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 翌日、出発の前にまた殿に挨拶に行こうとしたが、その必要はないという伝言を武士から受け、我われはそのまま城を後にした。

 山間の街道を、我われは東に向かった。次第に道の左右の山は遠のき、かなり広い平地の水田の中を道は進むようになった。それでも、どちらの方角でも遠かれ近かれ必ず平野は山か小高い森に遮られていた。


 ちょうど夕刻近くに三重ミエに着いた時は、我われの姿に村人の信徒クリスティアーノたちは大騒ぎかつ大喜びとなり、自分の家に泊まってくれと口々に申し出たので、我われは困ってしまった。

 そこカブラル師が顔に見覚えのあるものを選んで、泊めてもらうことになった。そして次から次へと信徒たちクリスティアーニが挨拶に来るので、我われはゆっくり休めるどころの騒ぎではなかった。

 なにしろこの村には教会もないし司祭や修道士もいない。彼らの喜びようは理解できた。

 翌朝はすぐそばの井田イダという村からも信徒クリスティアーニは押しかけ、総勢二百名弱ほどにもなった。この日は月曜日で主日ではなかったが、ヴァリニャーノ師は特別に彼らのためのミサを、村の集会所で執り行った。結局、十時ごろまでこの村にいてから、もう一泊と引き留められながらも我われは出発することになった。ここから次の野津ノツまではそう遠くないので、この時間に出発しても夕方までには着けると、カブラル師は言っていた。

 

 たしかに割と早い時間に、野津ノツと思われる集落に着いた。それほど大きな集落ではないので、村の北側に十字架のそびえる司祭館レジデンツァはすぐに認められた。司祭館とはいっても外見はもともとからあったと思われるこの村の家屋で、屋根に十字架が立っていることだけが識別材料だった。

 静まり返っている司祭館の入り口で案内を乞うと、出てきたのは日本人の同宿であった。我われの姿を見ると慌てて、

「バテレンさま!」

 と叫んで中へ入って行った。

 出てきたのはでっぷりと太った司祭で、我われの中のカブラル師を見ると、

「おお、おお、シモに行っておられたのでは? 豊後ブンゴにお帰りですか?」

 と相好を崩してカブラル師と軽くアブラッチ( ハ グ )を交わした。

 年の頃はカブラル師と同じくらいと思われる年配のその司祭の顔を見て、すぐにひらめくものがあった。その同じひらめきはヴァリニャーノ師にもあったようで、

こんにちはヴォナ セラ

 と、イタリア語で言うと、司祭はさらに相好を崩した。そして同じくイタリア語で、

「あなたは? もしかして、巡察師ヴィジタトーレ?」

 と、聞いてきた。

「はい」

 と、ヴァリニャーノ師が答えると、司祭は恐縮していた。

「おお、この村に巡察師が来てくださるとは。朽網クタミを通る道は通らなかったのですね」

 そして私とトスカネロ兄もイタリア語で挨拶をした。最後のメシア師だけがポルトガル語だった。

 我われはすぐに中に招き入れられた。

 入るとすぐに司祭は同宿に、

「リアンを呼んできてください」

 と、日本語で言いつけると、ヴァリニャーノ師や我われに自己紹介して、

「ジョバンニ・バプテスタ・デ・モンテです」

 と名乗った。そう珍しい名前ではないにしろ私と同じ名前なので、かなりの親近感がわいた。

 我われ四人はカブラル師とメシア師をおいてイタリア語で話をしていたが、すぐにヴァリニャーノ師が気を使ってポルトガル語に切り替えた。

 するとカブラル師は、

「こちらのモンテ神父パードレ・モンテは、日本に来られてからもう十八年になられる。この国に関しては私よりも大先輩だ」

 と、紹介した。

「去年までシモ天草アマクサにおられたが、豊後の情勢も落ち着いたので、この司祭館レジデンツァに入ってもらいました」

 そこへ、同宿に呼ばれて日本人の老夫婦が入ってきた。そして我々の姿を見ると、まずはカブラル師に頭を下げ、

「カブラル様、お久しゅうごぜえます」

 と挨拶をした。モンテ師はまずヴァリニャーノ師に、その二人を手で示した。

「こちらはこの村の信徒クリスタンの草分けのリアンとマリアのご夫婦です」

 それからそのリアンに向かってモンテ師は、

「遠いローマからはるばる来られた偉いバテレン様だよ」

 と、ヴァリニャーノ師のことを紹介していた。

「これはこれは、ようこそおいじょくれたで」

 ニコニコ笑ってリアン老人は、ヴァリニャーノ師をはじめとする我われに深々と頭を下げた。ヴァリニャーノ師も同じようにしていた。

「リアンさんがこの村に福音の灯をともして、今では百五十人くらいの信徒クリスタンがいます。リアンさんはとても熱心で、説教師になること志願しています」

 そしてこの村でも三重ミエの時と同じように多くの信徒が訪ねてきたが、普段教会も司祭もいない三重よりかは、村人たちは落ち着いていた。

 その夜は司祭館でモンテ師から今の府内の最新情報を聞いた。カブラル師が言っていたように、受洗を延期させられた府内の殿、すなわち臼杵ウスキ隠居インキョしているドン・フランシスコの長男の五郎殿は一時偶像崇拝に戻り、多くの教会の敵たちに囲まれて生活していたが、ドン・フランシスコとの親子の確執もドン・フランシスコの歩み寄りによって解消して親子は和解した。そうして近辺の教会の敵たちはドン・フランシスコによって排除されたが、彼らの不満は爆発して、豊後の敵である竜造寺リューゾージ殿とひそかに手を結んで、ドン・フランシスコと五郎殿の親子に対して反乱の兵を挙げたのだという。その頭目が田原親宏タバル・チカヒロという人物だったが、すでに老人だったその者は病気で亡くなったという。そして息子の親貫チカツラが反乱を続けていたが五郎殿との戦争に負けて、今は自分の城である安岐アキの城に立て籠もって抵抗を続け、五郎殿の軍勢がそれを取り囲んでにらみ合いが続いている状態だという。それが反乱軍の最後の抵抗であるから、府内の町はおおむね平和を取り戻しているとのことだった。

 我われはそこまで話を聞くと、休むことにした。翌日はいよいよ、その府内フナイ到着の日を迎えていた。

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