第十三話 明日無き者-2

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 一方その頃、クロコールの村。


 未だ、ベッドの上で深い眠りにつき、目を覚まそうとしないティシア。そんな彼女の枕元に、ぬるりと近づく影があった。


 白衣を着た痩身の男。ドクター・ストアと名乗る男だ。彼は、静かに寝息を立てるティシアを見下ろすと、ゆっくりとその顔に自らの手を近づけた。


「レディの寝室に無断で入るのは頂けませんね」


 そんなストアの耳元に突如、何者かが囁きかけてきたので、彼は思わず後ずさった。慌てて見れば、そこにはあのリアスとかいう女騎士が立っていた。


「あ、ああ。これはこれはリアスさん」


 一体いつの間にそこに現れたというのか。ついさっきまで影も形もなかった彼女の登場の仕方は、あまりに倏忽しゅっこつだった。


「彼女に何か御用ですか? ドクター・ストア」


 リアスは、顔に汗を浮かべるストアに対して飄々と尋ねる。


「いえ、特別用件があるわけではないんですが……。少し彼女のことが心配になりまして」


「心配、ですか?」


「はい。いくら気を失ったにしても余りに長い。最近はおかしな病も流行っていますし、本当に大丈夫なのかと」


「ほう、それはそれは」


 ストアの言葉を聞いてリアスは優しい笑顔になった。


「親切にどうもありがとうございます。私も不安に感じていたところです」


「ははは。しかし、どうやら何事もなさそうでなにより」


「ところでパンネッタちゃんはどうしたんです?ティシアちゃんの眠っている間は何があっても自分が守ると、部屋の扉の前でずっと構えていたはずですが」


「ええ。ただどうやら気張りすぎてしまったようですね。私が来た時には可愛らしく居眠りしてしまっていました」


「そうですか」


 そしてリアスは俄に、不敵な笑みを浮かべる。


「わざわざそれを待っていたんですか?」


「……どういう意味です?」


 不穏な言い回しを受けて、ストアは怪訝な顔になり、リアスに問い返した。


「おや、分かりませんか? つまりこうです。『何が目的だ? ティシアちゃんを狙ってどうする?』」


「なに……?」


 核心をついたようなリアスの追求に、ストアは表情を強張らせて動揺を示した。しかし、すぐに人の良さそうな笑顔を取りつくろうと、両手を上げて自分の潔白を表そうとする。


「や、やだなあ。狙うってなんです? さっかも言った通り私はただ、彼女の身を心配しただけで……」


「最初にあなたの話を聞いたすぐ後に、私は村の周囲を調べてみたんです」


ストアの話を遮り、腰に手を当てながらリアスは唐突に語り始めた。


「しかし、この村の外で魔獣が活動した形跡はありませんでした。恐らく村を襲った魔獣は山賊がどこか別の場所から連れてきたものでしょう。あなたは確かこう言っていたはずですよね? 『魔獣の出現を探知する機械が偶然反応を示したので、忠告のためにこの村に立ち寄った』と」


「……!」


「どういうことですか? その……「魔獣サーチャー」でしたっけ? ちゃんと機能しているんですか?」


「そ、それは……」


 リアスの思わぬ追求に、ストアは口ごもる。


「ふむ、そういうわけですか。しかしこの機械も最近開発されたばかりのものです。もしかしたらまだまだ、性能が不安定なのかも……」


「なーるほど、それは確かに無理もありませんね」


 リアスは笑みを絶やさずに頷いた。


「しかしすごい偶然ですね。偶然、機械の不具合で立ち寄った村に、偶然、山賊の一味が現れ、彼らは偶然、魔獣を使役するという前代未聞の力を持っていた。……少し出来すぎです」


