第七話 北へ向けて-3

「さて、と。大体の準備は整ったか」


 明朝。


 リアスは、出発のために昨日の夕方から夜にかけて商店で大方に買い上げた荷物を貸馬小屋に停めていたミリスの腰に下げてから一息をつく。道連れ四人分、重さにしてみればかなりのものになるはずだが、ミリスはそれを受けても相変わらずビクともしなかった。


 レミルも、依頼の達成によりギルドから与えられた報酬の分け前を一部使って、ボロ雑巾とまで謗りを受けた衣服を一新し、ギルドの地下に備え付けられていた公衆浴場を贅沢に利用させて貰うことで、久々にその端正な顔立ちに見合う清潔な身なりを取り戻していた。目覚めたばかりで勝手の分からないティシアはとりあえず二人の後に付き従い、アリアの方は個人的な探し物があるとのことで、一人、街の方へと繰り出したままだ。


 ミリスとは初顔合わせになるレミルとティシア、特にティシアの方が立派な漆黒の牝馬を見上げて大そう驚いたように声を漏らした。


「すごく大きな馬ですね。蹴ったりしませんか?」


 純粋にそう聞いてくるティシアに対して、リアスは苦笑する。


「大丈夫だよ。こいつはミリス、こう見えて割と乙女だからね。ほら、物静かでおしとやかだろう?」


 そう言って、リアスは笑いながらミリスの首をポンポンと叩いてやる。ミリスはそれには全く反応せず、ドッシリと貫禄のある落ち着いた様子で時折鼻をヒクつかせるのみだ。


 それはおしとやかというより寡黙と言うんじゃ……とレミルが目を細める。が、純粋なティシアはリアスの言葉をまともに受けて、小走りにミリスに駆け寄った。


「わ、本当ですね。お嬢さんなんですねーよしよし」


 言いつつ、鼻梁びりょうの辺りをなでてやると、ミリスはピクリと反応した。そして何と、たくましい体で小さなティシアに擦り寄り、鼻の頭で彼女の頬を撫で始めたのだ。


 その様子を見て、リアスは「はれ〜」と口を開ける。


「珍しいな、恥ずかしがり屋のミリスが初対面の人間に懐くなんて」


「この子、意外と可愛いですよ。タナメアもほら」


 ティシアは満足げにミリスに撫でられながら、片手でレミルを誘った。レミルはその言葉に頭をかき、少し言いにくそうに。


「あ、あのさ。色々とはっきりするまで、そのタナメアってのはやめてくれないか。聞き覚えがない名前で呼ばれると、こそばゆくって……。今はレミルって名乗ってるからさ」


 そう言うと、ティシアはしょぼんと肩を落として下を向く。


「そ、そうですか。ごめんなさい、次からは気をつけます……」


 レミルには、タナメアという人間と自分が果たして同一人物なのかは分からない。だが、名前を呼べないというだけでここまで落胆させられるほど、そいつはこの少女と親しく、そして慕われていたらしい。


 その割にはこんな女の子をゴーレムなんかの中に眠らせた挙句、放ったらかしにして行方不明になっちゃってる辺りがどうにも気に入らない。いや、それが他人事ではないという場合もあるのだが、未だにレミルにとってはその実感が沸かなかった。


 自分が七百年も生きた人間である、というような気は全くなく、むしろ何処か自信を持って、まだ二十歳未満の若造だと言う事を自覚してしまっている。


 レミルはそんな考えを振り払うようにスタスタとミリスの方に近寄った。


「まあでも、何だよこいつ意外と大人しそうじゃん。ま、こっからよろしくな」


 あまり深いことを今考えても、覚えていないものは覚えていないのだ。細かいことは抜きにしよう、とレミルは磊落にミリスに近づくと、ティシアを真似て挨拶がわりに彼女の鼻梁をポンポンと軽く叩いてやった。


「ブルルッ」


 途端に、ミリスが顔を上げ、そしてやっぱり鼻の頭をこちらの顔に近づけてくる。レミルが笑顔でそれを受け入れようと両手を広げると、ミリスはポスンと彼の頭の上に自分の顎を乗せる。それからグイッと下に押しやった。


