Episodio 4 南蛮寺(Miyako)

1

 歩いているうちに周りが薄暗くなってきた。フロイス師はミヤコはもうすぐだというが、月は夜半過ぎでないと昇らない頃である。真っ暗になると不都合なので、急ぐことにした。

 だが、案の定日はとっぷりと暮れてもまだ都には着かなかった。先頭を歩くヤスフェが松明たいまつをともした頃になって、ようやく道の行く手に民家が立ち並んでいるのが見えてきた。

 そしてやがて明らかに町と思われる所に入ったが、なにしろ暗くて松明の日だけでは町全体はよく見えなかった。だが、幅の広い道がひたすらまっすぐに続いており、その脇にずっと木でできた民家が同じ形で並んでいるが、どの家もすでに堅く戸を閉ざしていた。日本の民家は窓を板で覆うので、閉じてしまえばただの木の板の壁になってしまう。

 時折、交差する道との四つ角を越えながら、フロイス師に先導されつつ時々は角を曲がり、また曲がってまっすぐ進むなどしていくうちに、町に入ってからかなり歩いたという感覚になった。それでも町は終わらない。どこまでも巨大な町なのかと、私は驚いていた。

 当然、真っ暗なので道を歩いている人は全くいない。そして、この暗い中を道はまっすぐに同じような家がずっと左右に並んでいるだけなのに、フロイス師はよく道を間違えないなと感心した。やはりフロイス師にとっては長年住み慣れた土地勘のお蔭だろう。さらには、現時点でこの都に在住しているセスペデス師も我われと共にいる。間違えるわけもない。

 やがて少し細い道をまっすぐ進んでいるうちに、フロイス師が馬をとめた。

「着きましたよ」

 フロイス師の示す所に小さな門があった。ここが教会だという。周りは誰もいない。今までどこに行っても信徒クリスティアーノの大歓迎の中での到着で、それが癖になってしまっていたようだ。こんなに静かに、誰も人がいない所で「到着」とか言われても今一つ実感がわかなかった。

 我われが門を入ると、何人かの修道士が出迎えてくれた。そして出てきた司祭の顔を見て、私は自分の顔がぱっと輝くのが自分でも分かったくらいだ。

カリオン神父パードレ・カリオン!」

 私が叫ぶとカリオン師はヴァリニャーノ師と私の前へ来て、

「久しぶりですね」

 とにこにこしていた。ともにマカオで暮らし、ともに司祭に叙階し、ともに日本に渡ってきた仲間である。ほぼ同世代のスパーニャ人だ。

「ここにいたのですか。まだ口之津クチノツにいるものだとばかり」

 驚く私の横でヴァリニャーノ師はにこにこしている。ヴァリニャーノ師が知らないわけがないから、私にはあえて黙っていたようだ。

「あなた方が豊後に到着した頃かな、ヴァリニャーノ神父パードレ・ヴァリニャーノからの手紙で都に行くようにとのことでしたから、皆さんよりも先回りして来ていましたよ」

 そういって、カリオン師は笑った。

 もう一人いた司祭はジョバンニ・フランチェスコ師といった。ヴァリニャーノ師と同じくらいの年齢、すなわち四十歳くらいのようで、私と同名のその名前を聞けばもうイタリア人であることは明白だ。

「お待ちしていました。お会いできて光栄です」

 と、フランチェスコ師はヴァリニャーノ師にイタリア語で挨拶をした。

「とにかく、中へ入りましょう」

 と、オルガンティーノ師に促され、我われは靴を脱いだ。

 

 すぐに食事となった。

 その席上でオルガンティーノ師がヴァリニャーノ師に、

「さっそく信長殿ノブナガ・ドノに会いますか?」

 と聞いていた。

「もちろんです。でも、安土アヅチではなくて?」

「私もさっき到着してからカリオン神父パードレ・カリオンから聞いたのですけれど、信長殿ノブナガ・ドノは今、ミヤコに来ているそうですよ」

 それは願ってもないことだと、ヴァリニャーノ師は喜んでいた。信長殿ほどの人ともなるとこれまでの殿のように突然訪ねて会ってくれるような人ではないらしい。まずは面会の申し入れをし、許可が出てから日程を組むなどの事前手続きがいるようだ。

