番外編

番外編 あの日-1

 これは、とある高名な騎士だった私、リアスが流浪人に身を落として間もない頃。


 あの「ただれたゴミ山の街」で、一人の小さな少女に出会った時の話だ……。





 大戦を終えた直後、国々は非常に危ういバランス関係にあった。凄惨を極めた百年にも及ぶ争乱によって、各国の国力は著しく衰退し、その情勢を維持させることさえもままならなくなっていたのだ。


 戦時中は死にものぐるいに敵国と戦っていても、いざそれが終わってみれば、残されたのは焼けた大地と大量の廃棄物、そして寄る辺をなくした人々だけである。景気は悪化の一途を辿り、腐った土地からは作物さえ取れず、インフラに予算を割くことができなくなれば疫病が蔓延した。また、国の力が衰えたことで治安を維持するための機構が効力を失い、行き場を失った戦時中の憎しみを抱えた民衆の間では、暴力による略奪行為や違法商売が広くまかり通るようになった。


 飢え、病、暴力、それらに満たされた世界は、さながら第二の地獄を生み出す。人は道半ばで倒れ、ただ自らの終わりを待ちながら空を仰ぐのみだ。汚水で腹をパンパンに膨らませた子供や、逆に干物のように萎びて動かなくなった老人、ボロのような布きれ一枚で裸同然に彷徨う婦人などが大路を占める。


 当時、大陸にある小国のほとんどではそのような光景が日常のものであった。私自身、それを打開するだけの力もなかったし、世界の行く末についてあれやこれやと熱心な思想を募らせるだけの余力も残されてはいなかった。……ので、ある種達観したものの見方で、国々の様相を見て回っていたものだ。


 あの時も私は、そんな地獄を体現した「枯れ草の国」オルキヌスの小都市にやってきていた。通りにはネズミやカラスや蝿などの不潔な動物がひしめき、私のような身なりの人間が通れば一斉に物乞いが群がってきた。


「あぁ、お恵みを……!」


「どこぞの高名な騎士様だぁ」


「どうか、どうか! この子だけでも……」


 様々な言葉を投げかけながら、たった一切れのパンだけでも、と群衆は私に慈悲を乞う。


 残酷だと思うかも知れないが、私は一切それには答えなかった。まあ聞いてくれ。


 私がここでケチな同情心を抱いて、痩せた赤ん坊にだけでも食事か銭を恵んでやったところで、彼らを取り巻く事態は何も改善はしないのだ。一日を乗り越えたとて、明日には同じように飢えて床に転がっているのが関の山だろうし、もしかしたら私が恵んだ物を奪い取りにきた乱暴な輩に酷い目にあわされるかもしれない。


 周りの者達が不平等を叫んで私を糾弾するかもしれないし、私の噂を聞きつけて方々から人が集まってきて一歩も進めなくなってしまうかもしれない。彼ら全員を養うだけの財などあるわけもなし、結局私一人の力ではどうしようもないのだ。どんなに哀れんだとしても、無視して進むのが利口というものである。


 勿論、憂鬱な心持ちではあったけれどね。


 「ただれたゴミ山の街」という表現の通り、そこかしこから片付けられずに腐敗した食べ物や動物の(あるいは人間のものかもしれない)死体の匂いが満ち満ちていて、正直に言うと食事どころではなかった。ミリスも随分不愉快そうだったので、私は早めに通りを抜けてしまおうと早足で進んでいた。


 通り過ぎてゆく、苦痛と憎悪と悲嘆の景色を後にして、私たちは街の外れの方まで急ぎ駆け抜けたのだ。


 そうして、街の関所の近くまでやってきて、また大路に出て群がられても厄介だったので、人通りの少ない裏路地を行っていた時の事だった。


「おや……こりゃまた立派な身なりの方だ。それに大層なべっぴんさんじゃねえか。一人旅かい?」


 白い布を掛けた大きな籠のようなものの前に腰掛けていた、一人の中年の男が私に声をかけてきた。口ひげをたくわえた痩せた男だったが、身なりには清潔感があったので、少なくとも行き倒れではないだろうと思い、私は一度足を止めた。