「なぬ」


 ミリスの顎に押され、レミルの頭が下がる。と、まるで彼がミリスに対してお辞儀をしているような体制になった。ミリスは一度そのザマを見下すと、満足げに「フンッ」と可愛らしくもなく鼻息を鳴らす。


「んなっ!? おまえぇっ!」


 その意図にようやく気づいて、無理やり顔をのしあげてレミルが憤慨し、それとほとんど同時にリアスが貸馬小屋に続く細道の方を眺めて言った。


「やあ、やっと戻ってきた」


 見れば、一体どこへ行っていたというのか、魔法使いの少女がホクホクと少しご機嫌な様子でこちらに向かってきている。その少女、ことアリアはリアス達の元までやってくると。


「お待たせしました! 準備完了です」


 と片手を空にあげた。レミルがミリスの顎を頭に乗せたまま、ポケットに手を突っ込んで聞く。


「なに、どこ行ってたの?」


「ちょっと探し物です」


「その様子だと、あったみたいだね」


 リアスがアリアの様子を見抜いて言った。アリアが「ご名答」と頷きながら、腰のポーチをいじり出すと、ティシアが身をかがめて興味深そうにそれを覗き込む。


「あったって、一体何がですか?」


「ふっふーん、それはですねぇ……」


 そう言いながら、アリアは腰のポーチから一つの小さな何かを取り出して、皆に見えるように得意げに掲げた。


「じゃーん!」


 そこにあったのは綺麗な黄土色をした鉱物の結晶のようなもので、アリアの指輪だらけの手の中で自ら鈍い光を発していた。実はこれは、見る目のある人間が見れば、すぐにその正体を看破することのできる優れた代物だ。


「……石?」


 しかし残念ながら、レミルにはその見る目とやらがまるでない。一見した上での賞味な感想を述べてやると、アリアは呆れたようにレミルに目線を向け、そして眉根を寄せる。


「ち、が、い、ま、す! これは魔結晶と言って、貴重なマジックアイテムなんですから。もう、素人に見せるだけ無駄です」


 頬を膨らませながら、アリアはその魔結晶とやらを自分の影に隠してしまう。さっぱり分からないレミルは額に汗を浮かべ、とりあえず「そ、そう」などと抜かした。それに対して、ティシアがアリアに興味深そうに聞いた。


「じゃあ、探していたっていうのはそれを?」


「はい、正確にはこれを売っているマジックアイテムショップを探していました。大きな街ですから、どこかにはあるだろうと思っていたので」


 興味を持たれたからなのか、ティシアの問いにアリアは再び笑顔で答える。なんで俺と話す時と若干口調が違うんだ、とレミルは心の中で疑問を浮かべた。


「魔結晶は内蔵する魔力によって、持っていると遠くにいてもお互いに話が出来たり、寒い所では火元にする事だって出来る優れものなんですから」


 言葉の途中途中でチラチラと挑発するようにレミルを流し見するアリア。レミルは適当に頷きつつ。


「ほいほい。で、何だってわざわざそんな物を?」


「そんな物とはなんですか! 大勢で旅するならお互いに持っていた方が便利だろうと思ってちゃんと三つ買ってきたんですよ!」


 そう噛みつきながら、アリアは三そろいの魔結晶をポーチから取り出す。それを見て、レミルが「うっ」とうめいた。そういう事であるならば、アリアに邪険にするのも失礼な話だ。わざわざ自分のために買ってきてくれたものを「そんな物」呼ばわりしたことに関しては素直に謝るべきだろう、と。


