第八話 奇跡の滴-5

 その後、しばらくして怪我人の治療と、そして死傷者達の追悼のために村人全員が、集会所の近く、村の高台に当たる小高い丘の麓にある大広場に集められた。村民の人数は、外観と比較してもそれほど多くはない。一つの村落に妥当なほどの人数で、村一番の大広場に何とか全員集まる事が出来るかどうかというところだ。


 多くの住民は、先ほどモーザドゥークの群れに囲まれていた村の唯一の役場施設である集会所に逃げ込んでいたらしい。逃げ遅れた者や、あるいはどうにかして魔獣に対抗しようとした者もいたが、普通の人間がくわすきを持った程度では魔獣に適うはずもなく、その結果は凄惨なものとなった。


 以前の二度の襲撃はドクター・ストアの助言もあって何とかやり過ごす事が出来たが、今回は予期せぬ事態の勃発ということも相まって被害が大きくなってしまったのだとか。


 今、広場には多くの人間が集まっているが、そこは喧騒とは無縁の空間であり、むしろこの悲惨な事態に陰鬱な雰囲気が漂っている。村の中央にはまだ体温の残っている被害者の遺体が並べられていて、村長を中心に村人全員がそれを囲うようにして弔いの準備をしていた。


 何故かその場に参列させられていたレミル達は、村長の真後ろの前列というポジションでその様子を眺めていた。


「息巻いて出発したはいいものの、早速こんな事件に出くわすなんて、なんだかなぁ」


 レミルがあまり乗らない気分で空を見上げながら言った。晴れ渡っていた空にはいつの間にか雲が立ち込め、太陽を遮ってしまっている。


 曇天模様にティシアも不安げにため息をついた。そして並べられた哀れな遺体や、既に虫の息となり手の施しようのない者達に視線をやると、すぐに痛ましそうに目を閉じ、眉間にシワを寄せた。


「どうか、神の救いがありますように」


 ティシアは胸の前に手をやると、小さな声でそう呟く。と、それを見たレミルが首を傾げた。


「神様って……君はプリーステスか何かだったのか?」


 レミルに問われて、ティシアはハッとしたように自分の所作を見返した。そして、はて、と小首を傾げると不思議そうに言う。


「どうなんでしょう、何だか自然と今の言葉と仕草が現れてしまって。もしかしたらそうだったのかもしれませんね」


 そんなティシアの言葉に、アリアが目を瞑ったまま口を挟んだ。


「死者への神の救いという思想に、胸の前に手をやる祈りの所作。かなり昔に趨勢を誇った救星教のものではないですか? 恐らく、ティシアさんが着ているその綺麗なローブもプリーステスとしてのものだと思います」


 しれっと彼女の身元を推測してみせるアリアに、レミルが面食らったように舌をまいた。


「なんか、詳しいのな」


「私はマジックキャスターですから。聖法、儀礼、神秘、そういったものの知識には覚えがあります。それこそティシアさんのその服装ですが」


 アリアはレミルの問いに答えながら、改めてティシアの纏っている純白色の無地のローブを目で指した。


「大国のお姫様の服装にしてはちょっと地味ですよね、多分王女と司祭さんを兼ねていたんじゃないですか」


 言われて見れば、確かにティシアのその服装は王侯貴族のイメージにある絢爛な衣装、というものとは少しかけ離れている。むしろ質素や節制と言った趣すら感じられるほど気取りがなく、落ち着いていた。


 どころか、髪飾りやブレスレットなどの装飾品の類さえ、彼女は一切持ち合わせていない。ティシアは徹底したまでに簡素な自分の服装をじろじろと見ながら納得したように頷く。


「でも、王女様と司祭様の兼任なんてするものなのか?」


「今の時代ではそう言った事はあまりありません。ですが、かつては王権神授と言って統治者の位は神様によって授けられるものだと信じられていましたから。それが権威の裏付けになっていたんです。よって王様王女様という役割そのものが、そもそも国の最高司祭のようなものだったんですね」


