2

 高槻タカツキまでは半日もあれば着くという。途中、すぐ近くの結城殿、すなわちドン・ジョアンの居城である岡山オカヤマに行き、そこの教会堂でヴァリニャーノ師の司式でミサが捧げられた。ここの教会は目を見張るような美しさで、スナという土地にあるので砂の教会と呼ばれていた。

 岡山ではミサを挙げただけで多くの信徒クリスティアーニに見送られながらそこを後にし、我われの行列は高槻を目指した。

 その途中、旧知のオルガンティーノ師とフロイス師はもちろんだが、オルガンティーノ師とヴァリニャーノ師も話が弾んでいた。しかも二人は堂々とイタリア語で話し、オルガンティーノ師はそのまま私やトスカネロ兄にも話をふった。そこに時折フルラネッティ師も話に加わり、皆が堂々とイタリア語で会話した。このようなことは久しぶり、いや日本に来てからは初めてであった。


 やがて、ヨド川という大きな川を馬ごと船で運んでもらうと、対岸にものすごい数の人びとがいるのが見えた。そして船が着くや人びとからは歓声が上がり、その喜びに満ちた笑顔から、それが我われを出迎えてくれた信徒の大群であることはすぐに分かった。その人びとの群れの中の最前列に武士サムライたちに警護されながら若い貴人が一人立って、こちらを見て手を振っていた。

「おお、ドン・ジュスト」

 と、オルガンティーノ師が感嘆の声を上げた。

「高槻の城の殿トノ、ドン・ジュスト高山右近殿タカヤマウコン・ドノですよ」

殿トノ?」

 私は一瞬耳を疑った。その周りに一緒に並んで我われに歓声を上げているのは城の武士サムライでも偉い人たちでもなく、その服装から普通の領民たちのようだ。その若い殿トノはそんなふうに、領主でありながら自分が治める領地の領民と同列に立って我われに手を振っているのである。しかも、普通の日本の着物キモノを着てはいるが、首には我われの国の貴人が用いる襞襟ゴルジェーラを着用し、胸元には大きな十字架を下げていた。

「間違いないです。私もドン・ジュストがあのような方だということは聞いていました」

 と、そのドン・ジュストの方へ歩きながらヴァリニャーノ師も言った。

 我われがドン・ジュストの前まで行くと、ドン・ジュストはまずオルガンティーノ師に深く頭を下げ、

「ご苦労様です」

 と言った。その脇には女性と、それに手を引かれた五、六歳の男の子がいた。

 さらにドン・ジュストは我われの中にフロイス師を見つけ、

「おなつかしうございます。お変わりはございませんか」

 と、フロイス師の前でにこにこしながらまた頭を下げた。

「お久しぶりですね。あなたこそお元気そうでなによりです」

 フロイス師もそう言うと、ドン・ジュストは、

「天竺よりおいでになった偉いバテレン様はどの方でしょうか」

 とフロイス師に尋ねた。フロイス師がヴァリニャーノ師を示すとドン・ジュストはすぐにその前に行き、なんと驚いたことに、

「はじめまして。ジュストと申します。わざわざこの地においで頂き光栄です」

 と流暢なポルトガル語で言ったのである。

 教会にいる同宿や説教師でポルトガル語を話す日本人もいることはいるが、殿でポルトガル語を話す人とは初めて会った。

「妻のジュスタと息子のジョアンです」

 ドン・ジュストの妻も頭を下げ、その息子もしっかりと礼をなした。そしてその背後から顔を出したのは、我われと同じエウローパの人で、スータンと帽子からやはり我われと同じ司祭であると分かった。

ミヤコの教会にいるグレゴリオ・セスペデス神父パードレ・グレゴリオ・セスペデスです」

 と、オルガンティーノ師がヴァリニャーノ師に紹介しているのを聞いて、私もその司祭の名を知った。その名から明らかにスパーニャ人である。私とほぼ同世代だった。笑顔でヴァリニャーノ師と握手し、我われには目礼をした。

「さ、皆さん。行きましょう」

 と、笑みと共にまたもやポルトガル語で我われを促し、ドン・ジュストは馬に乗った。

 