「信長殿に会えれば、日本についてもっとよく知ることができるでしょうな。残念ながら私が二年近く過ごした九州の地は、はっきり言って日本の西の辺境ですからね」

 そう言って、ヴァリニャーノ師は少し笑った。するとカリオン師が、

「分かりました。今日は遅いのでとにかく休んで、明日修道士イルマンを交渉に行かせましょう」

 と、言った。

 

 初めて訪れる町に夜の暗くなってから到着した場合、翌朝にやっとその町と対面することになる。私にとってミヤコもそしてこの教会もそうであった。そもそもミヤコというのがこの国の王都チッタ・インペリアーレという意味であるから、その規模はこれまでこの国で見てきたどの都市よりも桁違いなものだった。

 この教会の正式名称は「被昇天の聖母教会」で、献堂式も八月の聖母マリア被昇天の日に行われたそうだ。

 教会堂は三階建てで、我われはその二階にそれぞれ部屋が与えられた。三階はこの教会の常駐の司祭たち、すなわちカリオン師とセスペデス師、フランチェスコ師の固定した個室のようだ。

 二階は周囲を取り囲むように手摺りのついたベランダが四方についており、そのそれぞれの方角のベランダはつながっているので外に出て一周して景色を見渡すことができるようになっていた。そのベランダは日本のシロ天守テンシュの最上層によくあるもので、外廻縁ソトマワリエンというらしい。それがこの教会では最上層ではなく、一つ下の階の二階にあるのだ。私が朝の新鮮な空気を吸いながらそのベランダに出ていると、いつの間にか隣にオルガンティーノ師が出て来ていた。

「この都は道が縦横まっすぐになっていて、こちらが南ですね」

 オルガンティーノ師は、イタリア語で話しかけてきた。昨日、ここまで来る夜道でも感じていたが、たしかにまっすぐな道がスカッキ(チェス)の板の目ように縦横に延びている。このような町は日本では豊後の府内がそうだった。つまり、府内をそのまま拡大したような都市なのだ。

 しかもそれが東西と南北できちんと縦と横になっているという。目の下の、昨夜入ってきた門に面する道は東西に延びる道で、そう大きくはない。私はベランダを一周してみた。この巨大な都市は周りをそれほど高くない山に囲まれているが、山までは少し遠くてそこまでは平らな土地が広がっている。ただ、北東の一角だけほかよりも高い山が見えた。

 そして都の南側だけは山がなく、ずっと平らな土地が続いていた。聞けば高槻タカツキサカイもその南の方角にあるのだという。だから、高槻からここへ来るのに山を越えずに来られたわけである。

 北の方角、真北よりはちょっと東の遠くに緑が濃い四角いエリアがあるのが見えた。

「あそこが王城パラッツォ・レアレです」

 王城といっても城壁や巨大な建物などは見えない。ましてや普通の城のような堀もない。平らな区画に森が茂っているだけで、その中にいくつかの大きな屋根は見えた。ただ、ここからだとかなり遠そうであった。

「では、信長殿はあそこにいるのですか」

 と私が聞くと、オルガンティーノ師は笑って首を横に振った。

「信長殿はまだこの国全体の皇帝インペラトーレでもでもありませんよ。信長殿は今は…」

 そう言ってからオルガンティーノ師は、ベランダをぐるりと回って西側の部分に行った。

「あそこにいます」

 オルガンティーノ師が指さしたのは真正面、つまり真西だった。

「え? こんな近くにいるのですか?」

 たしかに歩いても数分しかからないであろうと思われる場所を、オルガンティーノ師は指さしたのだ。教会から西に当たるその場所には、大きな屋根がいくつも見えた。形から仏教のテラのようであった。

テラ…ですか?」

「はい、たしかに寺です。本能寺ホンノージといいますけれどね、信長殿は去年、そのテラの一角の建物の僧侶を追い出してそこに自分の屋敷を造りました。だはら、テラに住んでいるわけではありませんよ」

 そういって、オルガンティーノ師はまた笑った。

「信長殿は皇帝インペラトーレでもでもないとしたら、何なのですか?」

大臣ミニストロです」

「どういうことですか?」

「そのへんのいきさつは複雑なので、あとでヴァリニャーノ神父パードレ・ヴァリニャーノやほかの皆さんも一緒にいる時に説明しましょう」

 そう言ってオルガンティーノ師はまた笑った。

 

