第八話 奇跡の滴-3

「あ、見えてきました!」


 パンネッタを馬に乗せ、今までの道を外れた平原を案内させて進むことしばらく、彼女は声をかけて前方を指さした。見れば遠くに小さく、家々の集まる集落の影が浮かんでいた。


 普通の人間とは比べるべくもないほどの視力を持つリアスは、パンネッタの言葉を聞いて前方に目を凝らした。辺境の集落として見ても規模はそれほど大きくなく、家造りもあまり立派なものではないが、確かにそれは村の入口だった。粗末な木製の策で囲われ、申し訳程度のセキュリティとなっている。


 しかし何か様子がおかしかった。柵の向こうから煙が上がっているのだ。それに目に映る限り、村の建物がかなり損壊しているように思えた。ところどころ屋根などが崩れ、ほとんど半壊に等しい状態のものまである。


 リアスは村の方を見つめたまま顔をしかめた。


「何かおかしいぞ」


 リアスの言葉を聞いて、パンネッタが顔を青くする。アリア達も視界を集中させると、村の様子に違和感を感じたのか眉を潜めた。リアスは、前でうろたえるパンネッタに言う。


「私が見てこよう。すまない、ちょっと降りてくれるかい?」


 彼女がそう伝えると、パンネッタは不安そうに頷き、すぐにミリスから降りた。それを確認してから、リアスは手綱を短く握り、いつもより少し強くミリスのお腹を踵で叩いた。


 途端に、ミリスがいきり立つように一つ足踏みをして嘶くと、勢いよく地面を蹴って駆け出した。まさに、飛ぶようにと形容するのに相応しいほど、見事な加速だった。


 凄まじいスピードと、そして空を切ってたなびくたてがみの美しさが、馬上のリアスと合わせて、まるで一本の漆黒の矢の如く駆け抜けていく。


 さっきまで視界の奥に浮かび上がっていた程度だった村の像がぐんぐんと近づき、そしてすぐに目の前の光景となった。リアスは村の入口までやってくると、辺りを見回した。


 どうやら思っていたよりも酷い有様らしい。村の四方から火の手や煙が上がり、建物が倒壊していたり、物見櫓ものみやぐらが壊されていたりする。そして何より。


「……!」


 リアスはその光景に目を細めた。ところどころに人が倒れているのだ。うめき声をあげてまだかろうじて生きている人間もいたが、多くは既に事切れているようだった。


 一体誰がこんなことを……。


 リアスが辺りを眺め、そんなことを考えた時。


「グギャアアア!!」


 突然物陰に隠れていた何者かが、おぞましい叫び声をあげながら飛びかかってきた。


 リアスはすぐにそれに反応し、ミリスごと体をそちらへ向ける。


 黒い翼を広げたカラスの魔獣、デッドクロウが今しもリアスに襲いかかって来ようというところだった。


「ちっ!」


 リアスは舌打ちをしながら片手で手刀を作ると、風を切るようにそれを振るった。なんとただそれだけで、デッドクロウは鳴き声をあげる間もなく体を真っ二つに引き裂かれる。まるで真剣で斬られたかのような見事な切り口だった。


 リアスは絶命する魔獣を眺めながら唇を噛み、独白する。


「魔獣か……!」


 そしてミリスに進めの合図を送ると、村の奥に向かって駆け出した。


 村を襲っている途中だったのか、至る所に本来この地域には生息していないはずの魔獣が潜んでいた。


 リアスは魔獣を発見する度にそれらを屠り、あるいは仕留め損ねたものをミリスが剛健な前足で叩きつぶした。ある時は襲われる寸前だった老人を助け、ある時は家の中に立てこもったまま魔獣に囲まれていた家族を救い、そのまま礼の言葉も聞かずに次へと向かった。


 しばらく行くと、他の住居に比べて一回りも大きな村の中心の建物が見えてくる。その周りには無数の狼型の魔獣モーザドゥークが群がり、どうやって襲いかかったものかと足踏みしながら吠え立てていた。どうやらそこは、村の集会所か何かの重要な施設であるらしい。


 リアスはその光景を見るなりミリスから飛び降りると、颯爽と魔獣達の元へ駆け出した。


 一瞬の内に群れの一匹へと滑るように駆け寄ると、次の瞬間にはその魔獣の首が飛んでいた。ねられた首が放物線を描いて地面に落下し、続けて体がくずおれる。そこで初めて、モーザドゥーク達はリアスの存在に気がついた。