「こんな所で何を?」


「へへ、そりゃお互い様じゃねえか。俺は商売だよ、商売。表は臭くてたまんねえからな、こっちへ避難してきたところだ」


「商売?」


 こんな所を彷徨うろついて、よくよく考えなくてもまともな商売ではないだろうが、気になった私は詳しく聞いてみることにした。男は私が興味を示すと得意げに籠に掛けられていた布を外して見せた。


「これは……」


 籠だと思っていたのは、大きな檻だった。中にいる者が逃げ出さないように、格子はしっかりとした鉄で出来ており、下には引き運ぶための台車がついている。


 中には大勢の小さな子供たちが、ボロ一枚に身を包んで閉じ込められていた。ある者は鉄格子を掴み、ある者は寝そべり、またある者は小さく蹲っていた。共通していたのは、その誰もが棒切れのように痩せ細り、元気のない虚ろな目をしていたということだ。


「そ、奴隷だよ、奴隷。あんたもその身分なら知っているだろう? それどころかいくつか購入した覚えだってあるんじゃないか?」


 私が息を呑んでいると、男はニヤニヤと笑みを浮かべながら教えてきた。私は首を振り。


「悪いが私は奴隷は買わない主義でね」


「なんと、そりゃ勿体ない」


 男は肩を竦めて檻の扉を開けると、こちらに中身を見せてきた。どうやら「商品」の宣伝を始めようという魂胆らしい。


「奴隷はあんた、最高ですぜ。特に最近は子供の奴隷がよく売れる。お偉いおじさま方なんかは殊更に元気のいい男の子をご所望でね……へへ、なんでってそりゃもう分かるでしょう? 一番締まりがいいからね」


 愉悦に塗れた下衆な笑顔を浮かべながら、男は嬉々として私に説明してきた。どうやら自分も幾度か楽しんだ経験があるようだ。奴隷商売などやっていれば当然なのだろうが。


「そうかい」


 私は気分が悪くなってきて、不機嫌そうに短く返した。昔なら、即座にこの男の頭を砕いて子供たちを解放していたかもしれないが、悪い意味で賢くなってしまった今の私には、そこまでの踏ん切りはつかなかった。何せ、この男から解放されたとしても、その先でこの子達に待っているのは新たな地獄だけである。


 ならばここで耐え凌ぎ、良心ある富裕層に拾われる可能性を残してやる方が彼らのためになるのかもしれないと私は思ったのだ。


「へへへ、おすすめはどいつかねぇ」


 男は檻の中に踏み入ると、値踏みするように周りの子供たちを見回した。扉は開け放しであるが、逃げようという気もおきないらしい。恐らく相当厳しい「躾」をしてあるのだろう。傷口が目につかない辺りが余計に恐ろしかった。


「おらっ! ふん、こいつはもうダメそうだな」


 うつ伏せでぐったりと寝そべる一人の子供をつま先で蹴飛ばして、男はつまらなそうに鼻を鳴らす。その子供は一度だけビクンと肩を震わせたが、それ以外はなんの反応も示さなかった。続いて脇の少女の前髪を掴んで持ち上げるが、直ぐにそれを突き放した。


「くそ、こっちは完全に流行病でダメになってやがる!」


 ちらりと見えたのは、その少女の両目に目やにが溢れかえって瞼が一切開かなくなっていたことだ。胸糞悪さのあまり、私は拳を握りしめた。


「前の街で結構売れちまったからなぁ。商品の入れ替え時かもしれねえな」


「入れ替え……というのは」


「ん? そりゃそのまんまの意味さ。売れなくなったもんを処分して、新しいモンを仕入れる。あんたの実家の向かいに肉屋かパン屋は無かったか? 同じことだよ」


「同じことって……彼らは人間だろう? 医者に見せなくていいのか?」


「んん?」


 男は一度眉をひそめて、怪訝そうに私のことを見た。そして。


「人間? 何を言ってんだいあんた。こいつら人間じゃない、奴隷だよ」


「人間じゃない?」


 私は男の言った言葉の意味がわからず、無意識に聞き返していた。それに対して、男は当然のことを諭すように告げる。


「そうだよ。奴隷は人間じゃない。物だ。この大陸じゃ当たり前の常識だろう。あんた、小綺麗な宮廷じゃそんなことも習わなかったのかい?」


 私とて、何も奴隷という社会の闇について、全くの無知だったというわけではない。世俗の階級において、一般的に人間と見なされる五つの階級、「王族」、「貴族」、「商人」、「職人」、「労働者」そしてその下に「奴隷」という者達が位置しているということは知っていた。


