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 その夜、我われは聖務日課のために集まっていると、ヴァリニャーノ師は少し深刻な顔をしていた。

「このまま行くと、島津殿の住む鹿児島の城からどんどん遠くなって行ってしまう。船頭の手前直接鹿児島の港に船をつけることはできないが、先方が我われの来訪を希望する密書を遣わしてきた以上、行かないわけにはいかない。わざわざ薩摩周りの回路をとったのもそのためだ。どこか近くの港に停泊中に行って来るしかないが、私が直接行くのも問題があろう。そこで」

 ヴァリニャーノ師は一同をさっと見まわして、私と目があった。

コニージョ神父パードレ・コニージョトスカネロ修道士イルマン・トスカネロ、ご苦労だがまたお願いできるかな」

 もちろん拒否などはできない。だが今度は、宿から歩いて十五分程度のあのジアンの家に行ったのとわけが違う。

 私は重いうなずきをした。

「島津殿はどのようなお方なのです?」

 と、私は聞いてみた。もちろんヴァリニャーノ師は会ったこともないはずだから、代わりにフロイス師が、私を見た。

「かのアルメイダ神父パードレ・アルメイダが二度ほど鹿児島を訪問しています。最初は島津シマヅの先代の殿の貴久タカヒサ殿の時で、その時は多くの人々に洗礼を授けたそうです。貴久タカヒサ殿という殿はかつてザビエル神父パードレ・ザビエルの薩摩での布教を擁護してくれた殿だそうす。その時は私はまだ日本に来る前でしたけれど、最初はなかなかザビエル神父パードレ・ザビエルの話に耳を傾けようとしはいてくれなかったそうですが、貴久タカヒサ殿がキリストの教えに心を開いてくれたきっかけは、ザビエル神父パードレ・ザビエル貴久タカヒサ殿に見せた一枚のマリア様の御絵だったそうです。それを見ただけで、貴久タカヒサ殿はすっかり感化されてしまったということです」

 私は感心した。やはりイエズス会はマリア様の御加護があっての宣教なのだと実感した。聖母マリアはイエズス会の元后なのだ。

「日本の仏教には観音カンノンというホトケの像がありますけれど、何となく聖母像に似ているところもあって、それでマリア様は日本人には親しみやすいかもしれません。ですから、日本人への宣教は聖母崇敬を前面に出した方がいいかもしれないと、その時思ったりもしましたね」

「でも、貴久タカヒサ殿は洗礼を受けなかったのですね」

「なにしろ仏教徒の力が強くて、それはかないませんでした。それでザビエル神父パードレ・ザビエルも、やむを得ず薩摩を離れることになったのです。そしてアルメイダ神父パードレ・アルメイダがマカオへ行く一年ほど前の修道士時代に再び鹿児島を訪れました」

 先ほどよりアルメイダ師という懐かしい名前が何回か出ていたので、私は驚いた。そのマカオで私とアルメイダ師は出会い、共に叙階し、アルメイダ師が日本に戻る船でともに私は日本に来たのだ。

 だが、私がそんなことを思い出していることなど関係ないように、フロイス師は淡々と話を続けた。

「二度目の時はすでに殿は今の義久ヨシヒサ殿に替わっていました。しかし依然として仏教徒の力は強く、義久ヨシヒサ殿も先代ほど我われに好意を示していないようだということでした。そのことは心得て行かれた方がよいでしょう」

「でも、密書を下さったのはその義久ヨシヒサ殿なのですよね?」

「そうだよ」

 と、ヴァリニャーノ師が話に入った。

「状況が変わったのかもしれない。ま、先方はポルトガルとの貿易で利益を上げたいというのが本音だろうが、そこはそれこそ前にも言った方便ホーベン。それで人びとの魂が救われるのなら、いいきっかけではありますな」

