Episodio 4 リーベル・ヨブ(Hosojima di Hyuuga)

1

 快晴だった。風も良好だ。追い風が心地よいくらいに吹いている。

 船は大友殿ドン・フランシスコが用立ててくれた。あの堺へ行く時に乗っていた船と同じような形ではあるが、違う船である。今度の船長も気さくで親切そうな人だった。

「さあ、これからの旅で『天主デウス様』はどんな出会いを我われのためにご用意くださっているか」

 ヴァリニャーノ師が明るくそう言いながら、我われは船に乗り込んだ。

 大勢の人びとに見送られながら船は港を離れ、陸地を右手に見ながら帆いっぱいに風を受けて南下していった。

 まずは臼杵の城から沖合にまるい玉を浮かべたように見えていた島の脇を通過した。小さな島だと臼杵で見ていた時は思っていたが、そばに来るとちょっとした海の中の山である。そして岬の先を右手へと旋回した。

 それから先も右手の陸地の上は小高い緑の丘が丘陵となって続き、その麓がすなわち海岸線だ。平らな部分は時々わずかにあるくらいだった。

 ただ、なだらかな丘なので、海沿いは断崖というわけではなかった。海岸線は決して真っ直ぐではなく複雑に入り組み、もし空から見たらかなりのぎざぎざに見えるのではないかという気がした。

 もうすっかり秋も深くなっており、船べりから景色を眺めたりしていると、風を受けて寒いくらいだ。左手の方もかすかに陸地が続いており、それがかつて通ってきた伊予イヨであり、土佐トサであろう。

 昼過ぎまでに船はいくつかの岬の先端を回った。岬といっても鋭く海に突き出しているわけではなく、海岸線が大きく湾曲しているなと感じるくらいだ。岬の先端に島がある場合もあった。

 その頃になると左手遠方に見えていた土佐の陸地はかなり薄らいできていた。前方には大洋が限りなく広がっていた。

 そして夕方近く、大きな湾となっている所に着いた。そこはほんの少し他よりも広い平らな土地があって、山は遠のいている。

 その湾の入り口の、湾の奥に向かって左の岬の付け根に船は進んで行った。そこにもまたかなり奥深く陸地に細長く入り込んでいる入り江があって、その入江にほんの少し入った左手に集落がある。そこが港のようだ。

 漁船ばかりではなく、今我われが乗っているのと同じような国内交易船もいくつか見られた。

細島ホソジマに着きました。今日の泊まりはここですっちゃ」

 人のよさそうな船頭が説明してくれた。ここはまだ薩摩ではなく、日向ヒューガという土地なのだそうだ。平らな土地があって集落があるといっても、その背後はすぐに山だ。入江の奥の方はかなり平らな土地が開けているらしい。

 日向と聞いて思い出したのは、ドン・フランシスコはかつてここにもキリシタン王国を築こうとしていたけれど、例の薩摩との戦争に負けてからはこの日向をあきらめるしかなかったとのことだ。

 我われは上陸し、港から歩いてすぐの船宿にと案内された。宿の主人も親切だった。


 その夜、その宿にひと組の老いた夫婦が我われを訪ねて来た。その来訪を宿主が告げに来てから、ヴァリニャーノ師とフロイス師、そして私はすぐに玄関まで出た。

「突然、申し訳ありません。わいどんはこん港に住む漁師の吉兵衛と申します。こちらは家内やっちゃが」

 最初は漁民の唐突な訪問に驚いているヴァリニャーノ師であったが、

「わいの霊名はルカスと申します」

 と老人が言ったのをフロイス師の通訳で聞いてから、ヴァリニャーノ師の顔がぱっと輝いた。

「あなたもキリシタンなのですね」

「はい、もう洗礼を受けてから十八年になっとです。こん港にまたバテレン様が来なって、こん年になってまたお会いできるなんて思いませんやった」

 最後の方は、ルカス老人の声は涙声になっていた。

「まあ、どうぞ中へ」

 ヴァリニャーノ師はルカスとその妻を、自分たちの泊まっている部屋まで通した。老夫婦はあらためて我われと対座すると、驚いたことに突然我われ、とりわけ中央のヴァリニャーノ師を仏教徒が寺で仏像を拝むのと同じようなしぐさで礼拝し始めたのである。

 これまでも我われとの対座の時に信徒クリスティアーノならば我われを上座に据えて、自分の主君に対するような礼で迎えてくれた人たちは多かった。しかし、このように「礼拝」されたのは初めてだ。我われは皆一瞬あっけにとられていたがすぐに冷静になり、ヴァリニャーノ師が私に、

「やめさせなさい」

 と、イタリア語で言った。

 言われるまでもなく私はすぐに止める姿勢になっていたので、まずは座ったままルカスのそばに寄ってその体を起こした。

「あなたは洗礼を受けてからもう十八年と言いましたよね」

 と、私よりも先に日本語で声をかけたのはフロイス師だった。

「そんなに長く信仰生活をされているのに、どうして巡察師ヴィジタドールを拝んだりするのですか?」

「申し訳ありません。ただ、わいにとってはバテレン様がてげありがたく、神々こうごうしく、まるでイエズス様が直接来なったげな気になっちょったじ」

「それにしても、悪魔崇拝と同じような作法で拝むのでは、巡察師ヴィジタドールを悪魔のように扱っていることになりますよ」

 ルカスは顔をひきつらせ、一瞬固まった後、

「申し訳ありませんやった」

 と、何度も、しかし今度は普通に頭を下げた。

 私はルカスの隣で、まだその肩に手を置いたままだった。

「そんなに気に病むことはありません。しかし、我われバテレンは人間です。人間を拝んではいけません。人間を信仰してはいけません。イエズス様でさえ『我にむかいて主よ主よと言う者、ことごとくは天国ハライソらず、ただ天にいます我が父のみ意を行うもののみ、これに入るべし』と仰せになっています。我われが信仰するのは『天主デウス様』だけです。人物を信仰してはいけません」

