第七話 北へ向けて-2

「へ? は? は?」


 「魔王」に「世界平和」とレミルにとっては全く唐突で訳の分からない言葉を、その少女はひたすらに口ずさむ。しかも、その瞳にはうっすらと涙さえ浮かんでいて、どうも冗談や悪ふざけで言っているというわけでもないらしい。レミルは困ったように少女と傍目のリアスとを交互に見かわした。


「あ、えーと、そのさ。タナメアってのは……もしかして俺のこと?」


 気まずそうにレミルがそう聞くと、少女は顔を上げて不思議そうに小首をかしげた。


「……? そうですよ。あなたの名前はタナメア、世界を救うと予言された勇者ではないですか!」


 なんとも突拍子もないことを本気の表情で言ってのける少女。しかし、ますます混乱した顔になるレミルとは対照的に、リアスはそこでピン、と訳知り顔になる。


「ゆ、勇者? 俺が? て、ていうか君の名前は? 俺の知り合いだったのか?」


「……え?」


 レミルの言葉を聞いて、少女は露骨にショックそうに目を見開いた。


「あ、いやぁその……実は俺、記憶喪失みたいなんだよね……。昔のこととか全然覚えてなくてさ。もし君が何か知っているなら教えて欲しいんだけど」


 レミルはバツが悪そうに頭をかきながら、正直なことを少女に告げる。彼にとってこれは、自分の正体を知ることが出来るかもしれない、またとないチャンスだ。もし昔、自分がこの少女と知り合いだったのならば、全てはっきりするかもしれない。


 すると少女は、驚いたように口を開け、ショックのあまりか、レミルに回した手を解いて数歩後ずさった。


「そんな……。では私の名前、ティシア・ミリシオン・イリシアスも、あなたが「星明かりの神」アラストレスの天命を受けた勇者であることも、何も覚えていないんですか?」


 立ちすくみ、わなわなと唇を震わせるティシアと名乗った少女。しかしレミルは彼女の途方もない言葉に、ただ目を白黒とさせるしかなかった。


「い、いや待て。待って、俺が勇者で、神様がどうとか魔王がどうとか。流石にそんなの、何かの間違いじゃないか?」


 ティシアを落ち着かせつつ自分も納得しようと、必死に言葉を探すレミル。しかし、その背後からリアスが一歩踏み出しながら、彼の言葉に首を振った。


「いや……」


 真剣な面持ちで言うリアスは、ティシアを一瞥すると続けた。


「君を見たことがあるような気がした理由……彼女の言葉でやっと思い出したよ。君は、私が一度だけ目にしたことがある「先代の勇者」の肖像に非常によく似ていたんだ。これがどういうことなのか分からないが……」


 眉根をよせ、顎に手を当てながら真面目な視線をレミルに送るリアス。レミルはその言葉にますます困惑し、遂には目を回しはじめた。


「な、なんだなんだそれ! じゃあ、リアスさんまで俺がその勇者だっていうのか!?」


 ただでさえ纏まりのつかないような情報を一度にたくさん与えられ、レミルは本気でぶっ倒れそうになった。ただ一人、他人事のように「それはねーだろ」とでも言いたげな顔のアリアに、ものすごく奇妙なものを眺めるかのようなリアス。そして、不安そうにレミルのことを見つめ続けるティシアと名乗る少女。


 やがて、困惑するレミルの代わりに、リアスが慎重に口を開いた。


「しかし、もし仮にそうだとすると幾つか不思議なことがある。それは数百年前の時代の人物である勇者が、何故この時代にいるのかということ。そして、どうしてこれまでその名があがらず、記憶まで失ってしまったのかということだ」


 リアスがそう言うと途端に、ティシアが怪訝そうな顔をして彼女を見た。


「数百年? それってどういうことですか? そもそも、ここはどこなんです? あなたは一体? 魔王を倒すことは出来たんですか?」


 美しい顔立ちを少しだけ歪め、ティシアが切実にリアスに問う。が、矢継ぎ早の質問を受けたリアスは申し訳なさそうに首を振った。


「ああ、これは失礼した。私はリアス、元騎士だ。脇のこいつはアリア。それからここは「風追いの国」デルクラシアの商業都市アルカーン。そして……君の言う勇者が魔王を倒したというのは、先代の話であったとしても今から約七百年も前の出来事となっているよ」


 リアスがそう言うと、ティシアの表情がみるみる内にこわばっていく。驚きのあまり声が出せず、視線だけが忙しなく辺りを見渡していた。


 リアスの言った言葉が受け入れられないどころか、悪い冗談だと受け流す余裕もないようだが、無理もない。ティシアの話が本当であれば、実質的に彼女もまた七百年前の時代からやってきたことになるのだから。