「な、なるほどなぁ」


 レミルは腕を組んで、顔をしかめる。


 ティシアは自分のローブの裾を引っ張ったり弛ませたりして眺めながら、アリアの言葉に応えた。


「言われてみれば、なんとなくそんな覚えがある気がします。昔の私は……ずっと神様にお祈りをしていたような」


「させられていた、という方が正しいと思いますよ。救星教はそういう宗教だったと聞きます」


「そもそも、救星教ってなんだよ」


 レミルが率直に疑問を述べると、アリアは彼と会ってもう幾度目かになる、とんでもない常識知らずを目にしたかのような呆れた表情を浮かべる。それからすぐに、またか、とでも言いたげに肩を落として嘆息した。


「……はぁ。本当に何もご存知ないんですねー」


「そりゃどうも」


 目を細めるアリアに対し、レミルはブスッと返す。


「いいですか、救星教はかつて大陸の様々な国で国教として力を持った教派です。神が遣わせる「天の極星」、即ち勇者の到来を信じ、混迷の時代に救いを見出そうとした宗教。最も、現代では時代の流れに淘汰されて、ほとんど原型を保っていません。大陸を席巻する「星導教会」との勢力争いに勝てず、消えて行ったとされています」


「へえ、じゃあティシアはその救星教とやらに?」


「恐らくは。昔、大陸で覇権を争った教派は救星教と覇道教。イルシア連邦は救星教派の国家だったはずですから」


 アリアはそう語りながら、両手で拳を握ってそれがぶつかり合うような仕草をしてみせる。レミルは分かったような分からなかったような曖昧な表情で返した。


「ふーんなるほど、色々とあんのね」


「いや、これ常識ですから」


 困ったような表情でアリアがそう言う。


 そこへ、不意に背後から何者かが近づいてきた。


「君たち」


 その人物に声をかけられ、三人は同時に振り返る。


 見ると、白衣のような服をずぼらに着こなした背の高い男が立っていた。男は少し癖のある視線で三人の方を見下ろしながら、気さくな笑みを浮かべて聞いてきた。


「君たちはリアスさんの連れだとか?」


 突然そんな事を聞いてくる男に、レミルは少し警戒したように目元を引き締める。


「あんたは?」


 威圧するつもりは無かったのだが、男の方は睨みつけられたと思ったのか、ポケットに突っ込んでいた両手をサッと上げて苦笑いした。


「おいおい、怪しい者じゃないよ。私はストア。訳あってこの村に滞在させてもらっている研究者だ」


 研究者然とした妙に胡散臭い笑いに、背を丸めて少しみっともない姿勢で自己紹介と洒落込んでくるストアという男。気の抜けるような彼の態度に、レミルは警戒の姿勢こそ解いたものの、ぶっきらぼうに言う。


「どうも。それで用件は?」


 飽くまでも辛辣な対応に、ストアは思わず頭をかいた。


「はは、なかなか厳しいね。いや、これから協力してもらうとなれば、挨拶くらいはしておこうかと思っ……?」


 そこまで言ってストアの目はティシアの姿を写し、そして言葉を止める。そのまま、まるで石にでもなってしまったかのように固まった。その間、彼の瞳はずっとティシアのことを見つめていた。