 ルカスは理解できたようで、ようやく落ち着いた。

「洗礼を受けてから十八年ということは、洗礼はバテレン・トーレスからですね」

 そこでヴァリニャーノ師は、フロイス師を通訳にいろいろと語り始めた。その言葉を伝えてからフロイス師は、

「私がちょうど日本に来た年です。大村のドン・バルトロメウが日本の殿としては最初に洗礼を受けたあの頃ですよね」

 と、付け加えた。

「はい。洗礼はトーレス様からやったっちゃが。わいは今は漁師をしちょりますけんど、あん頃は若くて、あちこち船で商いする商人あきんどやったっちゃ。てげ裕福な暮らしばしちょったが。でん、洗礼を受けてかい急に商いもうまくいかんくなり、財産たくわえもなくしていきましたじ」

 こうしてルカスは自分の身の上を、滔々と語り始めた。

 それによると、確かに受洗前は蔵がいくつも建つような豪商だったらしい。だが商売もそれまで均衡を保っていた大友殿、この日向の伊東殿、そして薩摩の島津殿が互いに戦争を始めたことによって海路が遮断され、どんどん衰退していったという。

 特にここ数年、あの大友殿と島津殿との耳川での戦争以来、とうとう商売をあきらめざるを得なくなって蔵も財産も手放し、漁民になってしまったということだった。

 ルカスの話によると、その戦争によって財産を失ったばかりでなく、ルカス自身の言葉によればもっと切実な問題として、大友殿と島津殿は互いに敵対関係になり、さらにこの日向を島津殿が支配するようになったため、豊後の教会と交通が断たれてしまったということがある。

「わいがこげん落ちぶれたんはわいがキリシタンなどになったかい神仏の怒りにふれたと、こん港の者どんは皆申しちょりますけ、もちろんそげんこつはわいは考えておりませんじ。むしろ『富める者の天国ハライソに入るよりは、駱駝らくだの針の穴を通るは反って易し』と教わっていますじ。だから、財産などなくしてすっきりしちょるが」

「すばらしい」

 と、ヴァリニャーノ師は感嘆の声を挙げた。

「このような逆境にあっても主を慕い求め続ける、これこそが本当の信仰です。清貧は我われも生活の基本とするところです。あなた方は苦しくても、よく信仰を捨てずにいました」

 フロイス師の通訳を聞いてから、ルカスは静かに首を横に振った。

「いいえ、やはり財産も商人あきんどとしての店ものうなったいうこつは、わいにそれなりの不徳があったはずじゃき。私はふてえ罪を犯し、その罪に対する罰としての今の境遇やろかとも思うんですじ」

「どうしてそう考えるのですか?」

「幼い頃かい、親からはそげん教えられてきよりましたかい。罪を受ければ罰が下ると」

「仏教では、そう教えているようですね」

 その言葉をルカスに通訳して伝えてから、フロイス師がさらに付け加えて口を挟もうとしたので、ヴァリニャーノ師はそれを制した。

「たしかに我われは皆『天主デウス様』の前では罪びとです。しかし、『天主デウス様』は罪に対して怒りの罰を下されたりはしません。たしかに罪にはあがないが必要です。それは洗濯と同じですよ。汚れた衣服は叩いて揉んで、水にさらして洗いますね。何のためですか?」

「汚れを取るためですじ」

「そうですね。汚れた衣服を一件懲らしめているようにう見えても、実はその衣服を大事にしたいからきれいにするために洗っているのですね。『天主デウス様』はあなたが御大切だから、あなたの罪を洗い、浄めて下さったのです。そのためには財産を失わなければならなかった。つらい思いをしなければならなかった。しかし、それもすべて『天主デウス様』の御大切の心から出たことですから、もうことごとく感謝しかありません。そしてイエズス様は我われの罪の贖いを肩代わりしてくださった。こうして我われはイエズス様を受け入れれば罪は洗い浄められ、罪から解放されるのです」

 ルカスの目には、また涙が浮かべられているようだった。

「『天主デウス様』は我われ人類がかわいくて仕方がない。それは親が子を思う気持ちと同じです。だから、救いたくてしょうがないのです。特に、『天主デウス様』から選ばれたものは、早く罪を洗い流し、そして鍛える。罪の洗濯とお鍛え、これが激しい人ほど『天主デウス様』からは御大切に思われ、また大きな使命を与えられていることになりますから、もうさらに感謝です」

 ルカスは嗚咽を始めた。そんな姿とヴァリニャーノ師の言葉から、あの伊予で会った一条殿ドン・パウロの時もそうだったが、ここでも私はふと『旧約聖書ヴェトゥス・テスタメントゥム』の「ヨブ記リーベル・ヨブ」のことを思い出していた。

 するとその時ヴァリニャーノ師がルカスに向かい、

「あなたは聖書バイブルに『ヨブ記』という話があるのをご存じですか?」

 と尋ねたので、私は驚いた。私が「ヨブ記」を思い出していたのと同時に、ヴァリニャーノ師も同じそれを思っていたことになる。

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