 ヴァリニャーノ師は笑っていた。

「ただ、どこの港からどのように鹿児島まで行くかは皆目見当がつきません。そこで、明日あのゴンサーロ・ヴァス老人に相談してみようと思います」

「それから」

 と、フロイス師が口をはさんだ。

「最初にアルメイダ神父パードレ・アルメイダが先代貴久タカヒサ殿と会見した際に、貴久タカヒサ殿から鹿児島の町に一件の家を賜って、そこが住院カーサとなっていたはずです。もちろん司祭も修道士もいませんが、最初は看坊カンボーがいたはずです。しかしなにしろもう二十年も前のことですから、今は果たしてどうなっているか。そのへんも見てきてください」

 これはあくまでお願いであって指示ではないはずだ。私はフロイス師の指揮下にはない。そこでヴァリニャーノ師を見ると、ヴァリニャーノ師もうなずいたので、そのまま自動的にヴァリニャーノ師の指示ということになった。

 看坊カンボーという日本語は本来は仏教徒の用語だが、司祭不在の教会や住院などをいわば留守役として管理する日本人信徒をいう。

 そしていつ、どこから鹿児島に行くかは、とりあえず明日ゴンサーロ・ヴァスに相談してからということで、この日はその話はそこまでとなった。

 その後、ヴァリニャーノ師は鹿児島の島津の義久ヨシヒサ殿に手紙を書いていた。まずはポルトガル語で書き、それをフロイス師に翻訳してもらう。内容は、前の密書の礼と、間もなく訪問するという旨を伝えるものだった。だが、それをそのまま届けるわけにはいかない。この国の手紙の文章というのはとても複雑で、これも明日ゴンサーロ・ヴァスの力を借りなければならなさそうだった。

 

 翌朝、またしても『天主ディオ』のご実在を深く感じずにはいられなかった。

 全く無風だったのである。

 これでは到底船は出せない。ヴァリニャーノ師が船頭を説得する必要は全くなくなった。

 朝食を終えた早々から、ゴンサーロ・ヴァスはその妻と子、店の働き手を十四人ばかり連れて現れた。さっそくフロイス師が彼らに公教要理カテキズマの問答を行い、彼らがどれほど理解しているかを試した。その間、フロイス師以外は別室で、ゴンサーロ・ヴァスと対座していた。

 私の通訳で、ヴァリニャーノ師は鹿児島に行かねばならないことなど、昨夜話していたことのあらましを他言無用ということでゴンサーロ・ヴァスに告げた。

「こっかあですと、馬でっも片道かたみっまる二日かかりますな。ここよっかまちっと北の港からなら、もちっと早よ鹿児島かごっまに着けもす」

 そうゴンサーロ・ヴァスからは言われたが、ではどこの港まで行けばいちばん近いのか皆目分からない。船頭には事の次第をあからさまに告げるわけにもいかない。

「では、あたいが一緒いっどき行っもそ。船に乗せて頂ければ頃合いのよか港で船頭せんづさあに頼みもすからそこで船を泊めてもろて、そんまま鹿児島かごっままで道案内みっあんねしもんで」

 これは願ってもない申し出だった。我われは深く感謝した。

 そしてさらにもう一つ、ある情報をゴンサーロ・ヴァスは我われに告げた。

「そうだ。どうせならちょうど通い道にもないもすから、市来鶴丸イチキツルマル城へ寄られうとよか。そこん城主はキリシタンです」

「え?」

 という顔で、驚いた表情を見せたのは我われ全員同時だった。正確には日本語の分かる私が先で、あとは私の通訳を聞いてからだったが同じことだ。

「そこの殿トノが?」

 ヴァリニャーノ師も驚きのあまり、直接ゴンサーロ・ヴァスにポルトガル語で話しかけてしまってから、すぐに自分で日本語で聞き直した。ゴンサーロ・ヴァスはこう答えた。

「城自体は鹿児島かごっまの島津の殿様とのさあの城ですけれど、そこん留守ずしあっかっおいもす守将の新納ニイロ伊勢守イセノカミさあがキリシタンでござんど。そいで、バテレンさあ方はザビエルさあのご足跡そくせきをお尋ねでしたけれど、思い出しもした。こん泊の港には今はまっこてそげなものはなかとじゃっどん、そん市来鶴丸城くさがザビエルさあのゆかりの場所です」

