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そのまま季節は秋へと移り変わっていく…はずだった。しかし、ここゴアではいつまでたっても夏だった。
十一月になり、十二月の
そして故国を離れてから初めての
ただ、行事だけは前夜ミサから始まって夜半ミサ、早朝ミサ、日中ミサと故国と全く同じで、しかも普段の主日のミサが聖職者ばかりであるのに対し、
そうこうして夏の真っ盛りなのに年が変わり、1579年となった。やはりまだ夏が続いているだけに、年が変わったという実感もあまりわかなかった。だが実際には確実に時間は流れており、そうこうしているうちにあっという間に四月となった。
その十二日の日曜日、
当日はいい天気だった。ミサは復活祭のミサだけに
主の復活は、喜びと光である…それを祈念するのが復活祭のミサといえる。その喜びと勝利の栄光の中で助祭にと叙階される、その思いがけない天の
式は金箔の壁の主祭壇で行われた。何本もの巨大な白亜の丸い柱に支えられた高い天井の下の空間だ。復活祭だけあって、この巨大な空間も、座席は今日はほぼ満席になっていた。
死に打ち勝った主キリストの復活を記念する感謝の典礼の喜びと光の中で、やがて私の叙階式の時間となった。
大司教の説教に続き私が誓願の言葉を述べ、大司教の按手を受け、そして最後に大司教より特別の福音書を賜った。この福音書を賜るとうことは、これからこのよき知らせを多くの人びとに述べ伝えるという使命が与えられたことを意味し、その重責が肩にのしかかるようだった。
特別な福音書といっても、内容そのものは私が持っているものと変わるわけではない。だが、ラテン語で記されたこの福音書を、これから私は日本という未知の国で述べ伝えていかなければならないのだ。
「あなたは、これから日本へと福音宣教のために派遣されるのでしょう」
福音書を渡されながら聞いた大司教の言葉だ。
「ですから、本当ならば日本語で書かれた福音書をあなたに授けたい。しかし残念ながら、まだそのようなものは存在しておりません。それは今後あなたと、あなたよりも先に派遣され、またこれからあなたに続いて日本に派遣される多くの宣教師によって完成させなければならない」
それは単に一書物の翻訳事業などというものではなく、もっと奥深い意味合いを込めた霊的使命であることも私は十分理解していた。私に福音宣教の使徒としての使命が加わった一瞬だった。
この叙階からさらに二ヶ月後の六月、ようやくマカオまでの船が出航することになった。
これまでローマの
またリスボンを出てからずっと一緒だったアクアヴィーヴァ師やパシオ師とも、同じくここで別れることになる。
私はマカオまで行くルッジェーリ師とともに、さらにこの地から加わった新しい
出港に先立って、我われは再度ザビエル師の棺の前で
マテオとは手を握り合って、そして泣いた。
そのマテオからも、それから私の指導をしてくれたヌーノ・ロドリゲス師からも、くれぐれもヴァリニャーノ師によろしく伝えてほしい旨を繰り返し告げられた。
さらには私に大きな木箱を託した。中はロドリゲス師からヴァリニャーノ師に宛てた書簡をはじめ、ゴアの状況を知らせるための報告書などの書類だという。それを間違いなくヴァリニャーノ師に渡してほしいとのことだった。
そして六月二十四日、私の霊名でもある洗者ヨハネの祝日に船は帆を張って、八か月以上を過ごしたこのゴアの町に別れを告げて海原へと滑りだした。
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