薄暗い檻の中で

 薄暗い檻の中で、今夜も絶え間ない言い争いが続く。そのどれもが幼稚で、稚拙で、狂っているのかと思うほど野蛮な、しょうもない言い争いだ。なぜか、それは大の大人が……とうに五十は過ぎているような大人がだ。今日のパン切れ一枚の話で大声を出して怒鳴っているとなれば、この空間の薄気味悪さというか、しょうもなさというのがわかってくれるだろう。


 といっても、このしょうもない豚箱に六年ほども居座っていれば、こんな出来事なんて次第に慣れてくるから困ったものだ。シャバに出れば俺含めて全員爪弾きにされるか、良くてホームレス集団の一員として生ぬるい飯でも貰いながら暖かく迎えられるような人生を送る羽目になるだろうし、今は許してやっておいてやる。


 どちらにせよ、ここは最悪だ。罪の意識が無いわけじゃないが、こんな所に来るくらいだったら、あの時さっさと首でも吊っていた方がマシだったとすら言える。


「おい、矢那やなのおっさん! てめぇが寄越してくれれば良かったのによ!」

「めんどくせぇ、たかだかパン切れ一枚でいつまで喧嘩してんだ」

「娘に手を出すようなお前さんには、パン切れ一枚の価値もわかんねぇか!」

 途端、この面倒な囚人が大声で笑う。つられて他の囚人共も笑い始める。俺はこんなしょうもない豚箱ですら、ヒエラルキーの最下位だった。誰もがただの犯罪者だというのに、それでも何かと順位だったりを決めたがる。所詮は人間などチンパンジーの慣れの果てだ。


 この豚箱でのヒエラルキーなんてものはどこも同じようなものらしい。こんな牢獄でも慕われすらする者というのはなんでもない、ただのヤクザだ。あいつらはやたらと礼儀がなっている上、俺たちに対する牽制も忘れない。おかげで看守からも評価が高いなんてこともザラだ。


 一方で俺はどうか。娘を虐待死させて捕まった俺は、それはそれは絢爛なシャンゼリゼ通りの、マンホールの地下から更に深部にあるような、薄汚く近寄りがたいドブの扱いである。


 不快な大笑いが止み、良いオチのついたところで皆そそくさとこれまたかなり年季の入った、ギコギコと喧しい二段ベッドへと向かっていく。鉄格子から見える夏の夜空に咲く星々すら、俺を見下しているような気がした。


 考えてみれば、子供の頃からろくな目には遭わなかった。というのも、とにかく貧乏な家庭で、部屋に帰ると六畳の間にちゃぶ台がぽつんと置かれていて、真ん中にはむき出しの電球がぶら下がっているような部屋で毎日を過ごしていた。


 両親は共働きだったけれど、稼ぎは少なく満足に白米すら食べることが出来なかった。ある時、母は生活保護を考えて役所へ向かったようだが、数時間ほどたった後、うつらうつらと帰ってきた。役所でえらく説教を垂れ流された挙げ句、何の支援も得られなかったらしい。この世のなんと不条理なものかと、子供心ながら思ったものだ。


「今日のごはんは?」

「我慢なさい」

 これが、俺の家では半ばお約束のコントのようになっていた。もちろん、そんな家庭だから服やら靴やらに割く金などなく、いつもみすぼらしい格好で過ごしていた。給食費すら払えず、学校ではいじめ以外の何も得ることがない日々を過ごす羽目になった。


 だからこそ、俺は”強さ”というものに憧れた。それは肉体的なものも、精神的なものも、どちらもだ、絶対に動じない精神力と、誰もを支配できる肉体を欲した。そのせいもあって、喧嘩っ早いとよく言われる事となる。子供の頃なんて当然問題児だった、だが貧乏な家庭だった事もあって、親が呼び出された事はほとんど無かった。といっても、それは慈悲だとか同情ではなくただ見捨てられただけだろうが。


 それでだ、結局の所そんな強さなんてものが手に入ることは無かった。その証拠に、今現在このようなしょうもない豚箱に収まっているのだ。

 また朝が来ればくだらない喧騒が薄暗い檻を包み込むのだろう、外から虫共の自由で愉快な演奏が鳴り響き、それが妙に耳に障る。夜くらいは静かに眠らせてほしいと、心から思う。

 

 朝美は、俺をどう思っていたのだろう。いや、考えてもロクな思いをさせていなかったし、嫌われていたのは間違いない。というより、嫌われるだけならまだマシだ。

 朝美にとって、あの家はこの牢獄と何も変わらなかったのかもしれない。だったら、今俺の受けている屈辱だって、自業自得の成れの果てだ。


 苦い後悔と申し訳なさだけが、夜の闇を遮って俺を暗く照らす。

 薄暗い檻の中で、子供のような弱さが俺を包んでいた。

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小惑星がやってくる! 夜霧 ふらむ @yendlya76

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