第十三話 明日無き者-1

 星海。


 それは私たちの暮らす大地に静かに寄り添う、始まりの混沌。


 我々が預かり知らぬ全てを、長きに渡り見守ってきた揺りかごである。


 この広大な世界を抱く星々の光は、それを見上げ、ただ明日を祈るか弱い者たちに全てを与えた。


 恵みの水と乾きの砂を。全てを照らす炎とそれを飲み込む深淵を。栄光の神秘と嘆きの呪詛を。


 夜の闇が星の光を運び、昼の明かりが影を作るように。


 全ては等しく私たちの元に降り注ぐ。


 そのおぞましくも美しい贈り物を、人は仰ぎ、ただ受け入れるしかないのだ。


 気まぐれに与えられた奇跡が、自らを明日の世界に導くことを、ひたすらに信じながら。


 -「星海の歌」第九章二節より-



 ♦︎



 マテルナは湿った土の匂いで目を覚ました。いつの間にか彼女は暗闇の中にいた。


 ここはどこだろうかと辺りを見回すが、周囲の真っ暗がりに目が慣れず、よく分からない。ただ、肌に触るひんやりとした空気の感覚と、風の流れが木霊するような独特の反響音から自分がどこかの穴ぐらの中にいるらしいということを察した。


 となるとここは……。


 ――まさか、山賊のアジトに?


 当然といえば当然の結論に至り、マテルナは思わず体を起こそうとする。しかし、彼女の意思に反して体は動かなかった。


 ――縛られてる。


 彼女はまんまと山賊の一味に捕らえられていたのだ。きつく縛られた縄の圧迫感に、マテルナは抵抗を諦めると、自分の最後の記憶を手繰り寄せる。


 そう、彼女の目の前であの二人の冒険者が恐ろしい魔獣を倒した場面を。


 その直後だった。突然、地面の中から泳ぐようにして奇妙な姿をした魔獣が現れ、一瞬にして彼女を捕まえたのだ。モグラと猿の中間のような滑稽な姿をした魔獣、その特徴に忠実に名付けられたサルモグラという魔獣であった。


 サルモグラはマテルナの体を抱えると、またしても泳ぐように、あるいは沈むように地面へと潜ったのだった。そして彼女は、短い悲鳴を残して地中へ消えると同時に意識を失い、たった今目覚めたというわけだ。


 暗闇を見つめながら、マテルナは思わず身震いをした。ここはあの恐ろしい山賊一味のアジトである。自分は全身を縛られ、今は頼もしい二人組もそばにはいない。一体自分はどんな目に遭うのだろうかと考えると、不安が彼女の喉元にまで込み上げきた。


 錯乱して叫び出してしまいたい気持ちを必死におさえつける。


 と、そんな彼女のすぐそばで、何かが動く気配がした。


「……マテルナ?」


 その気配は、か細い声でそう聞いてくる。


 それはマテルナにとって、どこか聞き覚えのある声だった。


「マテルナ、目が覚めたの?」


「……カナ?」


 そうだ。この安心感を覚える声は間違いない。


 一月も前に山賊に連れられて村から姿を消した、あの勇敢な少女の声だった。


「カナ? カナなの?」


「……うん」


 暗闇の向こうの気配は弱々しい声で返事をする。どうやらかなり参っているようだが、無理もない。こんな自分の鼻の先も見えない陰気な暗闇にずっと閉じ込められていたのだとすれば、気分も滅入るというものだ。


 だが、そんなことよりもマテルナは、カナが無事に生きているという事実が嬉しかった。


「カナ……。良かった、生きてたのね」


「……うん」


「ねえ、他のみんなはどうなったか知らない? カナの後も何人も、山賊の一味に連れて行かれたのよ」


「……」


 カナはしばし沈黙する。その反応に、マテルナは最悪の答えを想像して青ざめた。


「みんなもここにいるよ」


「そ、そうなの?」


「うん、ちゃんと生きてるし」


「そっか……でも、なんでカナみたいに話しかけてくれないの?」


「疲れて寝ちゃってるみたい。ここ、昼と夜の感覚も無くなっちゃうから」


 相も変わらずか細い声だった。あの気丈で明るくて、底抜けに前向きだったカナが。お日様みたいに眩しく笑っていたカナが。いかなる時も、みんなを振るい立たせていたカナが。


 どんなに辛い目に遭ってきたのだろう、と友人の境遇を想像して、マテルナは唇を噛んだ。だが、皆もカナと同じく生きているというのは朗報であった。


 そうとなれば、絶対にみんなと一緒に村に帰ろう、とマテルナは決心する。いずれは、あの頼もしいアリアとレミルも彼女達を助けに来てくれるはずだ。


「カナ、あのね。もうすぐとっても強い冒険者さんが私達を助けに来てくれるのよ」


「……」


「そうしたらきっと、山賊を倒してくれるから。みんなで村に帰ろう! それまでの辛抱だから」


「……」


 マテルナが励ます意図もこめて、闇の向こうに声をかけるが、急に返事がなくなってしまう。まるでそこに、誰もいなくなってしまったかのように。……いや、最初から誰もいなかったかのように。


 カナは不安になり、尚も冷たい暗闇の中で叫ぶように声をかけた。


「カナ! ねえ! カナも寝ちゃったの? 大丈夫だよ! きっとみんなで、村に帰れるから!」


 しかし何度呼びかけても、彼女の叫びは虚しく響くだけだ。何かがそれに反応する気配もない。


 ――カナ……どうして返事をくれないの? 一体どうなってるの?暗すぎて何も見えない。


 マテルナはモゾモゾと芋虫のように体を這わせながら、なんとか周囲の情報を得ようとした。そして、そこでふと奇妙な疑問が湧いてくる。


 ――何も見えない……? それじゃあどうして、カナは私のことが分かったの?


『マテルナ? 目が覚めたの?』


 暗闇の向こうから、カナと思われる声がはじめに投げかけてきた質問がそれだ。マテルナの方からは全く相手の姿を確認出来なかったのにも関わらず、である。


 何故か嫌な予感がした。


 全身からじわりと冷たい汗が滲んできて、背筋が薄ら寒くなってくる。


 ――今さっきそこにいたのは……なに・・

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