 もう誰もが驚きのあまり、「え?」という声も発せずに目を見開いていた。

「ザビエルさあは市来鶴丸城にずっと滞在なさって、新納様のご家族がキリシタンになられたのもそん時でござんど。それが約三十年ほど前。そしてそいから十年後、つまい二十年前になイルマン・アルメイダさあもそんお城にご逗留なさっておいもす」

 ヴァリニャーノ師はゆっくりとうなずいていた。

「イルマン・アルメイダは、今ではもうバテレンになっていますよ」

 そしてゴンサーロ・ヴァスにそう告げて、にっこりと笑った。

 これで、行き先はその城と決まった。

 そして、昨夜ヴァリニャーノ師が書き、フロイス師が訳した手紙をゴンサーロ・ヴァスにスミフデで清書してもらった。フロイス師もこの国の手紙はなんとか読めても、書けるようにはまだならないという。なにしろ手紙に用いる言語が普通にしゃべっている日本語と全然違うのだ。なぜか日本語の古語で手紙を書く風習があるようだ。

 清書した手紙をゴンサーロ・ヴァスは自分の他の店のものにことづけて、今すぐに鹿児島に届けさせると言ってくれたので、これもその申し出に甘えることにした。

 さらには、市来鶴丸城の方にも、来訪を告げる手紙をもヴァリニャーノ師の名前で書いてもらい、それも届けてもらうことにした。

 その頃、別室ではゴンサーロ・ヴァスの身内のものに対するフロイス師の問答が続いており、それは午前中いっぱいかかった。

 昼過ぎに彼がヴァリニャーノ師に報告したところによると、全員公教要理カテキズモをほとんど把握し、理解しているのでそのまま洗礼を授けても大丈夫だとのことだった。

 とりわけゴンサーロ・ヴァスの一人息子の小太郎コタローはまだ十三歳だがいちばん呑み込みが早いという。ゴンサーロ・ヴァス老人の子としては小さいような気がするが、かなり遅くなってからできた子らしい。

 午後には宿の一室を借りて十六人の入門者の洗礼式が執り行われた。それもつつがなく執り行われ、祝賀の夕食会の時である。今度は新しく信徒クリスティアーナになったばかりで、マリアという霊名をもらったゴンサーロ・ヴァスの妻がヴァリニャーノ師の前へ出た。

「お願いがあいもす」

 まだ何かあるのだろうかと思っていたら、隣に座らせていたペトロという霊名をもらった十三歳の息子を示した。

「いつの日か我われがキリシタンになれたそんたまにゃと、ずっと願っちょったこっがあっとです」

 聡明なペトロは、背筋をシャキッと伸ばして座っている。

「どうかバテレン様と一緒いっどきお連れくださって、有馬にあるちゅう神学校セミナリヨに入れて頂けもはんか」

 この申し出には、ヴァリニャーノ師はじめ我われ皆驚いた。なにしろ昨日の今日の話である。

 ヴァリニャーノ師がそれを尋ねると、

「じゃっで、前々からずっとかんげて、いや、そう決めちょったことなのおござんど。今回行かにゃあ、今度はいつ行かれうか。そうこうしちょっうちに、こん子ももう神学校セミナリヨるっ年ではなくけなっ」

 と、母親がすがるようにいう。ヴァリニャーノ師はペトロ本人を見た。そして、

「あなたは、セミナリヨに行きたいですか」

 と、通訳を介さず自ら日本語で聞いた。

「はい。以前から希望しておいもした」

 と、実にはっきり意図した言葉が帰ってきた。ヴァリニャーノ師の顔がほころんだ。

「あした出発ですよ。準備はできていますか」

「仕度はあんまい要りもはん。身一つで行けばよいのじゃっで」

 これもまた、ペトロ本人からの力強い返事だった。

「分かりました。許可しましょう」

 ペトロの顔がぱっと輝いた。母親のマリアは着物キモノの袖で涙を拭いていた。ゴンサーロ・ヴァスは何度もヴァリニャーノ師に頭を下げていた。

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