 ――しかし果たして、七百年も人間が生き続けるなどという事があろうか。いや、もしかすると、非常に高度に組成された魔術の使い手ならば、それを実現させる事ができるのかもしれない。そう、例えば勇者と呼ばれるような世界最高峰のウィザードならば。


「ど、どういう事ですか? 今はアルゴ歴千二百年ではないんですか……?」


「アルゴ歴は三百年以上昔に廃止されたよ」


 リアスが目を瞑り、首を振って無情な事実を告げる。ティシアは思わず、「そんな……」と短く漏らした。


 深刻に驚き竦み、言葉を失うティシアにリアスは、なるべく穏やかな声で語りかける。空気を読んでいるのか、アリアはそのやり取りを傍観するばかりで、自分はずっと黙したままだ。


「私にはまだ、これがどういう事なのかわからない。とにかく、君の知っている限りの話を聞かせてもらえないかな?」


「……わ、私の知っていること」


 言われて、ティシアは少し声を震わせながら俯いた。


「あまりたくさんの事は分かりません。……まだ記憶がかなり曖昧で。ただ確かに覚えているのは、私はあの遺跡で眠りにつく前に勇者タナメアと共に旅をしていました。他にも戦士パトラマ、魔女ミリアーノ、尼僧ナライラが一緒でした」


 リアスはそこまでの彼女の話に一つ頷く。とあるツテで彼女が話しに聞いた、大陸の古い勇者譚にもその三人の名前があったのを思い出したからだ。


「そして私は……ここがよく分からないんですが、あの遺跡でタナメアに眠らされて、自分が再びやってくる時まで目が覚めることがないようにと、ゴーレムの中に封印されたんです」


「眠らされた? それは一体どうして?」


「それは……それが思い出せないんです。ただ、タナメアは『世界が平和になった時、お前を迎えにくる』と最後にそう言っていました」


「ふむ」


 世界が平和になった時。それは勇者が魔王を倒した時、ということだろうか。少なくとも、あのゴーレムが勇者が作ったものだと仮定するならば、例のアンチマジックバリアについては納得がいく。


 だが他にも、不思議な所はいくつもあった。


「なんで勇者は君をあんな所に隠しておいたんだろう。それに今まで七百年間、勇者どころか誰の目にも止まらずに君が眠り続けていた事も、偶然とは思えない。そもそも、何故君はそんなに長い間、その若い姿のままで生きていられたのだろうね」


 そして、彼女が勇者だと言うレミルが今日、そこに巡り合わせた。全てが偶然ではなかったとしても、あまりに出来すぎている。


 ティシアはリアスの言葉を聞いて、縋るようにレミルに視線を向けた。


「タナメア、何か言ってください。あなたは私を迎えに来てくれた。世界が平和になったから。そうではないんですか?」


 しかしレミルは未だ動揺を隠せない様子で首を横に振る。


「いや……俺があの遺跡に行ったのは本当に偶然だ。それにやっぱりおかしいよ。勇者って言ったら、そりゃあもう無茶苦茶に強かったって聞いたぜ。俺は腕が立つとは言ったけれど魔法の知識はないし、勇者と謳われるほどの力だってない。何より変じゃないか、俺が勇者ならなんで追われなきゃならない? しかも顔まで割れてるんだ、これまでに誰かが気づいても不思議じゃないだろう」


 レミルは振り払うように腕を振ってそう抗言した。そもそも七百年という時点で他人の空似か、何かの勘違いという方がよっぽど現実的であるし、その言葉も最もではあった。


 しかしまたも、リアスがそれに答えた。


「ううん、君が追われている理由は分からないが……少なくとも普通の人間は今どき、先代の勇者の顔なんて知りはしないだろう。七百年前の資料だ。私とて、とある所以があって一度だけそれを見せてもらったことがあるだけで、先まですっかり忘れてしまっていたしね」


 それから、と更に続ける。


「勇者については眉唾ものだけど、どこで最後を迎えたのかという話が全く伝えられていない。ある大陸の英雄譚では、歴史の途中でぷつりとその消息が途切れてしまっているんだ。それに神話に近いような話ではあるが、不老不死の呪いがかかっていたという噂もあったりする。だから全てが全て有り得ないというわけじゃない。とは言っても、到底納得は出来ないけどね」


「そんな! 私の言っている事は本当です……。やっと、やっと目を覚ますことが出来たのに、今は私が生きていた時代の七百年も未来で、その上タナメアが私のことを忘れてしまっているなんて……」


