第八話 奇跡の滴-4

「ドクター? 魔導研究所? ということは」


「はい、いわゆる魔導学者というやつです。あなたは確か旅の方……でしたか?」


 笑顔でそんな事を言ってくるストアと名乗る男に対し、リアスはその手を取りながら答えた。


「リアス……リアシオン・リッツォーノ。仰る通りの旅人です」


 ストアはリアスの言葉にどうも、と返しながらニコニコ笑顔で首を傾げた。


「それで、何故この地域に魔獣がいるのか、という疑問でしたかな? ああ、その前に魔導研究所員である私が何故ここにいるのか、ということから説明した方がいいですか?」


 自分の疑問を先取りするように言われ、リアスは頷く。と、ストアはおもむろに左手を突っ込んでいたポケットから、小さなモニタ付きのリモコンのような正体不明の機械を取り出すと、リアスに説明を始めた。


「少しばかり前でしたか。私はデルクラシアの王都デルクトリスの魔導研究所から「弓引きの国」モールデニアへと派遣されましてね。まあ、その道中でこのクロコールの村に立ち寄ったわけなんですが」


 そこで、ストアはぽちっと手にした機械のスイッチを入れる。すると、その機械から小さな起動音が響き、モニタに奇妙な文字の羅列が浮かび上がった。


 ストアはそれをリアスに見せて言う。


「これが何か分かりますか? いえ、ご存知ないだろうと思って聞くのですが。これは数週間前にデルクトリス魔導研究所で開発された新種の装置でして、試作段階なのでまだ関係者以外の持ち合わせは禁止されているのですが……」


 説明と並行するようにストアはモニタに並んだ文列を指でなぞった。


「これは魔獣の出現を察知する為の装置なのです」


「魔獣の出現を?」


 リアスが怪訝そうな表情になる。ストアは一つ頷いて続けた。


「ええ、歴史によれば魔獣という輩は、三百年前突如としてこの大陸に姿を現しました。どこから現れたのか、どこに生息しているのか、彼らを調査する時間はあれど、それらは未だはっきりと解明出来ていないのが現状です。しかも近年、魔獣は確実にテリトリーを広げ、個体数も増加しつつあります。そのために魔導研究所こちらの方でも魔獣の出現区域について、正確に把握出来ていないのです」


「それを打開するために開発されたのがこの機械だと?」


「その通り。言わば魔獣サーチャーとでも言う代物でして。魔獣の生息しているであろう場所、出現するであろう地域を測定できるのです。不思議でしょう。こんなちっぽけな機械が魔獣を探知するなんて」


「それは確かなのですか?」


「荒唐無稽に感じますか? ……ですが失礼、私はこれでも科学者でね。職業柄、確証のないことは口にしない主義です」


 ストアはそう言ってから機械をポケットにしまい直し、更に続ける。


「ところが、私がモールデニアへの道中でこの村に立ち寄った時、奇妙なことにこの装置が反応を示したのです。本来魔獣の生息が確認されていないはずのこの地域で」


 神妙な顔つきになってストアはそう言った。リアスも先を促すように目で頷く。


「私は最初、この村の人々にそれを警告したのですがね、勿論最初は取り合ってはもらえませんでした。ところが……」


「実際にその時も魔獣は現れたと? ということはこの村への魔獣の襲撃は今回がはじめてではないのですね? 何故ギルドや王国府に依頼を出さなかったんです?」


 リアスが至極真っ当な疑問をぶつけると、ストアは深刻そうな表情で首を横に振り、それを否定するのだった。


「話はそう単純ではありません。この村に現れた魔獣達は人間によって操られているのです」


「……!?」


 ストアの衝撃的な返答に、リアスは思わず反射的に眉を潜めた。


 この男は今、魔獣を操ると言ったのだろうか。


「魔獣が……操られている?」


 その言葉のあまりの奇異さに、リアスは思わず自分の思考を口で反芻してしまう。この男の表情が大真面目でなかったら、本気で笑い飛ばしていたかもしれないとすら思った。


 確かにこの世の中にはモンスターマスターと呼ばれる、獣を意のままに操り使役する術を持つ人間もいる。しかしそれは飽くまでも意思疎通が可能である野獣に限っての話であり、魔獣を従えた人間など話に聞いた事がない。


 そもそも魔獣が大陸に現れてから現在まで、彼らに対して充分に洞察が捗ったとは言い難い。例え世紀を跨ぐ程の時を経たといえども、そんな高度な技術が開発されうるほど、魔獣に対しての理解は進んでいないのだ。


