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まだ話は途中のようだったが。そこへ先ほどの
「さっきも会ったことだし、堅苦しい挨拶は抜きにして、いかがであったかな? 我が城は」
「はい。素晴らしいお城でございます」
そこだけ日本語で言ってから、ヴァリニャーノ師は、
「この山全体を城として数々の石垣と建物、ただただ感嘆の極みとしか言いようがありません」
と、フロイス師の通訳を頼りに言った。
「特にこの
信長殿はヴァリニャーノ師の賛辞が満足であったようで、にこにこした顔でうなずいて言った。
「あの本丸の御殿は、都の内裏の帝の御座所を模しておる。いずれ帝の行幸を仰ぐためにと、普段は使っていない」
「この国に参りまして、このような巨大な建物を見るのは初めてです」
「バテレン殿のお国では、これほどの巨大な建物はあるのか?」
「ございます。我われカトリックの総本山とでも申すべきバチカンの寺院は、現在建築中ですがこのお城に匹敵するほどの高さはあるかと」
「ほう。建築中とは、これまでは本山を持たなかったのか?」
「いえいえ、もう千年以上も前に建てられておりましたが、八十年ほど前に全面的に建て替えが決まり、新しい総本山の建築に入りましたが、いまだに完成には至っておりません」
「であるか」
「ただ驚きましたのは、これだけの大きさのお城をなんとすべて木材で建ててしまわれるこの国の技術でございます。これには驚きました。我われの国の城や寺院は、巨大とはいえすべて石造りでございます」
私が驚いたことと、やはり同じことにヴァリニャーノ師も驚いていたのだ。
「それに、我らがバチカンの総本山は平地にございます。このお城は山の上にありますから、それだけ威容も増して感じられます」
信長殿は笑った。
「いい場所を見つけたと思うだろう。湖に面した山の上で都にも近く、船でいけば都へも便利だ。しかも我が本拠地の
最後の部分を除いてヴァリニャーノ師に通訳した後、フロイス師は、
「はい。あの美濃のお城は規模こそ小さいですが、ここよりももっともっと高い山の上でしたね」
と、直接に信長殿に返答していた。
「まあ、でもあの城は平時は麓の屋敷に住んでいたからな」
「時に、このお城の中にお寺がございましたね」
少しためらいがちに、ヴァリニャーノ師は切りだした。信長殿が機嫌がいいのを見計らってという感じだった。信長殿の機嫌は少しも変わらず、にこにこしたままで、
「ああ、あの寺か。
と、言った。
「予が寺を立てたのは不思議かな?」
「いえいえ、めっそうもございません」
「いやあ、バテレン殿方としては、あまりうれしいことではないだろうな。しかし、安土の人びとの心をつかむには寺の一つや二つ必要だ。あの寺は
そう言って、信長殿は高らかに笑った。
「世間では予が
また、信長殿は笑った。だが、話が通訳されたものを聞いてもよく分からない。
「ま、まじめな話、あの叡山焼き討ちは、何も仏法に楯突いて焼き討ちしたのではない。叡山は寺と称してはいるが、実際は武装勢力だ。しかも当時は周りを敵に囲まれていた織田家にとって、その敵対勢力と結びつく脅威だった」
「仏教とは、武器を持って敵と戦えと教えている宗教なのですか?」
と、私が直接日本語で聞いた。武器を持って戦うといえば、イズラムのことを思い出したからだ。もちろん、我がキリスト
信長殿は私の質問にも、高い声で笑った。
「そんなことはない、コニージョ殿」
私は驚いた。前に都でたった一度自己紹介をしただけなのに、信長殿は私の名前を覚えていてくれたのだ。
「今言ったように、叡山は悪人の巣窟となっていた。あの戦争のほんの少し前に叡山を訪ねたある僧侶の報告だと、山上にほとんど人はいなかったそうだ。ほとんどが麓の坂本あたりで豪遊に明け暮れ、さらには高利貸しまでして金を儲けていたそうな。そして女人禁制のはずの山の上にも女を多数連れ込んで囲っていたという。そんなものが本当の仏の教えだろうか?