 レミルは渋々と自ら身を引いた。


「それは俺が悪かったよ」


「あ〜言っておきますけど! べ! つ! にぃ? レミルさんのために買ったってわけじゃないですからね」


 どうも機嫌は治らなかったのか、アリアはレミルに対してツンとそう言い放った。


 なんでそこで一言多いんだ、とレミルは肩を落とす。アリアは取り出した魔結晶を一つティシアに手渡した。そして物珍しそうにそれを眺める彼女に言う。


「小さいのでなくさないようにしてくださいね。オーナーとしての魔力は私が常に供給しているので、いつでも使えると思いますよ」


「あ、ありがとうございます、アリア!」


 玩具を与えられた子供のように目をキラキラさせるティシア。


 え、俺の分は、と厚かましくレミルが手を差し出すと、アリアはジト目でそちらを見て。


「ふーん、レミルさんもこんな物欲しいんですね」


「な、なんだよ」


「別にぃ? ほら、どうぞ。大事に使って下さいね、こんな物ですが」


 そう言ってレミルの手に嫌味笑いを浮かべながら魔結晶を握らせた。それから最後の一個を自分のポーチへとしまう。


 そこでレミルはふと、その素敵な贈り物が一人分足りないことに気がつき、聞いてみた。


「リアスさんの分は?」


「師匠の分? ……ああ」


 アリアはなるほど、と自分たちが話している間に貸馬小屋の馬栓棒を外し、ちょうどミリスを連れ出していたリアスの方を見た。そして半笑いで首を振る。


「師匠にはいらないですよ。というか、意味ないですし」


「お、なんだい私の陰口かい?」


 話を聞いて、ミリスの手綱を引きながらリアスがやってくる。


「ま、それも結構だけど、準備ができたことだしそろそろ出発しようか……っと」


 と、言うが早いが、リアスは自分の肩の辺りほどの高さにあるミリスの背中の鞍に苦もなくヒラリと舞い乗った。鐙にも足をかけず、片手で器用にミリスの上に落ち着くと、ティシアを見下ろして手を差し伸べた。


「さて、君も乗るといい」


「は?」


 何故か、それに短く答えたのはアリアだった。アリアはいかにも納得いかないという顔でリアスに訴える。


「ちょっと、どういうことですか。人を二人乗せられる余裕があるなら、今まで私も乗せてくれたって良かったじゃないですか。わざわざ徒歩で歩くのがどれだけ大変だったか!」


 それに対して、リアスはサラリと当然のことのように返した。


「何言ってるんだ。ちゃんと下で引いてくれる人がいた方が安全じゃないか」


「な! なんですかそれ、ちょっと酷くないですか」


「酷くない酷くない。それにほら、お客さんだろ? それも若いお嬢さんじゃないか」


「私だって一応お嬢さんなんですが」


「はは、冗談が上手くなったな」


「……」


 アリアがじとっとリアスを睨みやる。リアスは余裕そうに肩をすくめ、その視線をかわした。


「なんだよ、お前そんなに私と相乗りしたいのか? いつもは私が抱きつくどころか頭を撫でてやるのも嫌がるのに」


 悪意のある雰囲気でニヤニヤと笑いながらリアスがそう言うと、アリアは悔しさと恥ずかしさで口をへの字に曲げ、そっぽを向く。そして少し怒ったような口調で。


「すぐにそうやって人をからかわないでください! 最低ですよ師匠は!」


「はいはい、悪かったよ。今度から疲れた時は乗せてあげるから、ね」


 リアスはそう言ってアリアをなだめると、改めてティシアに手を伸ばした。


「さぁ」


 馬に乗ったことなどないティシアは、その手をどうすればいいのかとしばし逡巡した後、そっと手を取った。


「鐙……これに足をかけて」


 リアスはティシアの手を握ると、つま先で鞍に下がっている銀色のトライアングルのような輪を突っついて示す。


「は、はい」


 ティシアは必死に頷くと、普通と比べても少し高い位置にあるその鐙に頑張って足をかけた。それを見て、リアスがよっとティシアの腕を引き上げ、馬に乗せてやった。ポジション的にはティシアが前に、リアスが後ろに座り、ティシアの肩越しにリアスが背中を抱くようにして手綱を握っている。


「もう片方も鐙にかけて」


「は、はい!」


 ティシアは何故か、背伸びするかのようにピンと背筋を伸ばしながら頷いた。ほとんど隙間なく密着した事で、決して慎ましいとは言えないリアスの胸がアーマー越しにティシアの背中にピタリと当たっているのだ。ティシアは若干顔を赤らめ、緊張して下を向いている。


 そんな気も知らずにリアスは更にぴったりと張り付きなごら、ミリスのお腹をポンと軽く踵で蹴ってやると。


「さて、ではいよいよ出発しよう!」


 四人の中でただ一人だけ、やけに上機嫌にそう声をあげたのだった。

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