の民家をちょっと大規模にした程度のものだった。
しばらくくつろぎの時間をもらった後、すぐに我われの歓迎宴ということであった。この屋敷の主であるドン・ビンセンチオとその妻ヴェロニカ、そして三人の息子が並んでいた。その長男と思われる人は、ほぼ私と同世代のようであった。そしてもう一人、家族ではないようだが六十歳くらいの初老の男もいて、結構皆からは大切にされているようだった。
「こちらは平岩源之進殿、霊名をミゲルといいまして、三十年前にバテレン・ザビエル
ドン・ビンセンチオからの紹介を受けて、ミゲルは微かに笑った。
「そげな大それたものではあいもはん。ただ、
つまりは
それからというもの、食事をしつつ話はミゲルによるザビエル師の思い出話に終始した。ザビエル師がこの城の滞在していた時に、ザビエル師から直接洗礼を受けたのはミゲルとヴェロニカ、そしてドン・ビンセンチオの長男のシメオンだけだという。
「三人だけですか?」
というヴァリニャーノ師の問いに、
「いや、もちっといたがな、今こけはおらぬものやすでに帰天したものも含むうと、十七人ほどじゃったか」
と、ドン・ビンセンチオが話に割って入った。
「こけいるものでは三人です。こんシメオンの上にもう
そうなると、実はシメオンは長男ではなく次男だったのだ。
「殿もやはりバテレン・ザビエルから洗礼を?」
と、フロイス師が聞いた。
「いや、あたやそん時は
そう言ってドン・ビンセンチオは大笑いをした。たしかに
それにしてもアルメイダ師は、まだ
後で必ず司祭にその旨を報告する義務はあるが、異教徒の地で司祭もいない場所に洗礼希望者が多数いる場合は、必要緊急の時といえるだろう。
「イルマン・アルメイダ
同席していたゴンサーロ・ヴァスが口をはさんだ。ゴンサーロ・ヴァスはドン・ビンセンチオとはすでに顔見知りのようだった。
「じゃっどかい。今はどけおられるのじゃっとな?」
「今は、
ヴァリニャーノ師がフロイス師の通訳を通じてそう言ったのを聞いて、私も驚いた。私も初耳だった。アルメイダ師は今でも口之津におられるものとばかり思っていた。
「そやそや、よろしくお伝えたもし。アルメイダ
その、生まれていなかった息子たちというのが、今は立派な若者になってともに酒を飲んでいる。やはり時間の流れを感じてしまう。
さらにドン・ビンセンチオとミゲルによって、ザビエル師の話は続いた。
その時、私はふと不思議な感覚に襲われた。
「日本人のキリシタンの皆さんからバテレン・ザビエルの話を私たちが聞いていますけれど、私たちの方は、バテレン・フロイス以外はバテレン・ザビエルに直接会ったことはないのです」
私が口をはさむと、ドン・ビンセンチオをはじめ同席していた日本人の方は皆意外な顔つきをしていた。
確かに、ザビエル師が日本に上陸した頃に生まれた私やトスカネロ兄は当然のこととして、メシア師も、そしてヴァリニャーノ師でさえザビエル師とは直接に会ったことは一度もないはずだ。ヴァリニャーノ師がイエズス会に入ったのはすでにザビエル師の帰天後であったと聞いている。
「私だけですね」
と、フロイス師が例によって表情も変えずに通訳ではなく自分の話題で話に入ってきた。だが、口調は通訳をしていた時とほとんど変わらなかった。
「私は十六歳でイエズス会に入会してすぐにゴアに来て、そこでバテレン・ザビエルと出会いましたけれど、その後バテレン・ザビエルはすぐに日本に来てしまって、ほとんど一緒には過ごしていないですね。でも、あの時、バテレン・ザビエルから受けた感化は大きかった。ぜひ私もあとに続いて日本で福音宣教に当たろうと思った。そしてその二年後に日本より戻られたバテレン・ザビエルとまたゴアでお会いしましたけれど、またもやすぐにバテレン・ザビエルは
通訳が一人でしゃべりだしてしまったので仕方なく私がそのフロイス師の言葉を、逆にポルトガル語の小声でヴァリニャーノ師やメシア師、トスカネロ兄に伝えていた。
それからまたしばらく、ザビエル師の話で花が咲いた。
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