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 私はリスボンからずっと一緒だったルッジェーリ師と共に、小高い丘の麓にある修練院ノビツィアードに入った。ここにはゴアのサンパウロ学院コレジオのような大規模な学院コレジオはまだないのだという。そんな修練院ノビツィアードに入って二、三日後、不意にカルネイロ司教の訪問を受けた。やはり同じ修道会の聖職者だけに、気さくにこの修練院ノビツィアードを訪ねてくださる。


 しばらくは修練院ノビツィアードの司祭たちと一室で会談していた司教だったが、不意に私がその部屋へと呼ばれた。

 元気で親しみやすい感じの司教は、私にもテーブルの椅子を勧めてくれた。


「少し落ち着きましたかね」


 すぐに司教は私に話しかけてくれた。


「はい、お蔭さまで」


「ゴアの学院コレジオに比べたら手狭で申し訳ないが、辛抱してください」


 ゴアよりもさらに余計にここはポルトガルからは離れているのである。何もかもゴアのようにはいかないことは私も覚悟の上だった。


「私はここに着任して十一年になりますが、その間病院やいろいろな慈善事業を手掛けてきました。そちらが忙しくてですね、申し訳ないことに自分の出身の修道会のことは顧みてあげられなかった」


「いえいえ」


 私は言葉に出してはそこまでしかいなかったが、修道会のことは司教という立場では私事になるだろうから、致し方ないことだと思っていた。そればかりか多くの人を救う慈善事業に奔走されていたということで、まさしく聖職者の鏡だなとあらためて畏敬の念を感じていた。


「でももうそろそろ、この地におけるイエズス会の基盤を固めなくてはなりません。この修練院ノビツィアードを大きく拡張してゴアに負けない学院コレジオを造るつもりです。そしてそこにはマカオにこれまでにない、ゴアにもないような大聖堂を計画しています。それも、今の司教座大聖堂カテドラルのような木で造った建物ではなくて、ポルトガルと同じ様式でポルトガルと同じ教会を、来年か再来年には着工したいと考えています」


 この町もどんどん新しくなっていくようだ。


「ま、その頃にはあなたは日本へ行っているはずですがね」


 たしかにそうだ。しかしそれが本来の目的でもある。


「そうだ、一つ、このすぐそばにある丘に登りませんか」


 ご老体が登ると言われているのだから、私が辞退することはできない。

 それからすぐに、司教を中心に二、三人の司祭たちとともに丘に登った。丘からはマカオの町全体が見渡せた。ここに上って初めて気づいたのだが、マカオは海に突き出た小さな半島となっている。


「昔は島だったそうですよ」


 景色を見ながら、司教は言った。


「それがいつの間にか砂浜が伸びて、地続きになったそうです」


 今でもマカオの町と大陸をつないでいるのは細い陸地だ。

 もう、視界のすぐそばに広々と横たわっている大地はチーナなのである。


 丘の頂上はちょっとした要塞になっているようで、ひっくりかえった形の巨大な大砲も残っている。


「ここはかつてミングが築いた砲台なんですよ。我らが住むようになってから、明の政府はこの砲台を破棄したんだ。だから、今あるのは残骸です」


 たしかにここからなら港と町全部が大砲の射程距離に入るだろう。


「実はここにポルトガル式の要塞と砲台を築くべきだって話が出ていましてね。それがカピタン・モールや軍人、商人から出た話ならばわかるのですが、実はイエズス会の内部からの話でしてね、そういったことを聖職者の身で発案するものがいるってことで、ヴァリニャーノ神父パードレ・ヴァリニャーノが目くじらを立ててましたよ」


 思いがけないところでヴァリニャーノ師の名前が出たので、私は思わず景色から司教の横顔に視線を移した。


「私としては、計画中の大聖堂が完成したならば、ここにも小さい礼拝堂を建てようと思っています」


 それが妥当だろうと、私は思った。


「司教様のおっしゃる通りですし、ヴァリニャーノ神父パードレ・ヴァリニャーノの言われることの方が一理あると思いますよ。どうして軍事要塞を一修道会が造らなければならないのでしょう。なぜ、聖職者でそういうことを言い出す人がいるのでしょう。私も理解できません」


ヴァリニャーノ神父パードレ・ヴァリニャーノも日本で、そういった意見の対立に苦労されているみたいですよ。日本人や日本の信徒とではないですよ。日本に行っている宣教団の内部での話です、しかも、日本に行っている宣教団は全員がイエズス会です。ほかの修道会は日本には渡っていませんから」


 司教も困ったような顔つきをされていた。司教は「意見の対立」と言っただけでその詳しいことは語らなかったが、私が日本へ行けばいずれこの問題に自分も巻き込まれるのかなと、この時ふと思った。