「要領を得ませんね。何が言いたいのでしょう?」


 ストアは警戒した様子だ。対してリアスはおどけたように首を振ってみせる。


「いえ、別に。……ああ、そういえば気になっていたんですが。一つ伺ってもよろしいですか?」


「……なんでしょう」


「あなたは確か以前に、『この村の娘達が犠牲になった』とも言っていました。しかしなぜそんなことを言ったんですか? 彼女らの安否は判明していないのにも関わらず」


「それは……ですから状況的に、その可能性が高いと思い……」


「可能性、ですか。『科学者として、確証のないことは言わない』というのがあなたの主義だったのでは?」


「……ちっ」


 思わず、ストアはそこで舌打ちした。彼女のねちねちとした追求に苛立ちを覚えた様子でリアスのことを睨みつけながら、しばし何か考え込んでいたようだが、やがて。


「……ふう〜」


 大きくため息をつき、そして何やらスッキリとした表情で顔を上げた。


 先程までの良識人然とた雰囲気とは少し異なる、狡猾さと陰険さを兼ね備えたような目付きだ。言い逃れは通用しないということを理解し、観念した様子だった。


「一体なぜ分かったんです?」


「なぜという程でもありません。この事件には不自然なところがいっぱいありましたから。それらを繋ぎ合わせて行ったら自然と答えにたどり着いたというわけです」


 たとえば、と、リアスは人差し指を立てると、詳しく自分の推論を筋立てて説明し始めた。


「なんせ、魔獣を操るという山賊はやってることのスケールの割には無名だし、その癖名を上げようとするでもなく辺境の村で若い娘を攫うだなんて実験的なことをしているし。村で何か少しでも動きがあると必ず察知されると言うのもおかしな話です。更に、切迫した危機にも関わらず村は外部に助けを求めず、際限のない要求を飲み続けて貴重な若い人材を失うという、山賊達にとって都合のいいような方針が立っていく」


 そこで腕を組み、芝居がかった仕草で大きく頷くリアス。


「これはもう、裏で糸を引いている何者かがいて、山賊はその人物に特別な力を与えられる代わりに依頼、もしくは脅迫されてこの荒事を起こしていると考えるしかない。つまりその人物は魔獣を操る大層な装置を生み出し、過疎地の村を利用して実験的にその効果を試そうと考えているマッドサイエンティストで、村の内部の事態を客観的に観察できる場所にいる。かつ、時には村の方針決定に関わるほどの意見を提案できる立場にあるはずだ、となったわけです」


「……」


「正しくそんな条件に綺麗に当てはまるような人物は、この村には一人しかいません。そう、あなたですね、ドクター?」


 そして最後に肩をすくめて付け加えた。


「大体、あの偏屈で利己的で変わり者揃いの魔導研究所の科学者がわざわざ危険を犯してまで人助けに興じているって時点で、違和感のあまり寒気を覚えましたけどね」


「……なるほど」


 一連の推理を聞いて、ストアは観念したように瞑目した。


「自分では割と、上手く誤魔化せていたつもりだったんですがね」


「ははは、あなたが上手くやっていたのは、せいぜい表情の作り方くらいですよ」


 リアスが小馬鹿にするように笑うと、気に触ったのかストアは視線を鋭くする。


「だが、あなたが送り出した二人組は、帰ってこれやしませんよ」


「自分の手の内に随分と自信がおありな様子だ」


「元々代償の数は揃っていましたからね。本当はこの村はもう用済みなんです」


 ――代償。村の娘達を攫った目的はそれか。


「しかしそれでも尚、あなたはさっさと村から逃げ出そうとはしない。どうやらティシアちゃんのことが大層気になっていたようですからね。次は彼女で実験でもするつもりですか?」


