第27話 士気向上会議Ⅱ

 次の日、俺は騎士団の厨房でキーラと一緒に皿洗いをしていた。と言うのも厨房を借りる条件として皿洗いをしろと言われたのだ。


「あれ? そう言えばジェイドはどうしたのかな」


 キーラは俺の洗った食器を拭き、食器棚に戻しながら何気なく訊いてきた。


「あの女は飽きたから捨てた」


 俺が冗談混じりにそう言うと、キーラは苦笑いを浮かべる。


「いつもながら君は自由だね。今日人を集めるだけ集めて、早々に私と店を出た事と言い、君は相変わらずのようだな」


 食器洗いも終わり、俺が調理器具の、キーラは食材の用意を始めた。


「仕方ないだろ。今日が休みだって聞いてから、料理するなら今日しかないと気付いたのは昨日の夜だったんだ。この世界は不便だな。魔王を葬ったら次は電気整備でもするか……ところで、さっきから料理の準備をしているんだよな?」


 彼女が用意しているものは、ニンジン、タマネギ、ジャガイモに、肉と大量のスパイスだ。


「当たり前だろう。食材を並べて、料理以外にする事があるのか?」


「今日のメインは海鮮トマトパスタペスカトーレだと言ったはずだ。レシピも渡しただろ」


「はぁ。チズル。このレシピを見る限りだと、野菜がトマトだけじゃないか。ダメだ。ちゃんと野菜を摂らなければ打倒魔王など、ただの与太話でしかない」


「……ならその大量の香辛料はなんだ」


「魚介類を扱うんだ。臭み消しが必須ではないか」


「……それを煮込んだ物、なんて言う?」


「なんと言う、とはこれまた君らしい哲学的な質問だ。この食べ物はその昔、私が勇者と一緒に冒険していた時によく作っていた物だ。故にこの世界にはコレを呼称する言葉が存在しない。まあ強いて言うなら、カレーだな」


「カレーじゃねーか!」


 指摘するとすぐに彼女はバツの悪そうな表情をしだした。


「いや本当に申し訳ない。私も他の料理には挑戦するのだが、こうした方がいいのではないか、こっちの方が喜んでもらえるのではないかと四苦八苦する内、気付けば毎回カレーになっていて……」


「じゃあもう見てるだけでいい。手を出すな」


 俺が新しい鍋や食材を出して準備を始めると、キーラは不安そうに俺の手つきを見ていた。そうして見ている内に、俺が手慣れている事に気づいたのか、途中からは相槌を打ちながら俺の手元を見ていた。


 しかし、それでもやはり自分の料理とは違うからなのか、鍋を5つも6つも使った時や、臭み消しに使った酒を捨てた時は目を疑い、怪訝そうな表情をしていた。


 30分程度で料理を終え、パスタをソースと共に炒めると、個体から液体に変容したトマトが麺に絡みつき、その上に貝や海老などが殻付きのまま彩り鮮やかに置かれている。そして最後にバジルを添えて完成だ。


「ほら、食ってみろ」


 皿に移してキーラの目の前に置くと、彼女はその匂いにやられたのか、がっつく様に口に含む。


 ついでに作った俺の分に手を出してみるが、やはり美味い。トマトの酸味や、魚介のコクを殺す事なく、だが臭みやエグ味を残していない。全てを調和させている。バジルのアクセントもいい。


 自分の料理の腕が衰えていない事に安堵していると、半分以上食べ終えたキーラがようやく口を開いた。


「美味い……どんな魔法だ?」


 彼女はどうやら、俺が料理上手である事を信じられないようだ。


「魔法じゃない。ただな、料理ってのは鍋の中だけじゃないんだよ。下準備をしっかりすれば臭みなんて簡単に消せる。あとは食材一つ一つに正しい火の通し方ってもんがある。それをデタラメにできるカレーは確かに簡単だが、それだけじゃ飽きちまうぞ」


「まさかチズルがこんなにも料理上手だとは……私の中のチズルは、もっとこう……料理は栄養さえ摂れればいいと考えている効率主義者のイメージだったのだが」


 そのイメージは半分合っている。俺自身は料理の味など気にしないのだが、軍事に携わる以上は、俺が良ければいいと言うわけではない。不味い食事に不満を持たれて士気が下りでもしたら、勝てる戦いにも勝てなくなってしまう。故に俺は料理を極めている。


「正直な話、俺はこの世界の味覚を知りたかっただけだ。場所や考え方で何が美味いかは変わるからな。俺が吐くほど不味いと感じているこの兵舎の飯だって、この世界からすれば美味いのかも知れないと思っただけの事だ」


「ハハ。兵舎の食事は確かに美味しくはないだろう。でもそれは、平常時の食事を酷くして戦争時だけ美味しくする事によって、戦争中だけ士気を向上させる作戦なんだとエマが言っていたよ」