 だがまさか、本当にそれが「人間ではないもの」として判断するという意味だったとは思わなかった。少なくともこの男は、疑いもなく、当然のようにその考えを口にしているのだ。


「なぜこいつらが奴隷として生まれたか知ってるか? 星の神がね、こいつらを人間として作らなかったんだ。そう定めたんだ。その時から決まってるってわけだな、奴隷としての運命は。前世で何か悪いことでもしたか、あるいは魂の質そのものが悪いのかね」


 髭を弄りながら、男は汚いものでも眺めるかのような目で奴隷達を睨んでせせら笑った。


「奴隷はどう使ってもいい。召使いとしてパン一枚でこき使っても、慰み物にしても。あるいは、そう、この使い方も意外と人気だが……拷問したって自由だ」


「拷問……」


「こいつら、物の癖に人間みたいに泣きわめきやがるからな。鬱憤が溜まってるお客さんなんかは、そういうのが目的で購入する場合もある。俺はお勧めしないがね」


 顎髭を擦りながら、こともなげに男は言う。


「なんせ長くはもたんのよ。コスパが最悪だと思うんだなぁ。すぐガタが来ちまう。失礼な奴隷なんか自分で舌を噛み切ったりな。……まあ当然それくらいじゃ死なないんだが、泣き声が出なくなるからな。それだけはやっちゃあいけねえと教えてるんだけども」


 やれやれ、と首を振りながら、男は檻から出てくる。


「難癖をつけてくるお客さんもいるからねえ。無償で交換しろとか何とか。全く、こっちは商売でやってるんだ。そんな勝手なことをされちゃあうちも成り立たねえ」


 それから檻の扉を閉めて、最後に私に聞いてきた。


「んで、あんたどうすんだい? 冷やかしならこれ以上はお断りだけど、買うの? 買わないの?」


 そう迫られて、私はすぐには返事をすることができなかった。目の前に並ぶ、あまりに残酷な現実の産物を見て、先程までのように達観して割り切ることが難しくなったのだ。だが、私にこの子達全員の未来を守る術などは持ち合わせがない。


 勿論、奴隷制度というものを忌むならばこそ、ここは迷うことなく素通りして先を急ぐべきである。「奴隷を買う」という行為は、言ってしまえば、奴隷制度を助長し、支援することに他ならない。何せ奴隷業界に経済を回すことに貢献し、後ろ盾の一環となってしまうということなのだから。


 そんなことは、私もとっくに理解していた。そう、頭では理解していたのだが、つまるところ最初に中身を見せられた時点で、それを見過ごすことが出来なかった私の失態でもある。


「ここから出たいか?」


 私は知らずの内に、その籠のような檻に歩み寄り、鉄格子越しに子供たちに問いかけていた。ほとんどは力なく項垂れるか、寝そべるままだった。もう反応する力も残されていないか、あるいは外に出たとしても希望など無いと思っているのか。


 ただ一人。明確に挙動を示したのはたった一人だった。茶色い髪をボサボサに伸ばした少女が、定まらない焦点で私の方を見上げた。


「あの子が欲しい」



 ♦︎



 時には何を切り捨て、何を拾い上げるかの選択に迫られる事もある。私がこの少女を選んだのは、端的に言えば私の言葉に反応したからだが、つまり生きる気力のある者を見定めたかったのだ。


 例え、檻の外に出たとしても、そこに地獄のような世界が広がっているかもしれない。それでも、一縷の望みを持って、籠の中から脱しようと思える子でなければ、この先生きていくことは難しいだろう。何も私は、「楽園」に連れ出してやるという訳では無いのだから。