 それからというもの、街道の両脇には延々と人垣ができていて我われが通ると歓声を上げてくれた。

「皆さん、高槻の信徒クリスティアーニなのですか?」

 と、私はオルガンティーノ師に聞いてみた。

「そうですよ。驚いたでしょう?」

 おどけて笑いながら、馬上からオルガンティーノ師は言った。

「どのくらいいるのですか?」

「今は高槻だけで一万五千人はいますね」

 私は言葉が出なかった。さらに聞けば、高槻の人口は二万人くらいだというから、ほぼ七割が信徒クリスティアーニだということになる。

 高槻の町が見えてきた。町へ入ると、ここでも信徒クリスティアーニたちの大歓迎を受けた。まずは教会へということであったが、この城の主人であるドン・ジュストに先導されるまま一行の乗る馬の脚はそのまま城門をくぐり、城内へと入っていった。城門の脇からその中へ続く道の左右には武士サムライたちが一列に並び、我われへの歓迎の意を表していた。

 高槻の城は町の中央にあり、城といっても山の上でも丘の上でもなく、全くの平地に造られていた。一応城らしく堀に囲まれ、石垣が築かれているのでただの屋敷とは違うようだが、石垣の中へ入ってしまえばそこは屋敷だった。

 堀の橋を渡って門をくぐり、さらに内側の堀に沿ったかなり広い道をまっすぐに進む。左手の堀の向こうは石垣で、その中がこのシロ殿トノのいる屋敷のようだ。堀に突き当たって左に折れると、左手に屋敷へ通じる橋と門が見えたがそちらへは行かず、逆に右に曲がるとそこに巨大な十字架が屋根の上にそびえる教会が見えた。

 教会堂は二階建てで、二階の部分の屋根は三角形が四つ集まった形をしていた。その向こうが日本建築の平屋の屋敷の司祭館だ。かなり広い庭もあって、そこには大きな池があるのが見える。さらに第一印象として庭全体がまるで花畑のように、折しも春の日差しの中で多くの色とりどりの花が満開に一面に咲き誇っていた。そして池の手前には前方と左右に三つの階段を持つ台の上に大きな十字架が立てられていた。

 まずは、我われは御聖堂おみどうへ直行し、到着の感謝の祈りを捧げた。そして司祭館でくつろぐよう、ドン・ジュストの配慮を受けた。

 その日の夜はドン・ジュストが司祭館の方まで出向いて来てくれて、簡単な会食をした。ここでも我われが上座で、ドン・ジュストは一番下座に席をとっていた。

「四旬節でなければもっとおもてなしができるのですが」

 と恐縮するドン・ジュストにヴァリニャーノ師は、

「とんでもありません。あなたとこうしてお会いできたというだけで、私には最大の恵みです」

 と、日本語で言った。それに対して、

「いえいえ、はるばるローマから巡察師においで頂けたということこそ、我われ高槻の信徒にとっては最大の恵みですよ」

 と返すドン・ジュストはポルトガル語で、なんとも奇妙な会話だった。

「さらに今年のご復活にごミサをお上げ頂けるなんて、夢のようです」

 ドン・ジュストはうっすらと涙さえ浮かべているようだった。さらにはドン・ジュストと初対面のメシア師や私、トスカネロ兄にも一人ひとり言葉をかけてくれた。その気さくだが丁重な口ぶりといい笑顔といい、彼が一城の城主であり領主であるということを忘れてしまいそうになるほどであった。もう、古くからの友人と談笑しているような感覚なのだ。いや、彼の態度は友人というよりはむしろ、我われに仕える下僕のような態度でさえあった。

 ヴァリニャーノ師が、

「ドン・ジュスト」

 と呼びかけると、ドン・ジュストは笑いながら

「ドンはいりませんよ。ジュストで結構です」

 と言った。日本人は他人の名を呼ぶ時には、親子・夫婦のような家族や主君が家来を呼ぶ時などのほかは必ず名の後に「サマ」や「殿ドノ」などの敬称をつける。その日本人であるジュストが、自分への敬称を不要と言ってくれたのである。もはや我われを家族か、あるいは主君のように彼が感じている証拠だ。

 そして、我われが疲れているであろうと気遣い、とりわけ腰を痛めているヴァリニャーノ師の体に配慮して、ジュストは早々に切り上げて場内の屋敷に帰っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る