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 我われは復活の主日パスクアのミサが終わった後の午後には、高槻を後にして都へ向かうことになった。本来なら高槻は一通過点だったのだが、ちょうど聖週間セティマナ・サンタと重なったために復活祭パスクアの日まで高槻に滞在したのである。


 復活徹夜祭も終わった後、束の間の休息であった。

「去年の今頃は」

 と、ふとヴァリニャーノ師が言った。

「ちょうど有馬の殿と竜造寺との戦争の最中で、そんな中での復活祭パスクアだった。あれから一年たつのか」

 それを聞いて、私はもっと感慨深かった。去年の今頃、私はまだマカオにいた。あの聖香油事件で大騒ぎをし、そして『天主ディオ』の奇跡的なお仕組みの元で無事に司祭に叙階されたのも去年の今頃。あれから一年、遠い昔のようにも思えるし、もう一年たったのかというような気持ちもあった。ただ、本当にこの一年はめまぐるしく、いろんなことがありすぎたとだけはいえた。

 私がそんな感傷にふけっている間に、司祭団の話題はジュストのことになっていた。ジュストをよく知っているオルガンティーノ師やフロイス師が特に今回彼と初対面だった我われに話してくれたことによると、ジュストは教会でたびたび「十戒コマンダメンティ」について領民の信徒クリスティアーノたちに解説して聞かせているという。彼らはそれをポルトガル語で「マンダメントス」と呼んでいるが、その内容はジュストによってほとんど日本語に訳されていた。さらに「慈悲の掟」十四カ条を日本語で領民にたびたび説き、また自らもそれを実践しているという。例えば彼は領民の信徒クリスティアーノが亡くなるとその葬儀に参列し、領主である彼が自らその棺を担ぐのだという。

「彼は領民に、領主としての権限で信徒クリスティアーノになることを強要したことは一度もありません」

 と、オルガンティーノ師が語ってくれた。自ら教えを実践し、その姿で人びとを導き、今日の信徒総数一万五千人という数字になったのだろう。

「すべて彼の教えを実践する姿と、領民の間に入って共に生きる生き方、そういったものが人びとを導いた。我われ司祭はこの国では宣教師でもあるはずですけれども、彼の方がはるかに優秀な宣教師です」

 たしかにそうなると、我われの方が恥ずかしくなる。

「これこそ、後ろ姿で導くということでしょうね」

 オルガンティーノ師はいつもの笑顔に戻り、

「本当に、ジュストは今すぐ叙階して司祭になってもらってもいいくらいですな」

 と言って高らかに笑った。

 

 復活祭の主日のミサは、早朝の日出よりも二時間も前から始められた。次から次へと信徒は押し寄せ、教会堂は満員の状態だった。またもや聖体拝領には莫大な時間を費やした。

 この日のクリーマックス(クライマックス)はミサの後に行われる市内パラータ(パレード)であろう。ミサが終わる頃からもう外が騒がしく、いざ出発となって外に出た時には面喰めんくらった。

 すでに教会前の城内の広場にはおびただしい群衆が押し寄せており、その顔は喜びに満ち溢れ、手にはいろいろな絵が描かれた提灯チョーチンがあって、また多くの所で十字架や聖なるお姿の絵が描かれた旗も見られた。

 そして十字架を先頭に、白い祭服のヴァリニャーノ師と我われ司祭団が動き出すと、群衆もそれについてゆっくりと動きだした。北の門から場外へ出て、市内をゆっくりと回り、南の門から再び城内へ入って教会へ戻る。このおびただし数の行列は、先頭が北の門を出てから最後尾が出るまでにかなりの時間を要した。

 ざっと二万人近くはいそうで、この町の信徒の数を上回っている。恐らくは都や美濃など近隣地域の信徒が話を聞いて押し寄せて来ているのだろう。また、信徒ではない人ももの珍しさから加わっているかもしれない。そしてパラータ(パレード)に参加している人ばかりではなく、沿道にはそれを見物する人々でごった返し、まさしく空前絶後の群衆で高槻の町があふれ返った瞬間だった。

 これこそ長く歴史に刻まれる日本での復活祭となるであろうことを、私は感じていた。

 私の少し前を歩くヴァリニャーノ師の後ろ姿を見て、その肩が震えているのを私は感じた。私だけではなく、ともにいた司祭団の誰もがそれを目撃しただろう。ヴァリニャーノ師は明らかに泣いていた。そして私は彼が、

「まるでローマにいるみたいだ。いや、ここはローマなのだ」

 と、イタリア語でつぶやくのを私ははっきりと聞いた。

 

 そのあとの司祭館での朝食は、領主で城主でもあるジュストも同席していた。しかし相変わらず、彼はいちばん下座に席をとっていた。

 この後すぐに我われは都に向かって旅立つことになっている。当然、ジュストは何度も何度も我われを引きとめた。そして、ついに彼も泣いた。だが、いくらジュストの涙を見たとて、予定は変更できない。

「それならば、聖体の祝日コルプス・クリスティにはまた必ずこの高槻にいらしてください。約束ですよ。お待ちしています。なにしろ今回はあまりに急だったので、十分なおもてなしの準備もできませんでしたから」

「もちろん。先のことは分かりませんが、この約束を『天主デウス』が実現させてくださることを祈りましょう」

 またここでも、ヴァリニャーノ師は涙を流していた。ほかの司祭たちも、皆もらい泣きであった。

 この一人の領主の人徳が領民の七割を信徒にしている。だがこの時の私はその残りの三割のことに気をとめてはいなかった。表の世界ばかりを見て、その裏にまでは思いが至っていなかったのである。

 

 フルラネッティ師は高槻に残るがそれでも堺を出た時よりも人数はだんだん増えた我われ一行は、ジュストとの別れを惜しみつつも都へと向かった。司祭もオルガンティーノ師とセスペデス師の二名が増えた。さらには安土に帰る二十五人ほどの神学生もともにいる。もうすでにヴァリニャーノ師の腰も回復し、再び馬に乗れるようになっていた。

 都までは大きな川である淀川ヨド・ヒューメ沿いに北上する。道の左右の遠くに山は見えるが、概ね平地が続いていた。この国では平らな土地が広いというだけで、特筆すべきことなのである。やはりこの国は島である。

 そして遠くの山はもちろん、平地のあちこちに点在する木の枝にローザ(ピンク)の花がぎっしりと付いているのが見えた。まだつぼみも多く、完全には開ききっていないようだったが、私にとっては初めて見る木の花であった。

「この国独特の木に咲く花です。全部咲いたらきれいですよ」

 と、オルガンティーノ師が馬上振り返って、ニコニコして私に説明してくれた。この中で、日本の春が初めてなのは私だけだということを、師も知っている。

サクラという花です。まあ、我われの国のチリェージョ(チェリー)に近い種類ですがね、ちょっと違います。あ、いや、だいぶ違う。実は成りませんしね」

「山全体がこの桜だという所もありますよ」

 と、フロイス師も話に入ってきた。

「ただ、一年のうちで花が開く時期はとても短くて一週間くらいだけです。だからこそ、この国ではとても人気があります」

 一本一本単体で生えている木の花もきれいなのに、この木がぎっしりと集まったらどんなきれいだろうかと私は想像を巡らせていた。

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