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 こうして村人たちに世話になりながら五日ほど足止めとなり、それから我われの船は出航した。村人たちの話では、ここは井ノイノシリという港だそうだ。その足止めの後、六日目にようやく風を得て船は出港した。九月も下旬に入っていた。

 その日は今度は入江ではなくて大きな川の河口にある下田シモダという港まで進んだ。あまりにも大きな河口なので、最初はまた入り江かと思った。どうしてこの土佐の港は皆入り江にあるのだろうと思っていたが、船頭が、

「これは入り江ちゃいまっせ。四万十川シマントガワいう四国でいちばん大きな川だす」

 と説明してくれて、初めて川の河口だと分かったくらいだ。

 その河口の上流に向かって右側のすぐのところに集落があって、そこが港のようだ。

 このあたりは河口だけあって少しは平らな土地があり、その向こうに横たわる丘程度の高さの丘陵はだいぶ陸地から遠ざかっていた。従って開けた土地という開放感があって、よく晴れた日差しの中で明るく見えた。

 着いたのは夕方だったので船頭だけが一度上陸し、我われは例によってそのまま停泊する船の中で寝ることになった。船頭もすぐに戻ってきた。

 翌日、そのまま旅が続けられると思ったが、船頭は浮かない顔だった。

「えらい申し訳ない」

 と、また船頭は言う。風は強い。しかし、いかんせん南風、すなわち向かい風なのだ。これからもう一つ岬を回るまでは、船は陸地に沿って南下することになるという。

 ここでさらに風待ちとなった。

 こうして各地で何日も足止めされるにつけ、往路が全くどの港でも一晩停泊しただけで進めたというのがいかに奇跡的な順調すぎる船旅であったのかということがあらためて痛感させられた

「ここは浦戸と同じで、長宗我部の殿の弟君のシロが一里半ほどの目と鼻の先にありますさけ、浦戸以上によう気ぃつけはったがよろしゅおまんな」

 一里半といえば歩いて一時間半だから、本当に近い。実際見つかったからどうなるかということは分からないのだが、我われは信長殿に歓待を受けた身だ。信長殿と長宗我部殿はまだ敵対しているというわけではないが、何かと関係がこじれているようなので用心するに越したことはない。

 そんなことをヴァリニャーノ師たちとも話していた昼下がりに、船の外が騒がしかった。そっと船べりからのぞいてみると、数名の村人と船頭が何かもめている。しかも船頭も村人も互いに興奮しているのか声も大きく、よく聞こえてきた。

「そりゃ、あきまへんて。この船は商いの船だす。バテレン様など乗ってはったりはしてまへんがな」

「いやいやいやいや、井ノ尻のとぎが知らせてくれたっちゃ。大嵐で井ノ尻に何日か停まっちゅった船が西に向こうて、その船にバテレン様が乗りよったと」

「頼むき、乗せてくれんかね。どうしたちバテレン様にお願いしたいことがあるきに」

 ヴァリニャーノ師がしきりに気にしていたが、フロイス師が、

「どうも我われが乗っていることはすでに知っているようで、何か頼みたいことがあると言ってますね」

 と、説明していた。

「たしかに、敵意があるようには見えません」

 と、私も付け加えておいた。

「だったら、会ってみようではないですか」

 ヴァリニャーノ師がそう言うので、私がその旨を船頭に告げた。

 さっそく三名ほどの村人が乗りこんできた。だが、その機敏な動きからただの村人ではなく、明らかに城に仕える武士サムライであるということはすぐに分かった。

「ご無礼をお許しとおせ。わしらは」

 そこで村人は、声を落とした。

「もともとのこの土佐の国守、一条殿にお仕えしよったものですっちゃ」

「今はこの村で漁民として、世を忍んでおりますっち」

 その言葉を、フロイス師が逐次ヴァリニャーノ師に伝えていた。

「実はバテレン様方はこれから豊後に向かわれるっち聞きましたき、その途中でどうしたち会うてほしい人がおりますっちゃ」

 村人たちの話をかいつまんで言うと、だいたい次のとおりである。

 もともとこの土佐トサは百年以上も前から一条殿イチジョードノという殿トノが支配する土地であったという。一条殿とはもともとは都の貴族であったが、都での大きな戦争を避けてこの土地に来て、この近くの中村ナカムラシロ殿トノとなったということだ。

