第十二話 耳とナイフと怪物と-4

 刺さっていたのは、小型の投げナイフだった。その手の業界ではよく見かける、暗殺用の小道具だ。刃の部分がノコギリのようにギザギザとしており、切れ味よりも確実に傷口を血管まで届かせることに重きを置く用途のようだ。


 つまり恐らくは「毒」である。


「え!?な、なに?」


 幹に突き刺さった反動で揺れているナイフを見て、事態を理解していないアリアが驚きふためいた声をあげる。しかし、レミルはそれには答えず、先程感じた敵意の正体を探知しにかかった。ナイフの威力と飛んできた方角から、それが投げられた位置を逆算で予測する。


 と、レミルが見当をつけて睨みつけた辺りの草むらが、微かに揺れた。それを目にしたレミルは、動揺するアリアをよそに駆け出した。


「えぇ!? ち、ちょっとレミルさん!?」


 今度はレミルにまで置き去りにされ、アリアが説明を求めるように彼を呼び止めようとするが、今はそれどころではなかった。


 絶対に逃がすまいと、レミルは地面を蹴る足に力を込める。この状況で自分を攻撃してくるということは、ナイフの持ち主は山賊の一味の者である可能性が高い。だとすれば、ここで捕まえることが出来ればこれ以上ない手がかりになるはずだ、と彼はそう考えていた。


 どうやら位置がばれたことに気がついたらしく、茂みががさがさと大きく揺れる。


「野郎、逃がすかァ!」


 レミルはそこに隠れている人物に向かって叫んだ。そのまま茂みをかき分けると、逃走する相手の気配を追って更に森の奥へと向かう。駆け比べには自信があるので、とことん追い詰めてやるつもりだった。


 足音と、時折木や草むらの裏へと消えていく相手の影を追いかけて、レミルは森の中を縦横無尽に駆け回った。相手は森というフィールドを利用して網の目のように身軽に逃げ回るが、レミルも器用にその後を追走し、徐々にターゲットとの距離を詰めていく。


 間もなくレミルは、木々の隙間を抜けていく相手の背中が視界の端に映る程にまで追いついた。そしてその後ろ姿に漠然とした違和感を覚えたが、今はとにかく目標を捕えることを優先し、その違和感を振り払う。そこからラストスパートをかけるべく、更に加速した。


 そのまま全速力で、さっきの背中が走り抜けて行った木々の隙間を突っ切ろうとした時。


「どわっ!」


 まるで待ち構えていたかのように、死角からまたもや投げナイフが飛んできて、思わず素っ頓狂な声をあげながら身をよじって回避する。間一髪掠りもせずにかわしたレミルは、その場で立ち止まると辺りを見回した。


 先程からコソコソとナイフなんかで狙い撃ちしてくるとは何事か、と一つ大声で説教でもしてやろうかと思っていた所に、静かなトーンの声がかけられた。


「しつこいやつだ。それにすばしっこい」


 レミルはすぐさま、その声のする方へと目を向けた。


「おうおう、さっきからケチな武器を投げつけて俺を狙ってたのはお前……か?」


 そして、そこに立っていた者の姿を見て、思わず拍子抜けしたようにぽかんと口を開けたのだった。


 そこにいたのは、恐らくはまだ十にも満たないであろう年齢の少年だった。レミルからは充分な距離を起きつつも、これ以上逃げるつもりはないらしい。彼のことを鋭く睨みつけ、用心深そうに身構えていた。


 服装は粗末なシャツにボロボロになった皮のスカート、その下にはショートパンツを履いていた。靴は厚底のブーツだったが、随分と長いこと使い古しているのか、靴紐はほつれ、所々がやぶれてめくれたりしている。


 他にも肩にかけるタイプのベルトを身につけており、そこには無数のナイフが装着されている。レミルに向かって投げつけたものと同じナイフだろう。今も、いつでも取り出せるようにとその内の一本の柄に手を当てていた。


 片目が隠れるほどの色褪せた長い金髪を無作法に伸ばし、その瞳はエメラルドの宝石を思わせるような美しい緑色をしていた。肌は年相応にみずみずしく滑らかで、ほの紅く上気している頬もふっくらとしていたが、あまり満足な食事を摂っていないのか、不機嫌に結ばれている唇の血色はあまりよろしくない。


 何よりも目を引いたのは、髪の間から覗く長く尖った耳である。それはこの少年がヒューマンではなく、現在では珍しくなったエルフ族である事を表していた。


 レミルの予想としては、山賊の一味ならばもっと荒くれた汚らしい男が相手だろうと思っていたが、まさかこんな小さなナイフ使いが目の前に現れるとは予想だにしておらず、しばしの間固まってしまったというわけだ。


「お前が山賊の一味か?」


 気を取り直すと、レミルはなるべく相手の気を逆撫でないように、慎重に尋ねる。エルフの少年はその問いに怪訝そうに目を細めて答えた。


「山賊? なんのこと」


「なんのことって、とぼけんなよ。それなら何でいきなりナイフなん……か!?」


 その答えに、レミルが一歩前に進むと、途端に少年は素早い手つきでレミルの足元にナイフを投げつけた。容赦のない投擲に、たまらずレミルは飛び退く。


「ぬ、ぬわにすんだ!」


「それ以上僕に近づくな」


「な、なにをぉ!」


 それにしたって急に刃物を投げつけてくるこたぁねえだろう、とレミルは顔をしかめた。しかし相手の少年はそんなレミルの気持ちなど知る由もなく、淡々と聞いてくる。


「お前たちこそ、あの人狩りの仲間か?」


「ひ、人狩りぃ?」


 何のことか分からずに、レミルは首を傾げた。


「お前たちの近くに魔獣がいた。木も切り倒されていた」


「ああ、そうだ。俺たちはあの魔獣に襲われて……木もあいつが」


「証拠はある?」


「そんなもんねえけどよ」


「なら信用できない」


 感情の抜け落ちた声で簡潔にそう言うと、少年はベルトから物騒なナイフを抜きはなった。気が早いのか、コミュニケーションが苦手なのか、とにかく向こうの態度からは、仲良くお喋りをする気がまるでないということが分かる。


 レミルはおどけたように下唇を突き出し、肩を竦めた。


「へえ、じゃあどうすんだ?」


「お前を倒す」


 言うが早いが、少年は洗練された動きで手に持ったナイフを投げつけてくる。銀色の刃先が木漏れ日を照り返して鋭く光った。

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