3
私の毎日はほとんど
マテオとアクアヴィーヴァ師、パシオ師はそもそもの目的がこのゴアの地とその周辺の海岸沿いの地域での福音宣教であったため、時々は同じ
だから、ずっと
ゴアに来てから最初に行った大聖堂のあたりを歩きながら、どこまでも青い空を私は仰いだ。その青い空に大聖堂の二基の白亜の塔はよく映えていた。いくら教会が多く建てられているとはいえ、さすがにローマやリスボンのように一つの教会を出て道路一本挟んで別の教会というわけにはいかない。なにしろそれぞれの教会の敷地が広いから、その敷地内を歩くだけでもかなりの距離になるのである。
マテオはこの町の中央部どころか、何度も城壁の外に行っているという。
「私には未知の世界だけれど、城壁の外って…?」
歩きながら、思い切って尋ねてみた私に、マテオは笑顔を見せた。
「そう。未知の世界って君は言ったけれど、確かに、君が思っている以上に城壁の外は別世界だよ」
私はその別世界に何度も行っているマテオがうらやましくもあった。
「城壁の中はまるでリスボンだけど、城壁を一歩出たらもうそこはリスボンではない。海岸は大部分がポルトガル領になっているとはいえ、そこに暮らしているのはまぎれもなくビヤープルに都を置くこの国の民だ」
「ビヤープルという都があるのか」
「ポルトガル語ではビジャープル」
私は漠然と、この国はインディア、ポルトガル語ではインジャという国だとしか認識していなかったのだ。
「それで、そこでの福音宣教は?」
マテオの顔が少し曇った。
「難しい。なにしろこの壁一枚隔てて、そこは異教徒のイズラムの世界なんだ。本来このインディアに根付いていた
我われローマで生まれ育ったものはそこには疎いが、
また、そのようなことを抜きにしても、城壁の外は建物の建築様式から住んでいる人の人種、言葉、風俗習慣も全く違う異国が広がっているらしい。
だが、実感がない。
なにしろ、私はこの目ではまだそれを見ていない。もうまるでリスボンにいるのと変わらないこの城壁の中にいて、壁の外はどうなのかということについて話には聞き頭でも理解はしていたが、どうしても実感というのを持てずにいた。
「でも、いずれ主の栄光はこのインディア全体に及ぶだろうね。僕らがいる
その時は、どういういきさつでインドゥイズモの寺院がなくなって自分たちの
そんな話をしながら大聖堂とは広場を挟んで隣接するフランチェスコ会の修道会と建築中の聖堂の近くまで来た時、その聖堂のすぐ近くにポルトガル風の大きな建物があるのを私は見た。それは教会の建物の一部でもあるようで、総督府のような政治的な雰囲気もする建物だった。
正面には大きな扉が三つあった。
「あれは?」
と、私はマテオに訪ねた。
「ああ、あれね。あれは
家というにはかなり大きな建物だ。
「ま、実はあれが
さらりと、マテオは言った。
あれがそうかと、私はその建物を仰ぎ見た。総督府と並び、このゴアにおけるポルトガルの権威となっている機関だ。たしかにその建物は、町全体に無言の威圧を与えているかのようにも見えた。
異端審問所といえばローマにもあるが、それは教皇様直属の部署で、我われ一神学生がその内情を知るすべもなかった。ただ、実際に行われたという具体的な話は聞いたことはないが、その異端審問所の断罪によって街頭で公開の火あぶりの刑も行われたことも昔はあったという。
我われはその異端審問所の建物に近づいた。もちろん中へは入れない。そこでその周りを一周すると、建物から
「もしかして?」
と、マテオに聞いてみると、
「そうだよ。ここが火刑場だ」
やはりそういうことだった。
私は無言で、その火刑場の前にたたずんだ。そう頻繁に火刑が行われているわけではないようだが、それでも確実にかつては使われていた。いや、今後も使われる可能性はないわけではないらしい。
ここで、我われと同じ「人間」が火あぶりになり、その命を落としたのだ。
「ここの異端審問所はローマやスパーニャのものよりもずっと拷問は残酷で、火刑もしょっちゅうだって話だよ。でも、火刑が公開だってことのほかはすべて秘密裏にことは行われるみたいで、だから僕も詳しいことは聞かされていないんだ」
私は万年夏の炎天下なのにうすら寒さを覚えた。
だが、私が思い浮かべたのは、まだイエズス会ができるずっと前に行われていたと話には聞いたが、当然実際には見たこともないはずの昔の魔女狩りの火刑の場面だった。
