2
その夜、我われは聖務日課のために集まっていると、ヴァリニャーノ師は少し深刻な顔をしていた。
「このまま行くと、島津殿の住む鹿児島の城からどんどん遠くなって行ってしまう。船頭の手前直接鹿児島の港に船をつけることはできないが、先方が我われの来訪を希望する密書を遣わしてきた以上、行かないわけにはいかない。わざわざ薩摩周りの回路をとったのもそのためだ。どこか近くの港に停泊中に行って来るしかないが、私が直接行くのも問題があろう。そこで」
ヴァリニャーノ師は一同をさっと見まわして、私と目があった。
「
もちろん拒否などはできない。だが今度は、宿から歩いて十五分程度のあのジアンの家に行ったのとわけが違う。
私は重いうなずきをした。
「島津殿はどのようなお方なのです?」
と、私は聞いてみた。もちろんヴァリニャーノ師は会ったこともないはずだから、代わりにフロイス師が、私を見た。
「かの
私は感心した。やはりイエズス会はマリア様の御加護があっての宣教なのだと実感した。聖母マリアはイエズス会の元后なのだ。
「日本の仏教には
「でも、
「なにしろ仏教徒の力が強くて、それはかないませんでした。それで
先ほどよりアルメイダ師という懐かしい名前が何回か出ていたので、私は驚いた。そのマカオで私とアルメイダ師は出会い、共に叙階し、アルメイダ師が日本に戻る船でともに私は日本に来たのだ。
だが、私がそんなことを思い出していることなど関係ないように、フロイス師は淡々と話を続けた。
「二度目の時はすでに殿は今の
「でも、密書を下さったのはその
「そうだよ」
と、ヴァリニャーノ師が話に入った。
「状況が変わったのかもしれない。ま、先方はポルトガルとの貿易で利益を上げたいというのが本音だろうが、そこはそれこそ前にも言った
ヴァリニャーノ師は笑っていた。
「ただ、どこの港からどのように鹿児島まで行くかは皆目見当がつきません。そこで、明日あのゴンサーロ・ヴァス老人に相談してみようと思います」
「それから」
と、フロイス師が口をはさんだ。
「最初に
これはあくまでお願いであって指示ではないはずだ。私はフロイス師の指揮下にはない。そこでヴァリニャーノ師を見ると、ヴァリニャーノ師もうなずいたので、そのまま自動的にヴァリニャーノ師の指示ということになった。
そしていつ、どこから鹿児島に行くかは、とりあえず明日ゴンサーロ・ヴァスに相談してからということで、この日はその話はそこまでとなった。
その後、ヴァリニャーノ師は鹿児島の島津の
翌朝、またしても『
全く無風だったのである。
これでは到底船は出せない。ヴァリニャーノ師が船頭を説得する必要は全くなくなった。
朝食を終えた早々から、ゴンサーロ・ヴァスはその妻と子、店の働き手を十四人ばかり連れて現れた。さっそくフロイス師が彼らに
私の通訳で、ヴァリニャーノ師は鹿児島に行かねばならないことなど、昨夜話していたことのあらましを他言無用ということでゴンサーロ・ヴァスに告げた。
「こっかあですと、馬で
そうゴンサーロ・ヴァスからは言われたが、ではどこの港まで行けばいちばん近いのか皆目分からない。船頭には事の次第をあからさまに告げるわけにもいかない。
「では、あたいが
これは願ってもない申し出だった。我われは深く感謝した。
そしてさらにもう一つ、ある情報をゴンサーロ・ヴァスは我われに告げた。
「そうだ。どうせならちょうど通い道にもないもすから、
「え?」
という顔で、驚いた表情を見せたのは我われ全員同時だった。正確には日本語の分かる私が先で、あとは私の通訳を聞いてからだったが同じことだ。
「そこの
ヴァリニャーノ師も驚きのあまり、直接ゴンサーロ・ヴァスにポルトガル語で話しかけてしまってから、すぐに自分で日本語で聞き直した。ゴンサーロ・ヴァスはこう答えた。
「城自体は
もう誰もが驚きのあまり、「え?」という声も発せずに目を見開いていた。
「ザビエル
ヴァリニャーノ師はゆっくりとうなずいていた。
「イルマン・アルメイダは、今ではもうバテレンになっていますよ」
そしてゴンサーロ・ヴァスにそう告げて、にっこりと笑った。
これで、行き先はその城と決まった。
そして、昨夜ヴァリニャーノ師が書き、フロイス師が訳した手紙をゴンサーロ・ヴァスに
清書した手紙をゴンサーロ・ヴァスは自分の他の店のものにことづけて、今すぐに鹿児島に届けさせると言ってくれたので、これもその申し出に甘えることにした。
さらには、市来鶴丸城の方にも、来訪を告げる手紙をもヴァリニャーノ師の名前で書いてもらい、それも届けてもらうことにした。
その頃、別室ではゴンサーロ・ヴァスの身内のものに対するフロイス師の問答が続いており、それは午前中いっぱいかかった。
昼過ぎに彼がヴァリニャーノ師に報告したところによると、全員
とりわけゴンサーロ・ヴァスの一人息子の
午後には宿の一室を借りて十六人の入門者の洗礼式が執り行われた。それもつつがなく執り行われ、祝賀の夕食会の時である。今度は新しく
「お願いがあいもす」
まだ何かあるのだろうかと思っていたら、隣に座らせていたペトロという霊名をもらった十三歳の息子を示した。
「いつの日か我われがキリシタンになれたそん
聡明なペトロは、背筋をシャキッと伸ばして座っている。
「どうかバテレン様と
この申し出には、ヴァリニャーノ師はじめ我われ皆驚いた。なにしろ昨日の今日の話である。
ヴァリニャーノ師がそれを尋ねると、
「じゃっで、前々からずっと
と、母親がすがるようにいう。ヴァリニャーノ師はペトロ本人を見た。そして、
「あなたは、セミナリヨに行きたいですか」
と、通訳を介さず自ら日本語で聞いた。
「はい。以前から希望しておいもした」
と、実にはっきり意図した言葉が帰ってきた。ヴァリニャーノ師の顔がほころんだ。
「あした出発ですよ。準備はできていますか」
「仕度はあんまい要りもはん。身一つで行けばよいのじゃっで」
これもまた、ペトロ本人からの力強い返事だった。
「分かりました。許可しましょう」
ペトロの顔がぱっと輝いた。母親のマリアは
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます