Episodio 3 ローマの復活祭(Takatsuki)

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 翌日―聖水曜日の朝、まだ明けきらぬ前に私は教会の鐘の音で目覚めた。私の部屋は障子を開けると往来がよく見える二階であった。

 すると、しばらくしてから石垣の中へ続く門から三人ばかりの人が姿を現し、教会の方へ歩いてくる。よく見ると中央はジュストで、あとの二人はお付きの武士サムライのようであった。そのまま三人は教会の御聖堂おみどうの中へ入って行った。

 私も慌てて御聖堂へと向かった。日の出とともに朝の祈りロディ・マットゥティーネが始まる。本来は聖職者のみの務めである時課オーレ・コノニケの朝の祈りを捧げるため、ドン・ジュストはこうして毎朝、誰よりも早く朝一番に教会にやって来るのだという。

「おはようございます。昨日はよくお休みになれましたか?」

 ジュストは我われにまずはそう言ってさわやかに挨拶をした。


 そしてその日は、翌日から始まる聖週間の一連の典礼の準備で大忙しだった。教会の御聖堂を式典にふさわしく飾りつけ、聖具もすべて燭台から香炉に至るまで本格的なものばかりであった。

 そして何よりも目玉となったのは、豊後ブンゴから運んできたオルガノ・ディ・トゥーボ( パ イ プ オ ル ガ ン )であった。もっと正確には、リスボンからはるばる運ばれてきた代物である。もちろんポルトガルやローマの教会にあるような重々しいものではなく、持ち運びできる組み立て式のものであったが日本では初めてといえるのではないかと思う。

 これには手伝いに来ていたジュストも目を見開いて驚いていたし、オルガンティーノ師でさえ、

「日本でオルガノ・ディ・トゥーボ( パ イ プ オ ル ガ ン )が見られるとは思っていなかった」

 と、驚嘆の声を上げていた。その組み立て作業を見ながら、集まっていた我われにオルガンティーノ師は、

安土アヅチでも神学校セミナーリオのオルガンがその美しい音色でたくさんの人を集めています。まさしく天国の音楽だと、安土の信徒クリスティアーニはその音に導かれて神学校セミナーリオを訪れたのかもしれない。まさしく、オルガーノ(オルガン)こそが福音宣教の武器、安土の信徒を集めたのもオルガーノ(オルガン)。そのオルガーノ(オルガン)をいちばん愛して、その音色をいちばん使いこなしたのは私」

 と言い、そしてそのあとだけ日本語で、

「なぜなら、オルガーノを使いこなす拙者の名前はオルガンティーノ」

 と高らかに笑った。人びとの間でも和やかな雰囲気が流れた。

 この司祭と接していると、魂が明るくなる気がする。安土の信徒クリスティアーニを集めたのはオルガーノ(オルガン)だなどと謙遜しているが、実際はオルガーノならぬオルガンティーノ師の人柄だろう。

 こういうことを言うと不遜のように思えて申し訳ないが、今は豊後にいる、とあるあのお方とは対照的だとふと感じていた。


 その日の午後、二十五名ほどの少年たちが修道士に引率されて到着した。私は都から来たと思い込んでいたが、あれは安土の神学校セミナリオで学ぶ学生たちでもあるということだ。

「聖歌隊が来ましたね」

 と、オルガンティーノ師もうれしそうだった。そこに我われが豊後から連れてきた少年、伊東ジェロニモが彼らに紹介された。これまでジェロニモは我われと行動を共にしていたが、ここではじめて我らの庇護下を離れて安土の神学生たちと合流することになった。

 

 そして翌日の朝、聖木曜日のミサが執り行われた。本来、この日のミサはその教会に属する信徒クリスティアーニすべてが参列することが原則とされている。

 聞けば高槻にはほかにも二十ヶ所ほど教会があるという。教会とはいっても常駐司祭がおらずにミサが行われないのだから集会所か礼拝堂とでも呼ぶべきかもしれないが、それぞれの教会を中心に生活する信徒クリスティアーニを振り分けても、この城内の教会の信徒クリスティアーニは相当な数になって、全員が参列したら当然入りきれないはずだ。

 たしかに次々に城門をくぐってミサに参列する信徒クリスティアーニの数は後を絶たず、たちまち御聖堂は信徒クリスティアーニであふれた。

 そのような中、厳粛に典礼は始まった。司式司祭は当然のことヴァリニャーノ師で、きらびやかな白い祭服は人びとの目を引いた。ミサが始まると、オルガノ・ディ・トゥーボ( パ イ プ オ ル ガ ン )の天国の音楽のような音色が聖堂の内外に響き、そこに安土から来た少年たちの聖歌隊による澄んだラテン語での歌声が重なって、まるで天国の香りが漂っているようにさえ感じた。

 集まった会衆は初めて聞くオルガノ・ディ・トゥーボ( パ イ プ オ ル ガ ン )の音はどのように聞こえているのだろうかと、私は一人ひとりに聞いてみたいような衝動を抑えていた。

 ミサは進み、オルガノ・ディ・トゥーボ( パ イ プ オ ル ガ ン )に合わせて聖歌隊の「栄光の賛歌グロリア」が鳴り響いた。

Gloria天のいと高き in所には excélsis天主に Deo栄光, Et in terra pax地には homínibus善意の人に bonae平和あれ voluntátis.~」

 我われにとっても久々に聞く「栄光の賛歌」だ。四旬節の間はミサの中で、この「栄光の賛歌」は歌われないことになっているので、この歌声によっていよいよ四旬節も終わったということが示されている。

 そして、参列した多くの人びとが聖体拝領をし、祭壇の前に横一列に跪いて並んだ信徒たちクリスティアーにの口に御聖体が配られ、次々に列が入れ替わっても、全員が聖体拝領を完了するまでそこだけで三十分以上の時間がかかかった。

 このミサは、キリストの最後の晩餐における聖体の聖別を記念するものであるとともに、罪びとと『天主ディオ』との和解のミサでもある。

 このミサの後で、長門殿ナガト・ドノと呼ばれていた一人の若い貴人が会衆の前でその罪を告白した。それは洗礼を受けるに当たってそれまで賭博に手を染めていたことから一切足を洗うと誓ったが、またその賭博に手を染めてしまったというものであった。彼はこの高槻の者ではなく、近隣の土地から来た城主のそばに仕えるよう人だということであった。そして償いとしてもろ肌脱いで座り、人びとの前で自分で自分の体を鞭で打つという鞭打ちの苦行を行った。

 会衆の多くは商人や農民である。そういった階級の人びとの前で貴人が苦行を行うという光景は、教会以外ではこの国のどこであっても見られないであろう。まさしく『天主ディオ』の前では人為の階級など存在しない平等があるだけだということを如実に物語る感動的な出来事で、多くの日本人の会衆も感銘を受けていた。

 ミサの後でさらに洗足式ペドム・ローティオが行われ、ヴァリニャーノ師は選ばれた日本人の十二人の農民や町の一般市民の足を洗った。

 引き続き御聖体を墓の幕屋に安置する聖体安置式が行われ、聖歌「パンジェ・リンガ」の合唱が伴奏なしで流れる中、御聖体を入れた聖櫃を胸に持つヴァリニャーノ師が御み堂の祭壇とは別の部屋に設けられた墓の幕屋までゆっくりと行進する。我われ司祭団もその前後を手にろうそくを持って行列に加わるのだが、ヴァリニャーノ師の頭上に傘のような形態の天蓋をもさしかけているのは、普通はその地方の領主が務めることになっている通り、ドン・ジュストであった。

 そして祭壇上の蝋燭も一切の聖具もかたづけられ、黒い幕で覆われた。その日は夕方の荘厳なる晩の祈りで締めくくられた。


 翌日、ヴァリニャーノ師の祭服は色が替わって真紅の祭服となった。午前中に十字架礼拝の行列が行われ、聖歌隊がやはり伴奏なしで「クルクス・フィデーリス」を歌う中、教会の前の階段の上の十字架に人びとは列をなして拝礼した。

 午後はみ言葉の祭儀で、慣例通りにヨハネの福音書が朗読されたが、日本の教会の特例としてフロイス師がその内容を会衆に日本語で伝え、共にキリストの受難を分かち合った。

 それから共同祈願となり、「ユダヤ人のための代願」も慣例通り捧げられた。この日の聖体拝領は司式司祭のヴァリニャーノ師のみが拝領し、会衆の聖体拝領はない。


 そして土曜日、この日の日没からがいよいよ復活徹夜祭ビジーラ・パシャーリスである。

 ヴァリニャーノ師の祭服は赤から再び白に戻り、まずは十字架を先頭に会衆全員が手に小さなろうそくを持っての光の行列があった。続いてヴァリニャーノ師が「復活賛歌エクサルテット」を高らかに歌い上げた。

 この日、二日ぶりに聖堂内にオルガノ・ディ・トゥーボ( パ イ プ オ ル ガ ン )の音色が響いた。そして聖歌隊による「栄光の賛歌グロリア」で祭壇上の黒い幕が全部取り払われ、元の祭壇へと戻った。そして典礼は、聖書の朗読によるみ言葉の祭儀へと移っていった。

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