が、あえてその場はそのままにして
「
年はほとんど私と変わらないが、あくまで相手は司祭なので、神学生である私はへりくだって丁寧な口調で言った。
「なんでしょう?」
私はパチェコ師と
「こちらにも異端審問所があるようですけれど、やはり異端はこの地でもいるのですか」
質問の内容が分かったようで、パチェコ師は笑みを崩さなかった。
「これだけの数の商人や軍人がポルトガル本国から来てここに住んでいますからね。中にはいろいろな人が混ざっていますよ。しかもこの町のポルトガル人たちは、どうも風紀が乱れています。それはあなたもご覧になって、感じませんでしたか?」
そう言われても私はこれまでほとんど
「ポルトガルの商人を装って、多くの新教やユダヤ主義者であるマラーノも入りこんでいます。それと、城壁の外には多くの異教徒がいる。だから、常に
「異教徒も取り調べるのですか? きりがないでしょう」
パチェコ師は、これには声をあげて笑った。
「異教徒は審問所の対象外ですよ。でもね、一度受洗して信徒になったにも関わらす棄教して自分の元の教えに戻ったものや、我われの福音宣教を故意に妨害したり、信徒の足を引っ張ってつまずかせようとした者などは、異教徒でも容赦はしないということです」
「容赦しない…とは…、それは、火刑ということですか?」
それに対する答までには、少し間が空いた。師の顔から少し笑みが消えていた。
「まあ、そうなるでしょうかな。ただ、私がここに来てからはまだ一度も行われてはいないようですけれど」
「あの、もう一つ質問してもよろしいですか?」
私は身を乗り出した。
「今、『まだ』とおっしゃいましたけれど、これから行われる可能性はあるのでしょうか」
「なんとも言えませんが、状況によっては。……でも、なぜそのようなことを?」
「あのう、火刑といえば人の命を奪うことですよね。十戒には『殺すなかれ』とありますけれど…」
一瞬だけパチェコ師の顔が曇った。しかしすぐに笑顔を取り戻してパチェコ師は言った。
「十戒とは『
「まずはイスラエルの民…ですね?」
「そう、『
「はあ」
私は言葉が出なかった。
「それでも悔い改めずに悪魔崇拝をするなら、それは悪魔です。人間じゃあない。だから、そういった人たちを火刑にしても、人を殺したことにはならない。その人が悔い改めてキリストを受け入れ、『
マテオが言っていた、この場所がかつてはインドゥイズモの寺院があった場所だということも、そういうことだったのかと話がつながった。そうなるとまた、背中にうすら寒いものが走った。
「それから、言っておきます」
パチェコ師は急に厳しい表情になって言った。私は全身を凍らせた。
「あなたは神学生としていろいろと疑問が出るのも当然だし、そうなったらこれも当然のこととしてどんどん質問をぶつけてくるべきです。ただし、この手の質問は少し控えた方がいいですね。あなたもイエズス会という一つの組織、ひいては主キリストの教会という共同体の一員なのですから。組織のすることへの疑問はまずは控えて、絶対的従順が大切ですよ。死人のごとき従順、そう教わってきましたよね? ローマでも」
「はい」
私の返事は小声だった。たしかに正論で何も言い返せない。まあ、組織に入るとはそのようなものなのかと、その時の私はなんとか自分を納得させた。パチェコ師の言葉は、まだ続いた。
「神学生の方はどうしてもまだまだ
パチェコ師の顔は元の柔和な顔つきに戻っていたし、口調も穏やかになっていた。そして、その話の内容も一応は納得できる話ばかりだった。しかし、同時に私はどうしても腹に落ちない何かがあるのを感じていた。それが何であるのかは、いくら頭で考えても答えは出そうもなかった。
夜、自室に戻ってから、私は『福音書』をひもといた。
それはローマから持ってきたもので、もう手垢でほとんどぼろぼろになっているものだ。
「あなたは人を裁くな。裁かれないためだ。人を裁けばそれと同じように自分も裁かれる」
そんな主キリストの「山上の垂訓」の一節が目にとまった。異端審問は「裁き」ではないのだろうか? いかに『
私は祈った。答えを知りたかった。だがこの時もキリストは、ただ沈黙しておられるだけだった。
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