包丁のない世界

@miurashi

第1話

 近頃、包丁やまな板といったものに強く心が惹かれている。そうした魅力の源はその普遍性にあるのだと思う。対比としていくつかのことを考えてみる。例えば、洗濯道具なんかは洗濯板や2層式洗濯機やドラム式洗濯機など時代や文化によって大きく様相を変える。衣服や履物、人間の生活様式それ自体だってそうだ。だけど包丁とまな板は違う。何世紀にもわたってあらゆる文化の中で多少の違いはあるもののほとんど同じ形状と用途で用いられてきた。白い手で、あるいは黒い手で、あるいは覚束ない子供の手で、あるいは皺が刻まれた手で、着物を着て、ワイシャツを着て、割烹着を着て、ユニクロの服で、半裸で、全裸で、家庭で、安アパートで、高級ホテルで、野外で、小気味のいい音を立てながら食材を刻んでいた。


 一般家庭向けの安価な自動調理機が各社から発売されたのが21年前。

 当時、すでに使われる機会が減りつつあった包丁を用いた犯罪が偶然多発したのが19年前。

 包丁の一般所持が禁止されたのが17年前。

 現在16歳の私は包丁を知らない世代だ。


 小春日和、鋭いモーター音が朝を告げる。タイマー設定の調理器が食材を刻む音だ。前はこんなに煩くなかったのだがガタが来ているようだ。6:30分、少し早いが柔らかなマットレスに別れを告げる。欠伸を1つ2つとして徐々に意識が冴えてくる。まだリビングには誰も居ない。掃き出し窓から日が差し込みもの寂しさを演出していた。ソファーに身を投げテレビを点ける。テレビではやたらとテンションの高いアナウンサーが最新スイーツを紹介していた。AR花のインテリアに目をやるとよく分からない緑の草が設定されていた。気に入らないので適当な赤い花に設定を直す。

 さて、することがなくなった。ぼんやりとテレビを見る。テレビを見てみる。テレビを見ている。ご機嫌なアナウンサーが何かを紹介している。リメイク版の映画が上映されるそうだ。泣ける硬派な映画だが差別語ふんだんで評判は良くない。ラストシーンでは主人公と敵方のボスが闘技場でレーザー銃の撃ち合いをする。ギリギリの勝負で主人公の放ったレーザー銃が敵の急所を捉えるが主人公も同時に力尽きる。主人公は糸が切れたように、銃をぼとりと落として、ゆらゆらと倒れていく。そこはバスタブで立つ力も残っていない主人公は水の中で息が出来なくなる。透明な海のなか体を丸めた主人公は海底へと沈んでいく。

 「ご飯できてるよ」と言う声で目を覚ます。テレビを見ながら2度寝をしてまったようだ。存在しない映画予告と映画概要の夢を見ていた。食卓には味噌汁と白米と卵焼きが置かれている。今日も1日は始まる。

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