 そういえばエマとキーラは、魔王を討伐した英雄だったか。そして、その頃の彼女はさぞ有能だったのだろう。


「そんな考えがあるなら、俺の料理は出さない方がいいのか……いや、俺に付けば美味い飯が食えると思わせれば……」


「全く、ここまでの料理ができても君は君だな。思慮深いと言うか、何というか……」


 苦笑いしながら口に運ぶ手は止めない。しかしもう皿に何も残っていない事を知ると、悲しそうな目でこちらを見てくる。


 一応はまだ大量に残っているが、これは他の騎士団の分だ。キーラの分はさっき渡した分で全て。


 だが、それはあくまでパスタに余裕がないと言うだけ。他に今から用意するコース料理には十分の余裕がある。


「俺は今からフルコースの製作に取り掛かるが、食べたいか?」


「正直食べたくて仕方がない。君の料理は口に運ぶたびに更に空腹となる。だが、打算的な君のことだ。何か交換条件があるんだろう? 私は騎士団の一員ではないのだから」


 彼女が言った通りだ。彼女は騎士団ではないのだから、俺が彼女に食事を提供する理由がない。さっきまでは味見という役割があったが、それが済んだ今はただ騎士団の食材を他人に横流しする行為に他ならないのだ。


 幹部連中から目をつけられている俺には、そんなリスクを背負ってまで好きな女に飯を食わせる理由がない。


「簡単な話だ。騎士団に入って欲しい」


 だから騎士団に入れば全く何も問題はないのだ。


「なるほど。魔王討伐に人手が欲しい、と言う事か」


「人手が欲しいわけじゃない。お前が欲しいんだ。魔王討伐の経験があり、相応の実力があり、常識がある。お前ほど便利な奴はいない」


 彼女は呆れてため息を吐いた。


「はあ……君はちょっとはオブラートに包んでから言う事を覚えた方がいい」


「必要ないから使ってないだけだ。信用してる相手にまで虚言を吐いてりゃ一体俺は誰に正直になればいい? まあ心配しなくとも、その気になればオブラートでもビブラートでも包みまくってやるよ」


 そう何の気なしに話すと、キーラは口元を手で覆った。


「……そうか……信用されているのか。仕方ない。ならば君の言うことを聞こう。信用に答えるだけはして見せる」


「えらく簡単に聞き入れるな」


 彼女は仲間を作る事ができない。そう聞いていたのだが、どうやらギルドで人の優しさに当てられて変わったらしい。憑き物が落ちたように嬉々とした表情をしている。


「まあ断る事でもない。魔王を憎むのは私も同じだ。それに……君がいるからな」


 その言葉に鼓動が高鳴るのを感じた。まるで血液に乗って幸せが運ばれるように、胸から暖かさが全身に広がる感覚を覚える。


 しかしそれを悟られないように、俺は平静を装う。何故ならそれが軍師のあるべき姿だからだ。


「オイオイ、嬉しい事言ってくれるな」


 茶化しを入れると、彼女は恥ずかしそうに頬を赤らめた。彼女はたまに抜けている面を見せる。それを必死に取り繕おうと焦るところも、俺は堪らなく好きだ。


「勘違いするな。君は弱い。私が何もせずに死なれたとあっては寝覚めが悪いからだ。これでも、私は君を信用しているのだから」


「俺が弱い? お前やジェイド、神になった衣笠に勝ってる俺が弱いなら、誰が強いんだよ」


 それまで暖かかった雰囲気が一変、凍えるような冷たい空気が流れ始めた。


「……超越者の奴らだ。勇者や魔王、あとはトランペッター達や神々。彼らは次元が違う。正直、魔王討伐の際に英雄は足手纏いでしかなく、早い話が勇者と魔王の一騎打ちで集結した」


「ずっと気になってたんだが、勇者ってどんな奴なんだ?」


 魔王は何度か目にしている。だから俺の興味は勇者の方にあった。勇者の評価は一定だ。彼は英雄を束ねる存在であり、絶対の正義である。


「勇者か……彼は正義がヒト形を持った、と形容すれば良いのだろうか」


 彼女もその評価なのか。だが、彼女は過去に勇者が原因で家族を殺されている筈だ。そんな彼女が一体なぜそんな評価を下せるのか分からない。


「は? お前、勇者に酷いことされたんだよな?」


「私自身はな。だがそれは、大多数を守る結果となった。彼は選択を間違えない。最大の幸福を掴むために、最小の不幸を作り出す。それは一般的に見て、正義と言うのではないか?」


「なんだそれ……」


「全員が幸福になる正義などない。勧善懲悪だって悪の立場から見れば不幸だ。世界がそうできているのだから、彼の行いは正義ではないか。少なくともヒトは彼を正義と崇めているよ」


 ……久しぶりに、世界の違いを噛み締めていた。そんな胸糞悪い正義が、人民に支持されているだと?