「いかにも。御意!」
と返事をしたのは、ロレンソ兄であった。
「了斎殿が
信長殿の笑いは、得意げだった。その話が本当ならば、世間で言われているように信長殿が比叡山の総ての堂を焼き払ってそこにいた僧侶を皆殺しにしたというのは、どうも話の誇張だということになる。
さらに今の話にあったロレンソ兄と日乗という僧との論争も、前にフロイス師からも聞いたことがある。フロイス師もその場に居合わせていたとのことだった。
「だから坊主どもは人びとを騙し、己の私腹を肥やし、自己の欲望を満足させるためにだけ働いている、これでは人々の魂は救われない。そなたたちの目から見れば、まさしく仏魔にしか見えぬであろう。だからこそ、そなたたちがはるばる遠くから命懸けでこの国まで来てくれたのだろう。その志には礼を言わねばならぬな。ただし、そなたたちの教えもゆめこの国の仏教と同じ道をたどらぬように頼むぞ」
我われは複雑な思いで頭を下げた。
たった二、三の言葉での説明で地球が球であることを理解し納得してしまう人なのだ。やはり天才としか言いようがない。だが私の心の中には、信長殿が何気なく言った「元一つ」という言葉が印象に残っていた。
あの時と同じだ。ヤスフェの肌のことで尋ねられた時にヴァリニャーノ師が答えたその言葉の中にも、「元一つ」という同じ言葉がでたのをやけに覚えている。
そのヤスフェのことを思い出したその時、信長殿は、
「弥助!」
と階下に向かって大声で呼んだ。
「例のものをこれへ」
「はい!」
力強い聞きなれたヤスフェの声がして、しばらくしてヤスフェは大きな木の箱を一人でいくつも抱えてきた。それを信長殿の脇に置くと、信長殿はその中の一つの箱を開け、中から何やら干した果物を取り出した。
「前にバテレン殿方から頂いたあのバナナという果物は、真に美味であった。今日はそのお返しじゃ。予の本拠地の美濃の特産で、柿を干した
「甘い」
と言った。
「気に入らぬのならこの箱は取り下げさせるが、うまいと思うのなら進呈しよう。これらの箱の数なら、今ここにいる全員にいきわたるであろうから、南蛮寺へ持ち帰ってから皆で食せ」
ヴァリニャーノ師は頭を下げ、
「いただきます。かたじけのうござる」
と、これも日本語で挨拶した。信長殿が箱から出したのは、ちょうどここにいる司祭の数だけだった。私も食べてみた。見た目は
それを頂きながらヴァリニャーノ師は、例のヤスフェの
「そなたたちはいつごろまで安土に?」
と、聞いてきた。
「ひと月ほどはおります」
ヴァリニャーノ師が代表して答えた。
「であるか。では、また後日、あらためてお招き致そう」
そうして信長殿は立ち上がり、階下へと降りていった。
帰りもまた、来る時に案内してくれた
今度は大手の方から帰るという。
来る時も気になっていたが、黒金門を出ると、多くの一般庶民と思われる人びとが場内を多数うろついていた。しかも、城を見物しているという感じだ。それを武士たちは誰もとがめてはいない。
大手の門に続く道はやはり石段で、今度は下り坂だ。なんとかなりの幅の道で、しかもほどんど曲がることなくまっすぐだった。左右は信長殿の家来たちのものと思われる屋敷の白い塀が続いていた。下へ行けばいくほど人々は多くなる。
ロレンソ兄のためには、信長殿は人が前と後ろで肩に担ぐ乗り物である
やがて坂の下に大きな門が見えてきた。その門から町の人たちが次々に入ってくる。よく見ると、門をくぐるところに箱があって、人びとはその箱に四角い穴のあいた硬貨を入れて入ってくるようだ。箱には一人の
ヴァリニャーノ師がそのことについて、案内の
さらにオルガンティーノ師が言うには、この城が完成した後の一定期間には、信長殿は本丸御殿でさえ庶民に有料で一般公開したのだという。実はその時の群衆の中に、オルガンティーノ師も混ざっていたとのことだった。
何から何まで新しいことをするのが信長殿という方なのだなと、我われはもう完全に舌を巻いていた。その宗教観もまさしくこの国としては新しい、天才的なひらめきによるもののようだと私は感じていた。彼が宗教には全く関心がない人というこれまでの先入観は、どうも違うようだ。
大手門を出てから
「いや、あの城内の寺とて、人びとの心をつかむための一種の
「はあ、そうですね」
私はそれしか返事のしようがなかった。そして私の頭の中に、ある言葉がよみがえった。それはゴアの
「……それでも悔い改めずに悪魔崇拝をするなら、それは悪魔です。人間じゃあない。だから、そういった人たちを火刑にしても、人を殺したことにはならない。その人が悔い改めてキリストを受け入れ、『
もしフロイス師の言う通りだったとすれば、信長殿の所業は例のゴアのパチェコ師の言葉と重なる。だが信長殿は
そんなことを私は考えていたが、我われの間でその話題はそれきりとなった。
そして
「あんな上機嫌の上様を見ることはめったにない。あなた方はどんな魔法をかけたのですか」
我われはただ苦笑するばかりだった。
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