 リアスの言葉を聞くと、ストアは少し俯いた。それから肩を震わせて、小刻みに笑いを漏らす。


「くくく、それはある意味では正解です。ですがその実験を行うのは私ではありません」


「どういう意味です?」


「あなた達にはまだ分からないでしょう。楽しみです、私のちんけな研究とは比べものにもなりませんからね。しかし、そのためには彼女が必要なのです」


 そこまで言うとストアは、不意に白衣のポケットに手を突っ込み何かを取り出そうとする。


 しかしその瞬間、彼の腕は肘の上から真っ二つに両断され、切り口から勢いよく鮮血が吹き出した。


「ぐうっ!? があああああああっ!!」


 突然の事に状況を把握できず、ストアは自分の上腕に出来た傷口を見たまま震え上がった。遅れて、宙を舞った彼の片腕が潰れるように地面に落ちる。


「ひっ! ひ、ひいいいい!」


 吹き出すようにとめどなく溢れ出る血を止めようと、ストアはもう片方の手で必死に断面を抑えるが、彼の白衣が赤く染るだけで有用な効果は見られない。そんな情けない男に、リアスはやれやれと近づき、無言のまま彼の傷口を剛力で握りつける。


「あぎぃっ!?」


 すると、握力で圧迫された血管が塞がり、一先ずの出血が収まった。それから今度は焼けるような激痛が襲ってきて、ストアは顔中に脂汗を浮かべながら陸に上がった魚のように口元をパクパクとさせた。


「そんなに叫ばずとも、みすみす殺したりしませんよ。貴方には色々と聞きたいことがありますから」


「あ、ああ……」


 恐怖に濁ったストアの瞳がリアスを映し出す。自分の腕を切断したのが、この澄まし顔の女騎士であるということくらいは彼にも察しがついているようだ。彼女はその視線を受けて、なんだか懐かしい気分になった。昔はよく、こんな目を向けられたものだ。


「あなたの目的はなんですか? 何故こんなことを?」


「ひ、ひぃ……」


 ストアはリアスに慄くばかりで、言葉を口にしようとしない。


 対してリアスは容赦なく、彼の傷口を握る手に力を込めた。骨が軋むような音を立て、飛び出した部分から中の髄液がどろりと零れ落ちる。


「あああああああ!!」


 最早ただの尋問ではない。正しくこれは拷問であった。


 ストアはその目に涙さえ浮かべながら、かすれ声で必死に答える。


「じ、実験ですよ、あなたの言う通り! 魔獣の操作と、そして召喚の……!」


 すっかり余裕の無くなった口調に、リアスは肩を竦めた。それから慈悲の欠片も持ち合わせない、静かながらも冷たい口調で質問を続けた。


「興味深いですね、もう少し詳しく」


「ぐっ……! す、少し前、ある人物が遂に魔獣を操る方法と、その発生の仕組みを解明した。この大陸の現状を打破しうる歴史的発明だ、私も興奮しましたよ。その技術の……実権的導入です」


「手順は?」


「場所はどこでもよかった。邪魔が入らなければ……この村を選んだのも、王都を発って真っ先に都合のいい場所が見つかったからです」


 答えながらストアは息を荒らげて、痛みに顔を歪めながらも、何かを思い出したように静かに笑った。


「ふふふ、実はこの村にいた一人の少女に手伝って頂きましてね。年頃のお友達を扇動してもらうために一芝居打って頂きました。召喚にはなるべく新鮮な人の血肉が必要なんでね。『外の世界が見たい』という熱望を持った、素敵なお嬢さんだったが……」


「ふむ、なるほど」


 ストアの笑みに含まれる感情には目もくれず、リアスは彼の上腕を掴んだまま質問を続ける。ストアの発言の中で特に気になっていることがあったのだ。


「ある人物、と言いましたね。それは? 魔導研究所の人間ですか?」


 魔獣を操作し、その発生のプロセスを暴く。そんな重大な発見をしながら、世間では全くニュースにすらなっていない。現にリアスもこうして、初めてその情報を得ている。


 となれば、「発明者」が意図的に事実を隠蔽している可能性が高い。何か成果を独占したい理由があるのか、あるいは後暗い研究を行っているのか。どちらにせよ見過ごす訳にはいかない。


