第十二話 耳とナイフと怪物と-6

「お前も大概、俺の扱いが酷いな」


 はじめて会った時に自分のことを「ボロ雑巾」などと揶揄しておいて、同じくボロ布同然の衣服に身を包んでいる少年に対してはこの対応である。レミルは世の不条理を嘆かずにはいられなかった。


「大体レミルさんは人相が悪いというか態度が悪いというか。子供の相手をするの、明らかに苦手そうですもんね。そんなんだから話を聞いてもらえないんですよ」


 アリアが呆れたように首を振る。それから少年に、彼のナイフを返しながら尋ねた。


「それで、君。お名前はなんて言うんですか?」


「シュウ」


 それを受け取ってベルトにしまいながら、少年は短く、しかし以前よりも幾分柔らかい口調で答えた。


「ではシュウ。あなたはどうしてこんな所にいたんですか?」


「……」


 シュウはアリアの質問を受けて、一度伏し目がちに目を逸らすと、しばし黙り込んだ。そんな彼にアリアは優しく問いかける。


「言いたくないですか?」


「……ううん」


 シュウはそこで首を振ると、意を決したように口を開いた。


「僕、少し前に先生とはぐれちゃって」


「「……先生?」」


 突然彼の口から飛び出した単語に、アリアとレミルは一様に首を傾げる。


「そう。僕にナイフの投げ方と、毒の作り方と、食べ物の取り方と……とにかく沢山教えてくれた人。だから探していたんだ」


「その先生というのはどんな人なんですか?」


「それは……」


そこでシュウは言い淀んだ。何か打ち明けられない事情がありそうだ。


「先生のことは他の人には話してはいけないって言われてる」


「話してはいけない、ねえ」


 レミルがいかにも胡散臭いと言わんばかりの目つきで見やると、シュウはその視線から逃れるようにササッとアリアの影に身を隠した。それを見て母性本能をくすぐられたアリアが、彼を庇うように両手を広げる。


「こら! すぐにいじわるしない」


「いや! いじわるというかだな、信用出来ないだろそんな話」


「そうかもしれないけど、信じてもらうしかない。先生のことは話せないから」


 アリアのローブの裾を握りながら、申し訳なさそうにそう言うシュウ。レミルもその態度に、流石にそれ以上追求する気にもなれず、やむなく話題を切り替えた。


「むう、大体さ。先生を探すったって何でこんな森の中に?」


「それは……僕はエルフだから」


「どういう意味だ?」


 と、無知な質問を投げかけるレミルに対して、物知りなアリアがシュウの代わりに答える。


「エルフ族は汚染に対する感受性が高いんですよ」


「ていうと?」


「はあ……。次の街に立ち寄ったらレミルさんには文化人類学の書物を紹介しましょうか」


 どうやら根本的なところから紹介してやらないといけないらしい。アリアはため息をついてそんな皮肉を口にしながらも、エルフという特異な種族についての詳しい説明を始めるのだった。



 -☆-☆-☆-☆-☆-



 エルフという種族はハイニウムに暮らす八つの種族の中でも、とりわけ高い知能と温厚な気質、そして理知的な行動規範を持ち、自然信仰の伝統を重んじる傾向がある。彼らは外見的には最もヒューマンに近く、密接した近縁に当たると考えられており、旧時代に記された歴程の数々にも「私たちの最も親しい隣人」として紹介されている。


 彼らが自然との調和を重要視するのは、彼らの持つその合理的かつ献身的な性格だけが理由ではない。彼らの肉体は他の人間種族と比べて特に繊細であり、汚染の影響を受けやすいのだ。


 エルフの成長には、澄んだ水と綺麗な空気が最も重要である。そのため、彼らはヒューマンとは異なり、渓流や密林の奥の秘境地帯に集落を作って過ごしていることが多かった。これ程の優秀な種族がこれまで、ヒューマンに取って代わり大陸の支配権を得るに至らず、また友好的な彼らの種族性にも関わらず他種の人間との交流が少ないのもそのためである。


 よって彼らは、自らの繁栄のためにも、それを最も支援する自然環境を深く崇敬しているという訳だ。その卓越した知能や技術で生み出した如何なる技術をも、エルフは自らを取り巻く大自然へ捧げることを厭わない。


 この様にエルフ族は人間の中でも最も進化、洗練された技能を持ちながら、同時に自然回帰という野生特性を色濃く残した種族なのだ。


 しかし、この完璧とも思えるヒューマノイドにも、歴史上にただ一つの汚点もないかと言われれば、それは嘘になる。


 約千二百年も昔、エルフ族が大陸征服の野心を抱いたことがあった。世に言う「エルフの侵攻」である。最も進んだ技術と崇高な文化を持ち、優秀な知能と勤勉な性質を持った彼らはかつて、自分たちは大地より他の種族を管理する責任が与えられている、と考えたのだ。


