Episodio 6 大友宗麟(Bungo)
1
野津から府内までの道は最初は山道だったが、午後になってから急に視界が開けた。あとは、ほぼ平坦な道だ。時々森の茂った丘があり、また遠くにはさほど高くはない山並みが横たわって利しているが、道の左右は田んぼだった。ずっと川に沿って北上する形となった。
やがて道は、その川を西へと渡り、またさらに北上した。進むにつれて、川幅はどんどん広くなっていく。
「もうここまで来れば、府内に着いたも同然です」
と、カブラル師が馬上から一行を振り返っていった。
たしかに道の両側の水田は少なくなり、民家が立ち並ぶようになった。
そして夕日が左手の方から照りつける頃には、道は左右にぎっしりと家が立ち並ぶ大きな町へと入っていった。
時々超える四つ辻の右の方はすぐに川で行き止まりだが、左の方へはさらに道がまっすぐにのび、ずっと民家が続いている。そんな道をいくつも越えた。人通りも多くなった。民家は平屋造りで、屋根は木の板であり、大きな石がいくつも乗せられている。見渡すと大きな瓦の屋根の建物も時々あったりした。異教徒の礼拝所である
私が日本に来て、初めて訪れる本格的な都市だ。都市の入り口から街の中をだいぶ歩いても、まだ目的地には着かない。時々商家と思われる大きな建物もいくつもあり、また市場と思しき場所は特に人が多かった。道も広く、どこまでも町全体に清潔感があふれている。驚いたのが割と広い道がどこまでもまっすぐに延び、そのようなまっすぐな道がタテヨコ十字に組み合わさって町ができている。ローマやリスボンも、そしてこの国で私がこれまで行ったどの町も、道は複雑に入り組んでいた。こんなまっすぐな道が何本も縦と横にきれいに組み合わさってできた、いわば
あのリスボンにはまだ及ばないであろうが、現在のローマの町よりかはかなり大きいようで、人口も数万人はいるだろう。もっともかつてのローマ帝国の都として繁栄を極めたローマも、今ではその頃に比べてかなり縮小され、人口も一万五千ほどしかいなくなっている。
我われが行くと町の人びとは歩みを止めてじっと我われを凝視し、時々多くの人が寄ってきたりして人垣ができ、その視線の中を我われは進んだ。やはり我われのような違う顔つきの、違う服装の異国のものは珍しいのかなと思っていたら、カブラル師が、
「やけに今回は人びとから好奇の目で見られる。私の眼鏡は見慣れているはずなのに」
と、独り言のように馬上で言った。そういえばカブラル師は今回の旅の途中で、この国には眼鏡はないのでかつて町を歩いたら眼鏡を好奇の目で見られ、異国の宣教師は目が四つあると噂されたこともあると笑い話として話してくれたこともあった。
しかしこの町には教会もあって司祭や修道士などの宣教師も多くいるはずであり、またポルトガルの商人もたくさんこの町には住んでいるということだ。なのになぜ今頃好奇の目で見られるのか……その原因はすぐに分かった。
彼らが好奇の目で見ているのは馬上の司祭・修道士たちではなく、その後ろを歩くヤスフェの姿だったのだ。ヤスフェ見たさに噂も広がっているのだろうか、どんどん人も増えていく。
「バテレン様、あの顔が黒い人は何ですかあ?」
と、おそらくカブラルのことをよく知っている信徒が問いかけてくる。
「あれは、警護です」
とヴァリニャーノ師が代わって答えたりしていた。
やがて、道の先に大きな十字架が見えてきた。やっと目的地に着いたうようだ。
近づくにつれて分かったが、ここは町も大きいだけに教会も大きい。
どこかの殿の屋敷のような塀に囲まれて門があり、門は開いたままで、中へ入ると完全に日本建築の建物があって、屋根は木の皮かなんかで葺いたような茶色だった。その屋根の上に、高らかと十字架が空にそびえていた。
まず、トスカネロ兄が中に入り、大声で巡察師一行到着の旨を告げた。すると突然どたどたと足音が響いて、大勢の人が急いで玄関まで出てきた。馬から降りて入り口で待機していた我われを迎え入れるかのように司祭が二人、日本式の履物の
「こちらが
カブラル師に目で確かめてから、二人の司祭はまずヴァリニャーノ師と握手を交わし、それぞれ自己紹介をした。
「ビルヒオール・デ・フィゲイレドです」
「ルイス・フロイスです」
二人ともカブラル師と同じ五十歳くらいの年かっこうで、名前からポルトガル人だと思われた。それからメシア師や私、そしてトスカネロ兄と次々に握手を交わし、我われもまたそれぞれ名前だけの自己紹介をした。私だけではなく他の
まずは馬をつないで、ヤスフェの待機場所を案内してもらってから、我われは靴を脱いで上がった。門を入ったところの玄関が司祭館で、御み堂は敷地内に新築されているという。
中もまるで高貴な身分の人の屋敷のようで、いくつもの
「すごい建物ですね、ここは」
と、畳の上に座って天井を見渡しながら、私が言うと、カブラル師が少し笑みを見せた。
「もともとはこの府内の前の
そんな説明を聞いて、だから日本式建築なのだなと思った。外を見ると、庭も見える。エウローパの庭のような華やかさはないが、素朴で落ち着いたたたずまいだった。庭には複雑な形をした池があり、中島もあって赤い欄干の小さな橋で結ばれている。中島には岩がいくつも置かれ、うるさくない程度に松の木が植わっていた。
そこで一息ついてから、到着の感謝の祈りを捧げるために我われ一行は一度靴をはいて外に出てから、
中はやはり
九月八日の木曜日に出発し、この日は十四日の水曜日だったから、カブラル師の言っていた通りちょうど一週間の旅だった。ようやく我われはその一週間の旅を終えることができた。しかしそれは私にとって一週間かけて場所を移動したというだけでなく、この国に来てから初めてのいろいろな貴重な体験をし、いろいろなものを見た旅でもあった。
御聖堂で祈りを捧げているうちに、空は暗くなった。
さっそく食事だというので、食堂へと招かれた。食堂は椅子式だった。そして料理はなんと、エウローパの肉料理が出たのには驚いた。
「今日だけ、特別ですよ」
と、聞きもしないのにフィゲイレド師は笑って説明した。
上席にはそのフィゲイレド師とヴァリニャーノ師、カブラル師、ルイス師が並んで座っていた。フィゲイレド師がこの教会の長であるが、ルイス師は豊後布教全体の上長であるという。
同席していた司祭はスパーニャ人でほぼ私と同世代と思われるペドロ・ラモン師がいた。ほか、ポルトガル人の修道士はかなりの数いたし、日本人の同宿もけっこうな数にのぼっていた。
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