 朝のミサは教会堂の一階にある御聖堂おみどうで行われた。

 週日ミサなので一般の参列者はほとんどいないだろうと思っていたが、高槻では多くの市民の信徒が毎日週日のミサにも参列していたことを思い出して御聖堂に行ってみると、果たして一般の参列者はひと組の中年の夫婦のみだった。他は神学生たちだ。一般参列者の中年の夫婦は、身なりからどうも商人のようだ。

 ところがその顔を見たとたん、普段表情をあまり表に出さないフロイス師が相好を崩して速足でそばにより、

「ドン・ジョアキム」

 と、大きな声で呼びかけた。タタミの上に座ってミサが始まるのを待っていたその夫婦もフロイス師の声で振り向き、フロイス師の顔を見るや慌てて立ち上がった。

「おや、フロイスさま。こちらに戻って来はったのですか」

「昨日、着きました。久しぶりの都です」

「それはそれは」

 ジョアキムと呼ばれた商人もうれしそうな顔だった。

 フロイス師に遅れて御聖堂に入ったヴァリニャーノ師をはじめとする我われに、フロイス師もうれしさを隠しきれない様子で、

「こちらは古い信徒の方です。私も大変お世話になった」

「堺の薬屋の小西屋の隆佐リューサと申します。今は都で商いさせてもろてますが、わては、霊名で言うた方がよろしゅうおまんな、わてはジョアキム、こちらが家内のマグダレナでございます」

 ヴァリニャーノ師も我われも立ったまま、日本式に頭を下げて挨拶をした。フロイス師がヴァリニャーノ師のことを簡単にドン・ジョアキムに紹介していた。そしてフロイス師はヴァリニャーノ師にはポルトガル語でドン・ジョアキムのことを語った。

「この方は薬屋といいましても、堺でもあのディオゴの日比屋と同じくらいの大きなお店です。かつてディオゴと共にザビエル師の都での布教にも協力してくださった方で、実に古い我われの友人です。都で布教が禁じられた時にもディオゴとこの方とのお蔭で我われは堺へと逃げることができましたし、信長殿に初めてお会いしたのも今は亡き和田ワダ殿という殿とこの方の手引でした」

 その言葉を、オルガンティーノ師が受けた。

「私が初めて安土へ行った時も、わざわざ同行してくださいましたね」

「そうですか」

 ヴァリニャーノ師がその話に興味を示した時に、すぐにセスペデス師の司式でミサが始まった。我われはそこで沈黙を守った。


 ミサが終わるとすぐにヴァリニャーノ師はカリオン師を呼んだ。

「昨日、修道士を本能寺に行かせると言っていましたけれど、この方に行ってもらいましょう」

 本人の目の前だが、ポルトガル語だからドン・ジョアキムは分からなかっただろう。そこでヴァリニャーノ師は自ら日本語で、

「お願いしたいことがございます」

 と、ドン・ジョアキムに言った。そしてすぐにフロイス師に目で合図して、あとはフロイス師の通訳をあてにして、自分たちが信長殿に面会したいこと、その仲立ちをまたドン・ジョアキムにしてもらいたい旨をフロイス師からドン・ジョアキムに伝えてもらった。

「一度お屋敷に戻られてからで大丈夫ですから」

 ヴァリニャーノ師は自分でそう付け加えたが、すぐにドン・ジョアキムは立ち上がった。

「一度屋敷に戻るとまた出直してくるのも難儀ですさかい、今行ってきますわ。ここと本能寺は目と鼻の先ですしな」

 そう言って頭を下げると、ドン・ジョアキムは妻を御聖堂に置いて一人で出て行った。

 その後で朝食となったが、朝食は教会堂と渡り廊下でつながっている平屋の別棟でだった。ここは集会や説教が行われる場所なのだという。この日は、神学生たちの宿泊の場所となっていた。教会堂は三階建てで一階と二階の間、二階と三階の間には四方に屋根があり、三階の屋根だけシロ天守テンシュの最上階と同じような屋根だったが、その中央に十字架がそびえていた。周りが平屋ばかりの民家なので、教会堂は周囲からもかなり目立っていた。

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