 意思疎通の出来ない発祥元不明の生物。これがギルドが発表した魔獣の定義である。その意味の通り、現在の所魔獣は人間と心を通わせる事が出来ないとされている。それが、もし魔獣を操るような人間が現れたとなれば、事態は大問題と言えるだろう。


 リアスは顔をしかめながらストアに聞いた。


「魔獣を使役する術なんて聞いたことがありません。それならば尚更、王国府に報告するべきだったのでは?」


 しかしストアは唇を噛んで悔しそうに答える。


「残念ながらこの村には、ギルドにそれだけの依頼を任せられる予算がないのです。それはご理解いただけるでしょう? 何より、下手にそのような事をして彼らを刺激すれば、王国府の助けが来る前にこの村が襲われてしまうかもしれない」


「彼ら……?」


「はい、魔獣を操る謎の山賊「ルギフの一味」です」


 山賊ルギフ。リアスの耳に聞き覚えはなかった。


 仮にこの男の話が本当だったとして、魔獣を操るほどの者ならば、あるいは耳にしたことくらいはあるかもしれないと思ったのだが、恐らくはかなり無名の賊だろう。リアスは職業柄、そう言ったニュースに関しては可能な限りアンテナを貼っており、自分の情報については自信があった。


「それは確かなのですか?」


「ええ。二度目に彼らがこの村にやってきた時、確かに魔獣に指示を出しているのを確認しました。彼らは魔獣を抑えつけてこの村を襲わない代わりにとある取引を持ちかけてきたのです」


「というと?」


「はい。まず彼らの事を王国府など外部に伝えないこと。そしてもう一つ、三日に一人、村の若い娘を彼らの元に差し出すことです」


「村の若い娘……それだけですか?」


 リアスはその内容を聞いて、ふと山賊の要求に疑問を呈した。もしも魔獣を操れるという異次元の力があるのならば、山賊という手合いはもっと突拍子もないような物を要求してきても良さそうなそうなものだ。若い娘、ということならば真っ先に思い当たる理由は身売り、あるいは姦淫だろうが、力任せの賊してはあまりにも求めるものがみみっちい。勿論、「三日に一人」という度合い自体は、決して軽いものではないのだろうが、それを差し引いても魔獣を操ってまで要求するような内容であろうか。


 そもそも、資産がない村に取引を持ちかけること自体あまり意味があるとは思えない。それだけの力があれば、もっと見返りのある市街にも圧力をかけられるはずだ。


 しかし、ストアは驚いたように目を丸めた。


「それだけ、と言いますが、こんな小さな村で若い娘が一人というのは大変な被害ですよ。鶏の世話をするのも木の実を取りに行くのも彼女達の役目ですしね」


「ああ、いえ。それは分かりますが……。それで、あなたはここに留まっているわけですか?」


「はい。この村が外部に助けを求められない以上、魔導の研究者として私が力を尽くすべきかと思いましてね」


「ストア殿はなかなかに聡明な方です。最初に魔獣がこの村に現れた時も、その事をピタリと言い当てられて。その時などは被害と呼べる被害も出なかったほどです。そして、それ以後もルギフの一味への対策などを的確に指示してくださったのです」


 ストアの言葉に、脇に控えていた先ほどの初老の男が口を挟んだ。改めて見ると、粗末な革の服を纏ってはいるが、そこに僅かばかりか装飾が見られる辺り、この村の村長というところだろうか。


 男がそう言って感謝の眼差しでストアを見る。リアスも感心して彼を賞賛した。


「随分優秀なようですね」


「いえ、日頃の研究の賜物ですから」


 ストアがそんな風に笑う。と、不意にそこへ。


「おーい!」


 リアスの背後から叫ぶような声が飛んできた。


 彼女が振り返ると、一足遅れて村に到着したレミル達が追いついてきたのが見える。一様に深刻そうな表情で怪我人達に肩を貸しながら、その後ろに村の生存者達もついてきていた。リアスは彼らの姿に安堵し、手を振る。


 が、ストアの隣にいた初老の男が、その光景を目にして驚いたように声をあげた。


「ぱ、パンネッタ!」


 初老の男はそう叫んで、レミル達の脇について来ていたパンネッタの方へと走っていった。パンネッタはそれを見ると「うっ」と小さく唸って、彼から目をそらす。男はパンネッタの前までやってくると、怒ったような安堵したような声色で彼女をどやした。