 彼女の質問に、突如ストアの表情が凍りついた。そしてリアスから目を背けて首を振る。


「それは……言えません。ですが研究所の者ではありません」


「言えない? 今のあなたにその選択をする権利はないと思いますが」


「言えないんです!!」


 ただ事では無い様子で、声を震わせながらそう断言するストア。どうやら彼に黙秘を強要する圧力は、今正に襲い来る痛みよりも強いものであるらしい。何らかの脅迫をかけられているのかもしれなかった。


 これ以上追い詰めて舌でも噛まれたら厄介だと思い、リアスはやむなく質問を変えた。


「ティシアちゃんを狙った理由は? 彼女の何かを知っているんですか?」


「知っている!? 知っているですって!?」


 ストアは盛大に、食ってかかるように声を荒らげる。どうやら少しパニックに陥っているようだ。


「むしろあなた方は知らないのですか? この娘の重要性を!」


「どういう意味です? 明確に言って貰えないと分かりません」


「ハハハハハ! これは驚いた! まさかこんな無知蒙昧な連中の元に渡るとは! ある意味では私達にとって、またとない僥倖ぎょうこう


 何がおかしいのか、それともおかしくなったのか、ストアは今度は痛快に笑い声をあげた。奇妙な反応に、リアスが顔をしかめる。


「私達? 僥倖? 何を言っているんですか?」


「いえいえ、あなたには分からなくて結構! ですが今後、この少女は多くの人間に狙われることになるでしょう! 昼も夜も、いや、その隙間の一時の安らぎさえも許されないほどに!」


 瞳孔を開き、顔を真っ赤にして興奮した様子をみせるストア。段々と会話が通じなくなってきたのを見て、リアスは一度頭を冷やさせるために彼を気絶させようと拳を握った。


 ストアは怯みもせずに、尚も暴走したように舌を回す。


「あれほどの素材ですからねぇ、逃げられませんよ! 必ずや我々が! いや、我々の最高司祭が……!」


 そしてそこまで言って、突然言葉を途切らせた。それから、ハッと目を見開き、自らの口元に手をやる。まるで何かに気がついたように。


 次の瞬間。


「あ」


 短い断末魔と共に、彼の体が内側から縦真っ二つに引き裂かれた。


「何っ!?」


 さしものリアスも、あまりに唐突なその出来事に動揺し、声をあげる。


 見れば、唐竹割りとなったストアの死体から黒い色をした何かが現れ、そこから這い出ようとしていた。


 リアスは咄嗟に動かなくなった彼の腕を手放し、後ろに飛び退く。それから改めて、目の前のおぞましい「何か」に注視した。


「キキイィィィィ」


 石臼ですり潰したような、不快な金切り声。現れた存在は、腕のように見える細い部位を使って死体を引き剥がそうとする。そして、ぱっくりと割れた裂け目を先端に持つ、気味の悪い胴体を覗かせた。


 思わずリアスは顔をひきつらせる。眼前で起こったのは、彼女から見てもあまりにもショッキングな光景だった。


 ――なんだ、コイツは?


 正体不明の黒い物は、しばらくは悶えるようにしてぎこちなく体を動かしていたが、すぐにその動きが鈍くなってくる。


「ギィ……ギィ……」


 やがて、不気味な金切り声が細く弱々しくなり、本体の方も力なく項垂れて萎れてしまった。そのままピクリとも動かなくなった「ソレ」はしばらくして、風化したようにボロボロと崩れはじめる。


「……?」


 警戒心を解かぬままリアスが見つめていると、奇怪な黒い物体はすぐに、砂の像が風に吹かれるかのごとく跡形もなく消え去った。後には、虚空を見つめたまま息絶えているストアの死体が残ったのみである。


 取り残されたリアスは、その現実味のない出来事の顛末を見届けて、ごくりと唾を飲み込んだ。そして腰に両手を当てて考えを巡らせる。


 今し方消滅した謎の黒い物体や、ストアが最後に発したセリフについて気になることは多かったが、まずは無惨に転がった彼の亡骸について村人達にどう説明したものかを思案しなければいけなかった。

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