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 翌日の日曜日のミサに、ヤスフェはにこにこの笑顔で現れた。

 三人ほど、首から十字架を下げた武士サムライも一緒だった。こうしてヤスフェの神学校セミナリヨ通いが始まった。

 ミサの後には彼は残ってもらって、洗礼のための公教要理カテキズモの勉強があったが、彼にはもう何も教えることはないくらいだった。主日もミサは神学校セミナリヨの学生を別枠にしても、礼拝室が満員になるくらいそこそこの信徒クリスティアーニが集まった。あの巨大な都よりも、この安土の方が信徒クリスティアーニの数は多いのではないかと思われるくらいだった。

 また、毎週ミサに与るかなり身分が高そうな武士サムライが目にとまった。武士サムライというよりもそのきらびやかな服装は殿トノといった感じで、他の信徒たちクリスティアーニも皆彼の姿を見ると、腰を低くして頭を下げるのであった。

 年の頃はまだ二十歳を少し出たくらいの若さだ。信徒クリスティアーノの武士たちも、「カンベ様、カンベ様」と呼んで恭しく接していた。カンベというのがその人の名らしい。ことにロレンソ兄とはかなり親しいようで、いつもミサの後には談笑する姿が見られた。

 私はある日、ロレンソ兄に武士サムライというか殿トノというか、そのカンベという人について尋ねてみた。

「ああ、神戸カンベ三七サンシチ殿ですね」

 やはりカンベという名だった。通称は三七殿というらしい。

「今では養子に出て神戸の家を継いでいますが、あの方は上様つまり信長様の三男です」

 あまりにさらりとロレンソ兄は言うので、私の一瞬聞き流しそうになって我に返った。

「信長殿の、お子?」

「はい」

 私はしばらく口をぽかんとあけていた。そう言われてみれば、信長殿とよく似た顔をしている。

 そして、ふと思い出した。我われが都からこの安土へ向けて出発する前夜に不意に教会を訪ねて来た貴人が、確か信長殿の三男といっていた。あの時は私は準備に忙しくてその貴人が帰る時の背中を見ただけで、その顔を直接は見ていなかった。

 だが、たしかにその信長殿の三男は教会に理解はあるが、まだ信徒クリスティアーノではないといっていたはずだ。

「信長殿のお子? キリシタンなのですか?」

「いえいえ」

 ロレンソ師は含み笑いを見せた。ではやはりそうかとも思うが、疑問も残った。

「しかし、ミサには毎週来ているし、しっかりと十字架を首からかけていましたよね」

「まだ洗礼は受けていませんが、お心はもすっかりキリシタンでしょう。普段もお屋敷ではキリシタンと変わらぬ生活をなさっているようです。ご本人も今にでもすぐに洗礼を受けたいとのことですが、何しろお父君である上様のお許しがないと勝手には受洗できないとのことで、まだ受洗の希望をお父君は話してはおらず、今はそれを話すために父君の顔色をうかがっているところだそうです」

「あの我われに親しげに接してくれた信長殿ならば、すぐにお許しくださるのでは?」

「たしかに上様はキリシタンを手厚く保護してくださってはおりますが、ご自身のお身内がキリシタンになるということになりますと話は別問題なのでしょう。ですから、なかなか切りだせずにいるようですよ。何しろお子様方でさえ、お父君である上様を恐れていますから」

 あのにこやかな信長殿の顔を思い出すにつけ、皆から恐れられているという話が私にはどうも実感がわかずにいた。

「ごミサには何人かお城のおさむらいがいましたでしょ。あの方たちは三七殿の御家中で、すでに洗礼を受けています」

 その三七殿の実の名は信孝ノブタカというのだそうだ。

 このことはすぐにでもヴァリニャーノ師のお耳に入れておかねばならないと私が上階に上がろうとすると、

「バテレン・ヴァリニャーノ様にお話しなさるのでしたら、もう一人お話ししておいた方がよい人がおりますね」

 と、ロレンソ兄は私を呼びとめた。もう一人とは、三七殿とほぼ同じ年ごろの一人の殿で、すでに受洗の準備をしているということだ。京極キョーゴク殿というその若い殿は信長殿に仕えて安土にいるが、その両親が今年の二月に洗礼を受けたのだという。

 もともとは信長殿の妹の婚家である浅井アザイ殿に仕えていたが、浅井殿が信長殿に背いて滅ぼされた後は信長殿に帰属したのだそうだ。父親は洗礼を受けた直後に他界し、母のマリアがこの安土から北へ半日ほどの距離のところに住んでいて、熱心な信徒クリスティアーナになっているという。そして彼女は、今は信長殿に仕えている息子の高次タカツグ殿が受洗するよう希望しているけれども、どうも本人が今一つその気ではないということらしい。

