第十二話 耳とナイフと怪物と-3

「おっ」


 レミルもそれを見て相手の意図を悟り、アリア達に目を向ける。しかし、フンババとじゃれ合う内に随分と二人から離れてしまっていたらしく、今から間に割って入ろうとしても間に合いそうにない。


 仕方がないので、アリアに向かって大声で呼びかけた。


「アリアー! 悪い、そっち行った!」


「悪いって、あのですね……」


 とっくにフンババのきな臭い狙いを察知していたアリアは、やれやれとため息をつき、落ち着いた様子でメイスを構える。既にその先端には詠唱されたルーンが、取り巻くように浮かび上がっていた。


「念の為に詠唱を済ませておいて良かったです」


 そう言って、アリアは手にしたメイスに力を込める。それによって、マナから生み出された魔法の光が彼女の眼前に具現化した。


「少々おいたが過ぎますよ」


 その光は、自身を生み出した魔法使いの意思に従って細長く変形し、矛先を迫り来るフンババへと向けた。


「刺し穿つ光よ……シャイニング・アロー!!」


 アリアがそう叫ぶと同時に、光の矢がフンババに向けて放たれる。残像の軌跡を残して、光の魔法は一瞬の内に寸分の狂いもなく、魔獣の脳天を撃ち抜いた。恐らくフンババの視界に最後に映った光景は、掻き消えるようにして飛んでくる閃光が世界一面を覆い尽くすところだっただろう。


 刹那の後、額の真ん中に風穴を開けたフンババは瞳の中の苛烈な光を失うと、力なくその場にくずおれたのだった。


「ふう、終わったみたいですね」


 アリアは、目標の完全な沈黙を確認すると安堵した様子でメイスを降ろした。


 一瞬。ただその一瞬、アリアは目の前の結果に気を取られ、警戒を怠ってしまう。その瞬間、彼女の背後から短い悲鳴が聞こえた。


「きゃっ!」


 すぐにアリアは緊張感を取り戻し、後ろを振り返る。しかし……。


「マテルナさん……?」


 そこにいるはずのマテルナの姿はどこにも見当たらなかった。いつの間にか忽然と、消えてしまったかのように、彼女の気配すらも全く感じられなくなっていた。


 状況を理解したアリアは顔を青くして、周囲を見回す。しかし、やはりどこにもマテルナは見当たらない。


「し、しまった……」


 完全に油断してしまった。たとえ瞬きほどの間だとしても、安全の保証のない状態で気を抜くなどと何たる失態だろうか、とアリアは自分の迂闊を悔やむ。あのフンババが山賊の一味の放ったものであるとするならば、今、マテルナは恐らく攫われてしまったに違いない。それもアリアがほんの一瞬、マテルナへの注意を逸らしたタイミングを見計らって。あるいはそれにも魔獣を利用したのかもしれない。


 ――もしかして、はじめからそれが狙いだったのか。


「アリア!」


 切迫した様子で考え込むアリアの元にレミルが戻ってくる。


「れ、レミルさん! マテルナさんが!」


「何!?」


 レミルはアリアの肩越しに彼女の背後を確認し、それから先程アリアがしたように辺りを見回した。そして、どこにもマテルナの姿が見えないことを確認すると。


「ま、まさか……」


「すみません、私が気を抜いてしまって……」


「気にしてる場合か!それよりも彼女の身が危ないかも」


「早く救出した方が良さそうですね」


 何より、どういう目的にせよフンババのような危険な魔獣をけしかけてくるような相手である。マテルナを誘拐したとして、彼女を大事に温室でお世話をしてくれるようなタイプではないことは明白だ。


 今は悔やんでいるよりも、マテルナを助けることに集中した方がいい、とアリアも自分に言い聞かせた。


「とはいえ……」


「そのマテルナさんが案内役だったんですよね……」


 レミルとアリアはお互いに顔を見合わせ、まるで勝手の分からない森の中を眺めた。


 これまた失態である。念の為事前に、山賊が根城に使っているという洞窟の詳しい場所や、その目印を聞いておくべきだったのだ。このままでは、右も左も分からない森の中で、宛もなく山賊一味を探し回ることになりかねない。


 レミルがその途方もない顛末を想像し、頭を抱えようとした時だった。


「……っ!」


 突如、自身に向けられた何者かの敵意を感じ取ったレミルは、半ば本能的に上半身を後ろに折る。間一髪、その鼻先すれすれを鋭利な何かが通り過ぎ、その先にある木の幹に突き刺さった。

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