 突然の事に、魔獣達は一瞬たじろいだように身を低くしてリアスの方を見やる。だが、その時には既に、彼女は一番近くにいた個体の腹を蹴り上げ、続けてもう一体に向けて足を踏み出していた。


「ガウウ!!」


 唸りながら抵抗しようとしたモーザドゥークだったが、それも束の間、まともにリアスのつま先をくらって頭が弾け飛ぶ。そしてまた、霞むようにリアスが別の一体へと駆け寄った。


 結果から言えば、モーザドゥークの群れは数分と経たぬ内に鎮圧された。ほとんどはリアスの動きをまともに認識することすらできずに、無抵抗の内に倒された。数匹で襲いかかればそれらがまとめて肉塊に変わり、裏をかこうとしてもその瞬間には首を飛ばされていた。


 あらかたのモーザドゥーク達を始末し終えると、リアスは一つため息をつき、目の前の建物に目をやった。


 少し年季を感じさせる木造の二階建ては、ただの一軒家と呼ぶにはいささか以上に大きい。建てられている場所もどうやら村のほとんど最奥であるようで、後ろには何棟かの別棟とそれを囲う低い柵が備え付けられていた。


 リアスはゆっくりとアプローチになっている木製の階段を登り、両開き式になっている扉の前に立つ。そして両手で少し大きめの取っ手に手をかけると、それを引いて扉を開けようとした。が、すぐに栓が引っかかるような音がして、扉がつっかえた。


 どうやら錠がかかっているらしい。リアスは内心ホッとした。これならば内部に人が残っている可能性が高い。


 リアスは改めて、扉を軽く二回叩くと、中に向かって声をかけた。


「申し訳ない。旅の者だが扉を開けて貰えないだろうか」


 そう言いやるとすぐに、内部から密かに人間の、それも何人もの気配が蠢き、しばらくしてからゆっくりと錠が外れる音がした。慎重に扉が、ほんの僅かに開かれ、中から初老の男性の顔が覗く。整えた白髪に鼻の下の髭も白く染まっていて一見好々爺な印象を与えるが、今はそこに疲弊の色が見えた。


 その顔はリアスを確認するとすぐに驚きの表情を浮かべた。


「あ、あなたは一体?」


 警戒さすまいと、リアスは穏やかな口調でそれに答える。


「ただの通りすがりです。この村が魔獣に襲われていたので、何があったのかと思って」


 そう説明すると、初老の男は思い出したようにリアスの肩越しに外を見た。そして辺りに倒れているモーザドゥーク達を目に止める。


「ま、まさかあの魔獣はあなたが倒したのですか?」


「ええまあ。ただならぬ様子でしたので」


 リアスが頷くと、初老の男はあわわと口元を震わせて、救世主の到来でも見たかのように頭を下げた。


「あ、ありがとうございます。何とお礼を申し上げてよいやら」


「いえそんな、礼には及びません。私とてやるべきと判断した事をやったまでです。それよりも……この辺りの地域には魔獣の棲息は確認されていないはずでは? 一体どうしてここに魔獣が?」


 リアスが笑顔で首を振りつつそう聞くと、初老の男は少し思案顔になる。眉間に皺を寄せ、迷うように視線を下にやったが、やがて顔を上げて言った。


「少し、お待ちください」


 その言葉と共に、男の姿が扉の向こうへと消える。リアスが待っていると、しばしの間を置いて今度は別の男が建物の中から姿を見せた。


 どこぞの科学者を思わせるような白の上衣を纏った男だった。身長はかなり高く、伸ばせば肩まで届きそうな長い黒髪を頭の後ろで結びあげている。科学者らしいと言えば失礼になるかもしれないが、体は決して太くはなく、むしろ大分華奢な部類に入るだろう。肌も色白で、お日様の下で汗を流すようなタイプには見えない。


 両手を上衣のポケットに突っ込み、男は慇懃そうでありながらも少し癖のある目つきでリアスを見下ろした。


 それからニコリと笑みを浮かべると、彼女に対して丁寧に頭を下げる。


「ここを取り囲んでいた魔獣の群れを討伐してくださったとか」


「ええ、まあ」


 リアスもそれに応えるように頭を下げつつ男に尋ねた。


「あなたは?」


 そう聞かれると、男は一度キョトンとした後、自分の身なりに目をやり「ああ、そうか」とばかりに頷いた。それから襟の裾を少し正すと、リアスに向かって細い右手を差し出しながら言う。


「やあ、これは失礼した。私はドクター・ストア。魔導研究所の者です」

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