 ちなみにマリアは信長殿の妹の元夫の姉というから、信長殿とはかなり近い親戚といいうことになる。

 私は早速、ヴァリニャーノ師に以上のことを報告した。

「信長殿のお子が信徒クリスティアーノになってくれれば、この上ない喜びだね。まさしく『天主デウス』様のみ旨だ」

 と、ヴァリニャーノ師も目を輝かせてその話を聞いていた。


 そうこうしてあっというまに月日は過ぎ、我われが安土に来てからちょうどひと月後、その頃の五月十四日の日曜日がこの年の聖霊降臨ペンテコステの祝日だった。

 その数日前の夕食の席でフロイス師はヴァリニャーノ師に、北陸ホクリクという土地に行きたいということを申し出た。

「ここから北の土地です。そこの越前エチゼンという場所にジュストのお父上がいらっしゃいます。実は先月、高槻に行った時にお父上の姿が見えないので不審に思っていたのですが、オルガンティーノ神父パードレ・オルガンティーノの話では四年前に私が都から豊後に行ったその直後にお父上のダリオとジュストが仕えていた荒木アラキという殿が信長殿に謀反を起こし、ジュストは途中で信長殿に寝返ったために高槻城主の地位は失いませんでしたけれど、お父上のダリオは荒木殿の謀反が鎮圧されてからとらえられて、今では越前に追放されています。越前の殿は信長殿の家来ケライ柴田シバタ殿で、ダリオはその柴田殿に預けられているということです。そしてこれもまたオルガンティーノ神父パードレ・オルガンティーノから伺ったのですが、ダリオは告解と聖体拝領のため、また越前での布教のために司祭を一人よこしてほしいとたびたびこの安土の神学校セミナリヨにまで要請があったとのことです。ただ、オルガンティーノ神父パードレ・オルガンティーノはなかなか安土の神学校セミナリヨを離れるわけにもいかないので延び延びになっていましたけれど、私がちょうど来たからにはダリオをいつまでも待たせたままでは申し訳ないので、これを機に私が行かせて頂きたいのですが。また豊後に戻ってからだともう機会はほとんどなくなるでしょうから」

 それを聞いたヴァリニャーノ師は、目をつぶって少し考えていた。さらにフロイス師は日本人の修道士の同行を求め、

「できればロレンソイルマン・ロレンソを」

 と頼んだ。ヴァリニャーノはフロイス師の北陸行きは認めるとしたが、

「ロレンソイルマン・ロレンソには別の任務をお願いしたいと考えています」

 ということで、同行はもう一人の日本人の説教師であるヴィセンテ兄イルマン・ヴィセンテに決まった。私が臼杵で日本語の特訓を受けたあの老人のパウロ兄の子息なのだという。修道士に子供がいるというのもおかしな話だが、パウロ兄は信徒歴は長いがイエズス会に入ったのは去年のことで、しかも親子一緒にであった。

 そうこうして聖霊降臨の祝日がやってきた。週日ミサは持ち回りだったが、主日のミサはいつもオルガンティーノ師の司式だった。だが、この日だけは特別な日ということでヴァリニャーノ師が司式司祭となった。復活を祝う五十日間の最後の日に当たるこの祝日の、ヴァリニャーノ師の祭服は赤だった。

 そしてこの式典中に、ヤスフェへの洗礼が執り行われた。代父はいつも共にミサに与っている織田家の家来ケライのうちの一人だった。本当にヤスフェは感無量という感じだった。洗礼式が終わってからその首に十字架がかかられた。これはヴァリニャーノ師が自らヤスフェのために安土城下の職人に作らせたものだった。

 閉祭時にヴァリニャーノ師がミサの最後を告げる「イテ・ミサ・エスト(行きましょう、主の平和のうちに)」という言葉と同時に、私やオルガンティーノ師、トスカネロ兄は赤い花の花びらが大量に堂内にまいた。これはヴァリニャーノ師の指示であるが、我われにとっては当然のことであった。

 あとでフロイス師からそのことを尋ねられたので、イタリア半島諸国では聖霊降臨ペンテコステのミサの式典中に聖霊降臨の時に天から降った舌の形の炎を表す赤いバラの花びらを大量に堂内にまくのだとヴァリニャーノ師が説明していた。

 故国のしきたり通りにやりたいというのがヴァリニャーノ師の考えだったが、日本には栽培された赤いバラというのはなく、また野ばらも白い花ばかりなので、バラということはあきらめざるを得なかった。

 そこで妥協して私とトスカネロ兄は事前に湖のほとりで、種類は問わずとにかく自生する赤い花を探してその花びらを採集しておいたのだった。

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