 時間にしてみれば数秒にも満たない間のことだった。というのも、思わず自分の世界に入りかけてしまったストアに対して、アリアが怪訝そうに尋ねたからだ。


「き、協力? あの……協力って?」


 その言葉に、ストアはハッと我に帰ったようにアリアの方を向き、そして頷く。


「あ、ああ。今回の一件に関して君たちに協力を依頼したんだが、リアスさんから聞いていないかね?」


「な!」


 そんな事情は露ほども知らなかったアリアが、たまらず絶句する。それからわなわなと肩を震わせ始めた。


「ま、またあの人は勝手に手のかかりそうな事を……」


 頭が痛そうに呟くアリアに、レミルが心中を察して肩をすくめる。どうやら随分苦労してきたご様子だ。


 ストアは自分を落ち着かせるように一つ咳払いすると、動揺を隠しながらティシアに聞いた。


「ところで君は?」


「え?」


 突然自分のことを聞かれて、傍観に徹していたティシアは少し戸惑う。


「わ、私ですか?」


その質問の意図を測りかねて、彼女は何と答えて良いか分からず言葉に詰まった。


「えーと、わ、私は……」


 と、ティシアが何かを答えようとした時。


「お父さん!!」


 彼女の言葉と重なるように広場の中心の方から声が上がった。


 そちらの方を見れば、まだ小さな女の子が、広場に並べられた一人、まだ温かさの残る男の遺体に寄り添い、肩をゆすっていた。遺体は魔獣に襲われて命を落とした者だろう。その傍らで、母親と思しき若い女性が地に手をついて涙を流している。


「お父さん、お父さん!!」


 まだ現実が受け入れられないのか、しきりに父の遺体に声をかけ続けていた。いつの間にか追悼の時間は終わり、広場では多くの人間が、並べられた遺体に各々声をかけたり、それを見て涙を流したりしていた。


 恐らくは身近な関係にあったのだろう。その死に嘆くほどの余裕すら彼らにはまだないのかもしれない。それでもあまりに過酷な現実に、泣き崩れ膝をつく者もいた。まだ失われない体の温もりが、一層現実味を失わせていたのかもしれない。


 村長に肩を抱えられたパンネッタが、抱えがたい責任を感じているのか、懺悔するように顔を埋め嗚咽を漏らす。真の悪は、この村を襲っているという山賊の一味だろう。だが、そうであったとしても彼女には、自分がこの出来事の発端であったということの自覚があった。それはきっと、彼女にとって耐えられない重みだろう。


 リアスの活躍で最悪の事態こそ免れたものの、どうしても救われない理不尽な現状というものがそこにはあった。生き残った者とそうでない者とを分かつ壁、死だ。


 アリアとレミルがその光景に顔をしかめる横で、ティシアは歯を食いしばり、無力を嘆くように拳を握った。


 アリアとレミルにはその光景を、どこかで割り切って達観することが出来た。もちろん、決して目にして気分の良いものではない。むしろそれらは彼らにとっても、当然の悲壮な気持ちを起こさせる。しかし同時に、そういった現実を割り切れるくらいには、世の中の在り方を知っているのだ。だから哀悼の意を表すことはあっても、自分まで歯噛みするような事は無い。


 この残酷な世界で、誰かがまた、命を落とした。そんな現実を淡々と目にするだけだ。


 だが、ティシアにとってはその感情は、そう簡単には行かなかった。彼女には人の死を割り切れるほどの心構えはない。どころか、目の前の光景に自分までもが悲しみ、無力さに悔しくなるような、そんな不合理な感情があった。


 例えそれが、名も知らない人々の事であったとしても、純粋に、人間的に、彼女はそれらに同情を示した。



「お父さん……うっううっ……お父さん……!」


 遺体に寄りかかる女の子はついに、堪えかねたように声を上げて泣き始める。無情にもその声に返事が返されることはなく、多くの人々がかける声もまた同様だった。


 その過酷に耐えかねたように、ティシアが一歩前へと進み出た。


 レミルがその仕草に気づき「お前、何を……」と声をかける間もなく、ティシアは自分の胸の前でそっと手を合わせて祈祷するように瞳を閉じる。


 静かに、ただ静かにティシアはしばしの間、その姿勢を取り続けた。ピクリとも動かずにそうして祈りを捧げる彼女の姿に、レミルは思わず息を呑む。


 それはまるで本当に神の御子の姿を映すかのように神秘的な美しさをたたえ、まるで芸術絵画や彫像の女神のようにさえ見えた。静かに瞑想するその様を見れば、誰しもがそこに神秘の片鱗を感じただろう。