「正義ってのは、もっと世界全部を救おうとする物だろ」


「現に世界は救われた。魔王の悪政が消えたのが証拠だ」


「違う……そんな事じゃないんだ! 無理だとわかっても全員が救われる選択肢を、無くても作り出すような奴を正義って言うんだよ!」


「……? それは狂人だ。ない選択肢を作るなど、それはただのズルじゃないか? 正義とはかけ離れている」


 俺は唾を飲み込んだ。なんだこれ? 正直な話、俺はこれまでこの世界を好きになりかけていた。不幸はあれこそ、仲間を作って一緒に苦難を分けあったり、敵を共闘して倒す毎日を楽しく感じかけていた。


 だがまるでそれ全てを錯覚と言われたような、全てが崩れ去ったような、世界に否定されたような気分になる……この世界には呆れ果てた。だから日本以外はいらないのだ。価値観や善悪の基準として共有されたあの世界なら、こんな気分になる事はなかった。


「いいな英雄サマ。お前達の掲げるご立派な正義のおかげで、俺はこの世界をぶっ壊す決意が固まったぜ。正義のせいで悪が生まれたんだ。いやー、崇高な正義でありますなぁ!」


 キーラは勢いよく立ち上がり、俺の胸倉を掴んだ。服に合わせて皮膚が掴まれ、千切れそうな痛みを感じる。だが彼女はそれにも気付けない程怒っているようだ。


「ッ! 君は! 私の……この世界の見つけた唯一の正義を否定したいのか⁉︎」


「ああ、そんな下らない正義、俺が唾でも吐きかけてやるよ。こんな風にな」


 俺は彼女の顔面目掛けて唾棄してやった。胸倉を掴んでいた手も緩み、放心状態である事が窺える。


「……私は君が異邦人だと言う事をすっかり忘れていたようだ。力を貸すのは、今回で最後になりそうだ」


 そう言い残してキーラは立ち去った。


「気が合うな。同意見だ。そうなったらやる事は一つお前の世界の正義正義俺の世界の正義で、どっちが正しいかやり合う戦争するしかない」


 俺は独りになってしまった空間で、寂しく木霊する声を聞いた。そして改めて気付いた。俺の考えが甘すぎた事に。


 元の俺なら、手下の士気を上げるためにこんな事をせず、迷わずに洗脳を選択していた。大分トランペッターに侵略されている。コイツのせいでマトモな思考ができていない。第一、恋にうつつを抜かすとはなんだ。この世界は破壊する予定なのに、そこの女と恋愛などして何になる。


 全く合理的ではない。そんな事も分からないなど合理性に欠けている。


 例えば、この目の前で作られている食事に一服盛る。解毒薬は俺だけが持っていると脅せば、生き残るために最高の士気を誇った状態で闘えるのではないか。


 例えば、奴らの家族を誘拐し脅す。本人達に至って健康な状態で戦える上で、愛の力とやらで本来以上の力を発揮してくれるのではないか。


 例えば、無差別に人を殺す。それを魔王軍のせいにすれば、怒りで奴らは鬼神の如く働いてくれるのではないか。


 もはや俺にはなんの躊躇もない。人は世界を破壊するための道具であり、世界は敵である。


 俺の体は純粋な悪意のみで満たされ、これまで内在していた善意は居場所を失い、心から押し出される。


 押し出された善意に行き場はなく、体を突き破り黒い塊として排出された。


 瞬間、俺は理解した。目の前に現れたこの塊こそ、俺であり、俺のスキルリードであり、俺のなり損ないトランペッターであると。


『はあ。失敗しちゃった』


 ソレは小さく呟いた。その唸り声はまるで地獄で聞こえる悲鳴を無理矢理人語に変換したような、禍々しい声だ。


 ずっと気になってはいたのだ。自動で必要な知識が入ってくるリードだが、一体誰が必要と判断しているのか。これがその答えなのだろう。


「なんだ? 俺を殺すか? いいぜ、リードを使えない俺ならすぐ殺せるだろうな」


 だがタダで殺される気もない。ここは調理場。火や刃物は勿論、危険食材もある。つまり毒まで完備されているのだ。この環境で簡単に負ける程、俺は弱くない。


『逆だよ。私はね、千鶴を助けるために出てきたんだ』


「守る? 衣笠のアレを見た後で信じられると思うか?」


『あんな厄病神と一緒にしないでほしいなぁ。私はね、君の守護神なんだ』

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愛国主義者の異世界崩壊録 川口香織 @kasasuhi

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