 この国の貴族は地方に自分たちの収入源となる田地を持っていることが多い。それを荘園ショーエンというらしいが、一条殿の荘園がこの土佐の中村にあったからだという。

「わしらが仕えちゅうたんは中村御所様、つまり一条兼定様じゃった。でも、もともとは一国人にすぎなかった長宗我部が勢力を伸ばしてこの土佐をばっさり支配するようなったっちゃ。その時一条家の中でも長宗我部と和解して長宗我部に付くべしとする人びとと、長宗我部とは徹底して戦うべきだと主張するものに分かれ、わしらはその後の方、つまり長宗我部とは徹底して抵抗する意見を持っちゅうたものでござる」

 すると、長宗我部殿が土佐の大部分を支配する昨今においては、この者たちは身分を隠し、隠れてここに住んでいるのだろう。

「そして兼定殿は長宗我部との和解を主張する人びとにとって豊後に追放されたっちゃ。その後、その息子が一条家を継いだけど、長宗我部元親モトチカ殿の娘婿だし長宗我部のお飾りじゃった。だが、その大津オーツ御所ゴショ様も今年になってから謀反の嫌疑で長宗我部から追放されて、今は行方不明じゃ。もしかしたら、もう殺されているかもしれんぜよ」

 その言葉をフロイス師が通訳して伝えると、ヴァリニャーノ師はいちいちうなずいて聞いていた。

「そうですか。それで、私に会ってほしいという人とは?」

「その兼定様やか。兼定様の居場所は分かっちゅうが。伊予イヨの沖合の戸島トジマという小さな離れ小島じゃきに」

「たしかに豊後に行く途中の通り道だけれど、なぜ私たちに?」

「兼定様をバテレン様が訪ねてくださったら、ほりゃあお喜びになるろう。それに、わしらが元気じゅうこともぜひ伝えてほしいがです」

「なぜ?」

 と、ヴァリニャーノ師が疑問を発すると、フロイス師はそのままそれを一条兼定の旧臣と名乗る村人らに伝えずに、直接ヴァリニャーノ師に、

「彼らが言う一条兼定とは、ドン・パウロのことですね」

 と、言った。驚いた上で納得したような表情で、ヴァリニャーノ師はうなずいた。

「なるほど、信徒クリスタンなのですね。それで私が行けば喜ぶと。フロイス神父パードレ・フロイスはその人を知っているのですか?」

「直接会ったことはありませんが、何度か手紙をやり取りしたことはあります。それに、ただ信徒クリスタンであるというだけでなく、実はその母親はあの臼杵の殿のドン・フランシスコの姉、つまりドン・フランシスコからすれば外甥に当たり、さらにその妻のジェスタはドン・フランシスコの娘なのです。従兄妹いとこで夫婦になっているのです」

「ならばなぜ臼杵に住まずに島などに?」

「それは…」

 なぜかフロイス師は言葉を濁していた。フロイス師は何か知っているようだが、どうも言いにくいことのようで、すぐに村人らの方を見て、

「あなた方と兼定殿は、なぜ離ればなれになってしまったのですか?」

 と、わざと話題を変えるようなことを質問していた。

「兼定様がなんらあ中村を取り戻そうと、叔父であり舅殿でもある大友宗麟様の後ろ盾で長宗我部相手にこの四万十川を挟んで戦さをしたけれど、ご武運がなかった。ほき長宗我部の手のものに寝込みを襲われて殺されかけたがです。その時かなりの深手を負われて、まっことあれで生き延びられたのは奇跡以外のなんちゅうものでもない状態じゃったぜよ。そして兼定様は戸島に隠れるようにして暮らしており、我われはここで暮らしちゅうです。お互い詳しい消息もわからず、文のやり取りもままならない状態なので、兼定様も我われのことをお気にかけてくださっちゅうがやきと思うのです」

 そこで村人らは、声を落とした。

「兼定様は後ろ盾となってくれた大友様を憚って、顔向けができぬと臼杵にも帰らずに、でも臼杵が手に取るようによう見える島へと隠れ住んで再起を図っておられる。我われもここでその機を窺っちゅう。離ればなれになっても心は一つやきに」

 フロイス師がそれを伝え終わるとヴァリニャーノ師は、

「ドン・パウロが臼杵へ帰らない理由は、今この方たちが言われた通りなのですか?」

 とフロイス師に聞いた。

「は、はあ、まあ、そんなところでしょうね」

 フロイス師はまだ何かを隠しているようだった。とりあえずヴァリニャーノ師はそれ以上追及せずに、

「分かりました。必ず兼定殿を訪ねましょう」

 と言った。村人らの顔がぱっと輝いた。中には涙ぐんでいるものもいた。

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