 いつの間にかレミルとアリア、そして近くにいたストアでさえもティシアに釘付けになる。


 その内に、ティシアが胸の前で合わせた手の中にほのかな光がチラついたように見えた。ほんの一瞬、優しい光が揺蕩うように瞬いたらのが錯覚だったのか否か、レミル達にはわからない。しかしその後の光景は間違いなく現実のものだった。


 ティシアの閉じられた瞳から頬にかけて、一筋の涙が伝ったのだ。その透き通った涙は決して、ただの憐憫や感傷といったような俗物的な感情に由来するものではないように思えた。そして、それを示すかのように彼女の頬を伝った涙はそのまま地面に落ち、まるで水面に落ちた滴のように光の波紋を広げた。


 そう、その涙が地面に触れた瞬間、世界が塗り変わるように、さざめきが広まるように、そこを中心として暖かな光が広まったのだ。


 その光は広場全体を包み込み、淡く輝いた。


 すると、なんと粉雪のような暖かな光が漂いながら、空から降り注いだのだ。


「こ、これは……!」


 ストアが思わず声を上げるが、誰もそれに意識を向けることが出来なかった。空から舞い降りる光に呆然と目を奪われていたからだ。


 やがて光の粒達が漂いながら、広場に横たわる言葉なき人々の体に吸い込まれるように降り注ぐ。


 そして。


「……うう」


 先ほどの女の子が必死に呼びかけていた男が、突然声を上げて、その表情を確かに歪ませた。それからゆっくりと目を開け、不思議そうに辺りを見回したのだ。


「お、俺は……?」


 その姿に、女の子とその母と、そして周囲の全ての人間が驚いたように息を止める。確かにこの男は少し前まで、息が止まり死んでいたはずなのだ。それなのに、まるであの空からの光が魂を与え、彼を蘇らせたかのように、再び男が息を吹き返したのだった。いや、それどころか大怪我に苦しむような様子すら見られない。


「ん……んん」


「あ、あれ?」


「俺は一体……」


 それと同じようにして、次々と広場に横たえていた人々が意識を取り戻す。有り得ないことだった。まるで奇跡のような出来事に、群集はしばし固まった後……。


「お……お父さあああああん!!!」


 その事実を確かめるように一斉に、涙と共に抱き合った。片や、まるで何が起こったのか分からないという表情でそれらを受け止める者と、歓喜の涙でそんな人々を迎える者。


 多くの人間が、そんな光景を神の奇跡だと思ったことだろう。



 ティシアの姿をはっきりと目にしていた三人を除いては。


 アリアは一連の出来事に目を丸め、レミルも息を飲んで言葉を失う。そしてすぐに驚愕のあまり声をあげた。


「こ、これは一体……ティシアさん、あなたがやったんですか?」


「嘘だろ!? でもこんな……どうやって」


 二人に詰め寄られ、ティシアは額に汗を浮かべながら困ったように首をかしげる。


「はぁはぁ……ど、どうなんでしょう?よくわかりません。わ、私、何がなんだか……」


 肩で息をしながら、苦しそうにティシアは言った。


 その様子にただ一人、端から見ていたドクター・ストアだけが確信を得たように顎を手でさすり、黙想する。


 ――間違いない……あの少女は。


 ティシアはフラフラとよろめきながら、レミルに持たれかかった。レミルは慌てて肩を支えてやり、息を荒らげるティシアに声をかける。


「お、おい大丈夫か?……ていうかすごい熱だ!ち、ちょっと、しっかりしろ!」


 レミルが肩をゆするが、ティシアの瞳は焦点を結ばず、意識が朦朧としているようだ。


「わ、私……なんだかとても悲しくて……。でも、お役に立てたのなら……うれしい……」


 その言葉を最後に、ティシアは力なく項垂れて意識を失った。

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