「イエズス会は教皇様の尖兵といわれていますし、軍隊式の規律が特徴と考えている人も多いですね。だから、内部からもこういった軍事面にかかわろうとする人が出てくるのでしょうか?」


「ま、イグナチオ・ロヨラ神父様パードレ・イグナチオ・ロヨラが軍人出身でしたからね」


 そう言って、司教は笑った。そしてすぐに、真顔に戻って私を見た。


「教皇様の尖兵というのは、教皇様がキリストの後継者として福音を全世界に述べ伝える、そのためのさきがけとなって道を切り開くものという意味で、決して武器を持って戦う兵隊ではありません。たしかにイエズス会の布教組織は軍隊みたいだって評する人もいます。でも、軍隊っていうのは人殺しが目的でしょう? 我らイエズス会は人救い、魂の救済が目的なのですから、形態は似ていてもむしろ正反対の存在ですよ」


 そしてまた、司教はにっこりとほほ笑む。やはりこの方はすごい人なのだと、私は再度認識した。司教は遠くを見ながら、まだ話を続けていた。


「軍隊といって語弊があるのなら、騎士と考えればいい。ロヨラ神父様パードレ・ロヨラはお告げの祝日の前夜に、マリア様のお像の前でそれまでの軍人としての武具を一切脱ぎ捨てたといいますからね。その時からロヨラ神父様パードレ・ロヨラは軍人ではなく『聖母の騎士』となって聖母マリアとその御子イエズスにすべてを捧げることにしたのです」


「ええ。その話は伺っています」


「それから十二年の後の聖母マリア被昇天の日にに、聖職者となったロヨラ神父様パードレ・ロヨラは他の五人の聖職者とともにマリア像の前で誓願を立てて、イエズス会が誕生しました。だからイエズス会はマリア様を元后としてそのご加護を必要としますし、我われ会士は一人ひとりが『聖母の騎士』なのですよ」


 私は大きくうなずいた。その司教の言葉は司教としてではなく、同じイエズス会の会士の先輩の言葉として、私の胸に刻み込まれたのである。

 

 私は修練院ノビツィアードで最後の神学期としての勉強を続ける傍ら、日本語の勉強が始まった。

 同時にルッジェーリ師はチーナの言葉を学んでいた。

 私の日本語学習は、まずはローマの文字で日本語を書き表したものを使っての勉強だったが、とにかく言語体系が全く違うので驚いた。リスボンにてポルトガル語を学んだときは短い時間であっという間に習得してしまったが、今度ばかりはそういうわけにもいかないようだ。

 ルッジェーリ師が学んでいるチーナの言葉の方が、まだエウローパ諸国の言語と同じ言語体系のようだ。

 だが少しずつでも日本語の単語を覚えていくうちに、私がローマを離れる時からずっと思っていた日本という国についての感覚がかなり近いものになっていった。言葉を知らない間は、その国のことを理解できたとはいえないと思っていた。

 まずは初めて私が外国の文化を目撃したモサンビーキでは、その違いに対しただ呆然とした。文化水準が違うし、第一まっ黒な顔の住民には度肝を抜かれたものだった。

 その次のゴアやマラッカではポルトガル人居住区の中でほとんどの時間を費やしていたので、異文化とあまり接する機会はなった。城壁の外は知らないが、少なくとも城壁の中はポルトガルそのものだった。

 だが、今度のマカオはポルトガル人だけの居住区はなく、この国の庶民たちとほとんど一緒に生活をしている。日本でもおそらくそうだろうと思う。

 途中で一時は自分たちとは違う未開の文化に驚き、自分たちの文化に浸って滞在してきた私だが、ここでは我われとは異質だが高い文化水準に驚いている。

 この流れでいけば、日本はポルトガルからはさらに遠くなるだけにどんどん未開の土地となっていくどころか、逆に文明が栄えている可能性が大きいと、この時私は思っていた。

 事実、すでに出発前から私が読んでいた『Ilイル Milione・ミリオーネ』には、このチーナの記載も非常に多い。マルコ・ポーロなる冒険者は日本のことはただ伝聞をのみ頼って記載しているが、このチーナの国についてはマルコ・ポーロが実際に寝起きし、実際に住んでいた場所の記載だから間違いはないだろう……と、思う。それによるとマルコ・ポーロも、こんな地の果ての国に来たのに、高度な文明が栄えているので驚いたと記している。

 では日本は、やはり高度な文明が流れているのか、それともいかにも最果ての国という感じの野蛮な国なのか……いずれにせよもここまで来れば日本に来たも同然、正確な日本に対する情報は日本に行くにしかず。そうなると楽しみでもあり緊張でもあった。

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