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翌水曜日の朝、ヴァリニャーノ師とメシア師、そして私とトスカネロ兄の四人、それに堺までの見送りのオルガンティーノ師を含めた総勢五人は、ロレンソ兄やそのほか多くの修道士、そして伊東ジェロニモをはじめとする神学生たちに見送られて安土の地を後にした。
ただ、オルガンティーノ師が安土を不在にすると誰も司祭がいなくなってしまい、その間を修道士たちだけに学生を任せておくのも心もとないということでオルガンティーノ師が堺から戻るまでの留守番として代わりにフロイス師が残ることになった。フロイス師とは後で堺にて合流することになっていた。
来る時は信長殿への献上品を山積みにしていた荷車も、帰りは空になるかと思いきや、信長殿からの贈り物である屏風が新しい積み荷だった。
とりあえずは安土の
夕刻に都の教会に着くと、私は出迎えてくれたセスペデス師に頼んで小西屋のジョアキムを呼んでもらった。室津で子息の弥九郎殿に世話になったことの礼を言いたかったが、都には一泊しかしないということなので特に夜ではあったがお願いした。
室津からの帰途に都で一泊した時は、例の洗礼志願者との論争のことやそれで弥九郎殿が受洗を見合わせたことなどで気が引けて、そんな気にはなれなかったのである。
少し欠けた月の灯りを頼りに、ドン・ジョアキムは教会まで来てくれた。歩いてもそう遠くはないそうだ。そこで私は室津で子息に世話になった礼を言い、しばらく歓談した。息子の弥九郎殿が受洗を見合わせた件については、あえて触れなかった。
翌日からは、例の信長殿から賜った屏風を、ここでも教会内で一般に公開した。さすがに都だけあって、安土以上のものすごい数の人びとがその屏風を見るために押し寄せた。
次の日曜日の主日のミサまで四日ほど滞在してから、我われは高槻へ向けて出発した。我われにとっては三度目の高槻だ。
高槻ではフルラネッティ師と共に出迎えてくれた城主の高山ジュスト殿が、我われのために城内で宴席を設けてくれた。そこには多くの有力な武士や商人も同席していた。無論全員が
ジュストの話では、そのうちの五、六名の有力者が、堺から有馬までの我われが乗る船を都合つけてくれたのだという。その費用もすべてジュストがまかなってくれた。
さらに宴席で、次から次へと
「我われの修道会は清貧を主眼としておりますので、このような贈り物は一切受け取らないことになっています」
ヴァリニャーノ師がまずそう言ってそれをオルガンティーノ師に通訳してくれるように促したところ、オルガンティーノ師は首を横に振った。
「いけません。こういった贈り物を断るのは、日本ではとても失礼にあたります」
そうしてオルガンティーノ師から信徒たちには、ヴァリニャーノ師の言葉として深い感謝と御礼の言葉が告げられた。
「これらの品はぜひお国に持ち帰られ、お国にこの日の本のことを告げ知らせる手土産となさってください」
ジュストからも、そう言う言葉があった。
ここでも我われは、例の屏風を人びとに公開した。
そしてさらに次の日曜日の二十七日の主日のミサまで滞在して、我われは殿のジュストの涙で見送られて高槻を出た。
そして来た時と同様に
日比屋の家での宴会は、豪勢なものだった。前にここを訪れた時は
ただ、やはりどうしても我われにとってだめなのはタコで、日本人はなぜそのようなものを食するのか理解できなかった。そのことは日比屋の
その宴会には堺の町の有力者で
その席で、ヴァリニャーノ師は皆への挨拶ということで立ち上がった。すぐ隣にオルガンティーノ師が控え、通訳の任にあたった。
「私はこの堺の地に修道院がないことを不思議に思っています」
我われにとっては先日の安土での協議会の時や、日常生活においてヴァリニャーノ師と接する間に何回も聞いた話である。
「この堺は私が知る日本の国の都市の中でも最も豊かで、尊い町だと思っています。それは町の規模や大商人がたくさん住んでいるということだけではなく、この町が特権と自由を持つ一つの国のような形態で、どんなに他の地が戦争に明け暮れていてもこの地だけは平和を保っているということを知っています」
ヴァリニャーノ師の話に熱が入ってきた。
「そこで皆さんにお願いがあります。この町の中央部分に当たる所に、修道院を建てるための土地を確保しておいてほしいのです。やがてこの地に
人びとは大歓迎の拍手で、それに賛同の意を表した。
その翌日、オルガンティーノ師はヴァリニャーノ師と固く握手を交わして安土へと帰って行った。いつも陽気で人を笑わせるオルガンティーノ師も、この日ばかりは目が潤んでいた。
そうして次の日曜日にディオゴの屋敷の一室に造られている教会堂で、ヴァリニャーノ師の司式によって主日のミサが執り行われ、大勢の人が参列した。その時までには、オルガンティーノ師と入れ替わりに安土からすでにフロイス師が到着していた。
さらにその翌日、すでに暦は九月に入っていたが、その九月の四日、先だっての宴席でのヴァリニャーノ師の言葉通り、高槻の信徒の有志の方が都合つけてくれた船で、我われは多くの信徒に見送られながら堺の港を後にした。日比屋のディオゴとその家族が中心となって、いつまでも我われに手を振ってくれていた。
だが、港まででは飽き足らない人びともいて、我われの船が出港した後も六艘ばかりの小船がずっと我われと並走していた。ここへ来る時も海賊に追われて恐ろしい目に遭ったのだが、やはりこの近海は海賊が多いとのことで、淡路島の近くまでは護衛を兼ねての見送りだということだった。
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