「やあ、はじめまして。私はリアシオン・リッツォーノ。リアスと呼んでくれ。君、お名前は?」


 私は男に金貨を渡して奴隷の少女を購入すると、現実から目を背けるように彼女をミリスに乗せて脇目も振らずに関所を抜け、やっと落ち着ける人気のない草原についた所で彼女を下ろした。もし逃げようとしたのならばそのまま見過ごしても良かったのだが、彼女はそんな素振りは見せなかった。


 どころか、私が話しかけてもそっぽを向いて黙っている。どうやら余りお話をしたい気分でもないらしい。私は苦笑いしながら、何か彼女の気を引けるものはないかと腰の巾着をまさぐった。そして、中に入っていたクッキーの小袋を取り出して。


「そうだ、お腹が空いてるかな。まずはこの焼き菓子でも食べて……」


 そう言って私が一つを取り出すが早いが、彼女は私の手元からそれをひったくって口に放り込んだ。ボロボロと小さい口の隙間からカスを零したりなどして、随分行儀がなっていない。まあ、奴隷なのだから当然といえば当然だが。


「はは、そうがっつかなくても、逃げやしないよ」


 私は笑いながら、残りの袋も全部彼女にくれてやった。


 この選択の結果が何を齎すのか、私にも分からなかった。当時の私は、最早誰かと共に過ごすなどということを考えてもいなかったので、自分でも手探りだったのだ。極めて自己中心的な選定基準と、傲慢故の憐憫の情で買い取ったこの少女を、本当に救うことができるのか。


 だが、それでも。


「こらこら。たくさんこぼれてるじゃないか。……こりゃあ色々と教えてやらないとなぁ」


 必死に、私の与えた小袋を漁りながら口を動かして、生きる力を得ようとする彼女の姿を見て、嬉しかった。何か意味のあることが、私が生きてきて良かったと思えることが出来た気がした。本当につくづく、反吐が出るほどの自己満足だが、それでもよかったのだ。


 殺してばかり、奪ってばかりの私だった。冷酷で、恐ろしいだけの人間だった。ただ、内なる欲動と好奇心だけが原動力だった。


 そんな私を変えてくれるかもしれないと思った。いや、願った。君という存在を、私の中に形作ってくれと。私の中で生きてくれと、身勝手な期待を抱いた。


「……アリア」


「え?」


「私の名前。そう呼んで」


「……アリア、か」


「うん。ケチな飯だったけど、ありがとな」


「ケチな!?」


「なんか間違ってるか? 口の中カサついて最悪ですぜ」


「……こりゃ完全にあの奴隷商の口調が移ってるな」


 今もまだ、分からない。彼女を……アリアを選んだ私の判断が正しかったのか、誤っていたのか。私にとって余計なものだったのか、切り捨てるべきなのか。葛藤と迷いは常に、最も大切な物の狭間で訪れる。


「よし、アリア。とりあえず君には色々と直さなければいけない所があるな」


「直さないといけない所?」


 ただ少なくとも、今まで全てを裏切り、全てから逃げ出してきた卑怯者の私が、今やそんな葛藤に揺れる程度には大切に思える存在と初めて出会うことができたのが、あの嫌な臭いに満ち満ちた、腐りただれた街だったのだ。


「そうだ。……ふむ、まずは言葉遣いからだな。女の子はやっぱりお淑やかじゃなきゃ」


「おしとやかってなんだ?」


「なんだ、じゃない。なんですか、と言ってごらん?」


「……?」


 彼女にも私にもまだまだ秘密はある。隠していることも、知られたくないこともそれこそ「腐る」ほど。だが、それについては、いずれまた語られる時が来るだろう。


 ただ一つ言えることは、この出会いを通じて「リアス」という女の何かが、僅かずつではあるが確かに、変わり始めたということだ。この日から、私たちは二人で、この世界を旅することになった。


「さあ、行こう。君の冒険は始まったばかりだぞ、アリア」

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