「お前は自分が何をしたか分かっているのか! 下手をすれば、お前もこの村のみんなも、全員死んでしまうかもしれなかったんだぞ!」


 その声に、パンネッタはビクッと肩を震わせる。そして下を向いたまま、目を細めた。


「だ、だってお姉ちゃんが。お姉ちゃんがいなくなっちゃうなんて! 私そんな……そんなの嫌で……」


 泣きそうに上ずった声を上げてパンネッタは訴えかけるように言う。そこには、村で起こった取り返しのつかない事態への後悔と、自分の思いとの間で揺れ動く複雑な感情が覗いていた。


 それと同時に騒ぎを聞きつけたのか、ストアの背後、建物の中から一人の女性がそっと姿を現し、パンネッタの姿を目に捉えると、跳ねるように飛び出して二人の所へと駆け寄って行った。


 流れるような綺麗な栗色の髪が目を引く女性だった。歳は二十歳よりもやや若いくらいだろうか。パンネッタと同じく地味めの革のドレスを着ていて化粧もろくにしていないが、それでいてさえなかなかに美しいと思える女性だ。


 女性はパンネッタの元まで走ると、その肩にガバっと抱きつき、そして涙を流し始める。


「ああ! パン、無事だったのね……。良かった……本当に……」


 女性に抱きつかれると、パンネッタは申し訳なさそうに目を伏せ、立ちすくんだ。


「お、お姉ちゃん……」


 パンネッタにお姉ちゃんと呼ばれたその女性は、ギュッと彼女の事をきつく抱きしめる。その様に、先程まではパンネッタを窘めるような口調だった初老の男も、ため息を漏らしながら二人の肩を取り持ち、なだめるようにそれをさすった。


「ふむ……すまない。黙って姉を見捨てることに我慢がならなかったお前を責めたところで、これは仕方がない悲劇だったか。この事は村の者には言わないでおこう」


 リアスはその様子を眺めながら、ストアに尋ねる。


「彼女は?」


「ああ、彼女はマテルナ。実は今日、ルギフの一味に差し出されるはずだった娘です。……というより、彼らはあなたのお知り合いですか?」


 ストアはそう言って、パンネッタとマテルナの横でどうしたものかと顔を見合わせているレミルとアリア、ティシアのことを指さす。


「ええ、そうですね。いわば旅の供です」


「なんと、ではまさかパンネッタがあなた達を……?」


「はい、その通りです。彼女が魔獣に襲われている所をあの少年が助けまして。その経緯で彼女からこの村の事を聞きました」


 リアスが説明すると、ストアは得心が行ったとばかりに頷いた。


「なるほど、そういうことでしたか。いえね、実はマテルナはパンネッタの姉でして。あの二人はどうもかなり仲が良かったようで、マテルナが連れて行かれるのが我慢できなかったらしく、パンネッタが街へ助けを呼びに行くと言って村を飛び出してしまったんです」


 世話のかかる娘を見るような目でストアはパンネッタを眺める。


「まあ、それを嗅ぎつけたんでしょう。ルギフに操られている魔獣達が一斉にこの村を襲いはじめましてね。このように大変なことになってしまったというわけです」


「なるほど、そういう訳でしたか」


 リアスは難しそうな表情で腕を組み、眉を潜める。ストアも頭をかきながら難儀そうに言った。


「パンネッタのした行いはとても利口な事とは言えません。現にこうして犠牲が出てしまいましたから。しかし、どちらにしろいずれこの村はこうなっていたことでしょう。それならば、むしろ村が全滅する前に、外部からあなた方のような腕の立つ方々の助けを得られたということを、またとない幸運と捉えるべきなのかも知れませんね」


 そしてまっすぐにリアスの目を見ながら、ストアはこう提案してきた。


「恐らくルギフの一味との取引は決裂するでしょう。少なくとも彼らがこのまま大人しくしているとは思えません。私はこれを機に彼らを討つべきかと思うのです」


「なるほど、やられる前にやる、と?」


「はい。ですがこの村の戦力だけでは到底彼らには敵いません。そこで、このめぐり合わせも何かの縁だと思い、どうかあなたがたに是非協力を仰ぎたいのですが」


 ストアはそう申し出ながら、リアスに対して頭を下げた。リアスもそれに、頭を縦に振りながら村の惨状を見渡す。


「そうですね、これだけの事態を放っておくわけにもいかないでしょう。何より魔獣を操るというそのルギフの一味なる賊が気になります」


「ほ、本当ですか! ありがたい! この村には報酬となるほどのものもありませんが、私がデルクトリスに戻ることが出来た暁には必ず、相応の報酬をお支払い致します」


 ストアはサッと再び、リアスに向かって手を差し出した。リアスもそれに応じ握手する。


 どうやら事は一刻を争っているように思えた。

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