 空気を汚し、毒を垂れ流し、略奪と闘争に明け暮れる。そんな他種族に向けられた抑圧的な鬱憤は、過激な差別排斥運動に繋がり、そして彼らを大陸征服の野望へと突き動かすことになる。


 文献によれば、エルフの攻撃を受けた人間の中でも、最も非力で魔法にも優れず、自己の鍛錬を苦手とするホビット族が甚大な被害を被ったとある。いずれにせよ、圧倒的な文明技術を誇るエルフ族の驚くべき快進撃は、大陸の全ての種族を脅かすことになったのだ。


 ただし、「エルフの侵攻」はそう長くは続かなかった。


 彼らには致命的な弱点があったのだ。


 神はエルフに、兵器の吐き出す毒に耐えうる体を与えず、また大軍を制御する能力も与えなかった。この優秀すぎる種族が、大陸唯一の支配階級とならないように、しっかりと制御する仕組みを設けていたのである。


 その弱点は、七種族の連合軍による反撃を受けてすぐに明らかなものとなる。


 彼らは皮肉にも、自らの用いた強力な兵器の吐き出す代償によって自滅した。加えて、各地の秘境に分断されて暮らしてきた彼らは、種族単位の多人数を統制する機構を持ち合わせていなかったのだ。


 やがて大陸の覇権争いにただ一度出撃したエルフの軍勢は瓦解し、間もなく連合軍に降伏することとなる。


 以来、エルフ族はこの大事件を、自分たちを戒める絶対の鎖として欠かさずに言い伝えている。「エルフの侵攻」が、魔法体系が確立されるより遥か以前の旧時代のものであるにも関わらず、今日までその詳細が色褪せずに残されているのはそのためであった。


 そんな彼らが現在、種の存続すら危ぶまれるほどの重大な危機に瀕している。


 原因は五年前に行われた、「白銀の大国」メルキセドの大遠征と、それに伴う「エルフ大粛清」である。昨今、大陸で最も強大な軍事力と傘下の国々から得られる潤沢な資源を持ち、多くの国々を委任統治している超大国メルキセド。かの国が五年前、エルフ族が再び大陸の覇権と現体制の転覆を狙い、大陸百年戦争によって疲弊した世界を掌中に収めようとしている、として彼らを糾弾した。


 当時、永世中立国であった「虹の橋の国」ハールーンランドの調査団はこの告発を受けて、エルフ族の集落を入念に調査。その結果として「嫌疑あり」との結論を出し、これによって大義名分を得たメルキセドは大軍を派遣してエルフの里を襲い、彼らの大粛清を敢行したのだ。


 この悲劇から二年後に、ハールーンランドは百年戦争終戦時からメルキセドより多大な支援を受けていたことが明らかになり、同時に正式にメルキセドの委任統治下に入る。しかし、この衰退しきった大陸で、最たる武力と影響力を誇るメルキセドに対して、正式に過去の事件の審議を要求することの出来る国はなかった。


 かくして、生き残ったエルフ族は故郷を追われて散り散りとなり、隠れ住むようにして過ごさなければいけなくなった。同時に、近年人間界に蔓延する奇病が彼らをも蝕み、突然変異を起こして新たな流行病をもたらすのだが、その事についてはまた別の機会に話すことにしよう。


 今最も重要なことは、レミルとアリアが出会った年端も行かぬ少年が、大陸の激動に見舞われ窮地に立たされている「哀れで愛おしい隣人」の一人である、ということなのだ。



 -☆-☆-☆-☆-☆-



「……というわけです」


 ざっくりとしたものだが、ハイニウムに暮らす八種族の内の一つ、エルフについての説明を終えたアリアは、レミルに対して「わかりましたか?」と視線をやった。


「それは……よく分かったけどよぉ」


 レミルの方は、ちらりとシュウの方を見ながら未だもやもやとする疑問について尋ねてみる。


「結局、シュウがここにいたこととどう関係するんだ?」


「大アリですよ。何度も言うようにエルフ族は汚染された環境に弱いのです。特に彼のような幼少期のエルフは、発育のために新鮮な水と空気が必須ですから」


 アリアは、すっかり大人しくなったシュウの頭に手を乗せてそう言った。


「つまりこのような森や湖など、自然に囲まれた環境が生活の場として望ましいというわけです」


「先生にも、なるべく森で過ごすように言われてた」


 後を引き継ぐように、シュウが補足する。レミルはそこでようやく、ふうん、と納得を示して。


「なるほど、結構不便なんだな。じゃあお前、この森の外には出られないのか?」


 レミルの問いに、シュウはふるふると首を振る。


「僕は出られる。先生を探して別の場所からこの森に来たんだ」


 そして、肩にかけたベルトをずらすと、一箇所だけナイフケースの代わりに取り付けられたポーチを開けて、中身を見せてきた。


「これのお陰で」


 それは幾つものガラス瓶に入れられた奇妙な液体と、ピペットのような先の細くなった注入器具だった。恐らく器具を使って液体を取り出すのだと思われるが、その液体の正体がよく分からない。一見透明なように見えるのだが、木々の隙間から差し込む光を反射すると、なんと虹色に輝いたのだ。


 アリアがそれを見て、怪訝そうに眉根を寄せてシュウに近づく。


「それ、少し見せてもらってもいいですか?」


「いいけど……大事なものだからあげないよ?」


 アリアは「まさか」と笑うと、無数の小瓶の内の一つを手に取って、じっくりとそれを凝視する。それから、驚いたように目を丸めて唇を震わせた。


「こ、これ……もしかして「神秘の霊薬ソーマ」?」


「そーま?」


 聞き慣れない単語に、レミルが首を傾げる。シュウも不思議そうな顔だった。


「神秘の霊薬……あらゆる病や不浄を払い、死の淵からも人を甦らせるという万能の薬です。この世で最も貴重な「神の証明ミスティカ・アーツ」と呼ばれるものの一つですよ」


「……はあ?」


 何だかピンと来ない解説に、レミルは唸る。それに対してアリアは魅入られたように小瓶を見つめ続けながら続けた。


「三百年前……ティターン族の治める「遺跡の大国」ネザークリフの先々代国王バルドルが生み出し、各国への分配を条件としてあの「聖戦」を終わらせたとされる歴史上に実在する正真正銘の奇跡の一つ! もしこれがそうだとするならば、一体何でこんな所に!」


 アリアは興奮したように瞳孔を開き、顔を上気させながら唐突にシュウの両肩を掴む。


「シュウ! あなたの先生は一体どこでこんなものを!?」


「え、え? いや、それは分からない……」


 一瞬戸惑いながらもシュウは首を振った。


 アリアはその返事をきいて、顎に手を当て、何やら一人でブツブツと呟き出す。完全に自分の世界に入り込んでしまっている様子で、傍から見ると少し危ない感じがした。


「ソーマは確か百年前、ネザークリフと……そしてデルクラシアの管理するものが何者かによって盗み出されていたはず。そして、聖戦を終わらせた霊薬が皮肉なことに今度は大陸百年戦争の引き金になってしまった……」


 それから難しい顔をしたアリアは、小瓶をシュウに返しながら言う。


「シュウ。大事なお薬を見せてくれてありがとう。でもこれからは、あまりこれは他人に見せないようにして下さい」


「え? なんで?」


「それはあなたが思うよりもとっても貴重なものなのかもしれないからです。無闇に見せびらかしたら、本当に誰かに盗まれてしまうかもしれませんから」


「ふうん、そっか……」


 シュウはそう言われて、目を細めて神秘の霊薬の入った小瓶を見つめた。何か思うところがあるようだ。


 一方のアリアは、ますます深く考え込んでしまう。


「ふーむ、確かにあれが本物の霊薬なら、エルフの体を汚染から守ることもできますね。それにしてもシュウの言う「先生」は一体どうやってこんなものを……」


 段々と本来の目的から逸脱しつつあるアリアに、レミルは未だに縛り付けの状態のまま忠告した。


「お、おいおい、その何とかってのも良いけどよ。俺たちの今するべきことは違うだろ!」


 その言葉に、アリアがハッと我に返り、慌てた様子でレミルにかかっていた緊縛の魔法を解除した。


「そ、そうでしたね! マテルナさんの救出を急がないと!」


「やれやれ……ったくよ、賢いわりにどっか抜けてるよなぁお前」


 ようやく自身にまとわりつく魔力の縄が消失したことで、レミルは立ち上がりながら、折角新品に揃えた服についてしまった土を叩く。

そんな彼らに、シュウはきょとんとした表情で尋ねた。


「二人は……この森で一体何をしていたの」


「私たちは山賊の一味を倒すためにやってきました」


「山賊……?」


「ああ。ここいらの洞窟に潜んでるっていうおっかない悪モンさ」


 とにかく、シュウが山賊とは関係のない存在だったために仕切り直しとなったアリアとレミルは、急ぎ探索を再開しようという意思をお互いに確認する。


シュウは尚も二人を見上げながら。


「それって……」


「なんだ? 山賊に憧れでもあるのか? やめといた方がいいぜ、あいつらは……」


「少し前から向こうの岩穴に入り浸っている人狩りのこと?」


 シュウが遠くを指さしながら、小首を傾げた。


 それを聞いて、アリアとレミルは一度瞬きをしてから顔を見合わせたのだった。

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