 ティシアは膝を震わせ、ショックのあまり両手で顔を覆う。レミルは慌ててティシアに駆け寄り、肩に手をやった。


「ま、待てよ。俺は本当に覚えがないんだ。もし君の言うことが本当なら、俺はその記憶を取り戻したい。なあ、もっと他に覚えていることはないのか?」


 肩をさすりながらレミルがそう問いかけると、ティシアは大きく首を振る。


「分からないんです。ほとんどの事は覚えていません。ただ、あなたが世界を救うと予言された勇者タナメアで、そして私があなたととても長い時間を一緒に旅したということしか……」


 その声音は、真に訴えかけるように震えていて、レミルの反応が彼女にとってよほどショックだったのだろう事を思わせた。


「なら!」


 と、突然レミルがティシアの両肩を掴みその顔をのぞきこむ。


「君も覚えていないのなら、一緒に思い出してくれ。俺と一緒に、本当の事を知る手がかりを探してくれ」


 目と目を合わせ、レミルがそう言った。ティシアはその言葉に顔を上げる。


「一緒に……?」


「ああ、そうだ。もし君の話が本当で、俺と君がずっと長い間一緒にいたっていうんなら、君がいてくれれば俺の記憶が戻る助けになるかもしれない」


「タナメアの記憶が戻る助けに……」


「ああ、そうだ。それにそうすれば、君が覚えていないことも段々と思い出すことが出来るはずだ」


 レミルの強い言葉に、ティシアは一度視線を落とし、それから少しだけ悲しげな含みを持たせながらレミルの目を見つめた。


「そう……ですね。私もそう思います。それにあなたが望むなら私は……私にはそれが一番の願いです」


 弱々しい微笑を浮かべながら、ティシアはそっとレミルに抱きついた。


「今度は離れません。ずっと一緒にいさせてください」


 柄にもなくレミルは酷く戸惑う。彼にしてみればまだ出会って間もない少女だ。そんな彼女にここまで慕われるのは、どうにも奇妙な感覚に陥る。相手が、思わず見惚れてしまうほどの途方もない美貌を誇る少女ならば尚更のことだった。


 ――というか可愛い。好き。


「それなら丁度いい」


 リアスは二人の様子を見て、こくんと頷く。


「私達がこの場に立ち合ったのも何かの縁だよ。丁度レミルくんには、これから一緒に旅をしないかという話を持ちかけていたんだ。君も一緒に来るといい。な、アリア?」


 気さくと言うべきか、分別がないと言うべきか、簡単にそんな事を言ってのけるリアス。同意を振られたアリアは疲れたようにため息をつく。


「はあ、もうどうぞご自由に」


 日頃の気苦労を思わせるアリアの表情にもお構いなく、リアスは笑った。


「うんうん、旅は道連れっていうしね。実を言うと勇者に関しては私にも少し因縁があってさ。それに君、ティシアさん。確か君の性はイリシアスと言ったね?」


 ズバリと指さすリアスに、ティシアはコクリと頷く。


「はい、そうですけど……?」


「うん、それなら宛があるよ。セカンドネームは王侯貴族の証、イリシアスと言えば有名すぎるくらい有名だ。君は恐らく、旧イルシア連邦の王族だったんじゃないかな」


 リアスの言葉に、呑気に抱きつかれていたレミルが「え!? じゃあお姫様!?」などと飛び上がった。その一方で、彼女の息を飲むような美貌についての裏付けが出来、得心が行く。


「イルシア……王族……。そう言われると確かに、私はどこかのお城で暮らしていたような気がします。どこだったかは分かりませんが……けれど、私が生まれたのは真っ赤な赤い絨毯と、キラキラと光るシャンデリアが眩しい場所……」


 ティシアは眉を潜め、考え込みながらも少しずつ言う。


「うんうん、やっぱりね。その黒髪黒眼に新雪のような白い肌、君は恐らく旧イルシア連邦、すなわち七百年前の「白銀の大国」メルキセドの王女か、その血族だったんだよ。それなら勇者のお供をしていたという話も肯ける。とにかく君の口からイリシアスという名前が出てきた以上、メルキセドに行けば何か手がかりが掴めるんじゃないかな?」


 もちろん君のことも含めて、とレミルにも視線をやりながらリアスは提案した。


「っ! 私が生まれたかもしれない所に……。た、確かにそうですね、そうすれば何か分かるかもしれません」


「そうだろう? 私達の旅も丁度そっち方面に向かう予定だったんだ。デルクラシアからメルキセドまではかなりの距離がある。どうせなら人は多い方が旅路も楽しくなるだろうし、どうかな。メルキセドまで私達と一緒に来ないか?」


 それに、もし君が本当にメルキセドの元王女だというのならば、面目的に送り届けない訳にもいかないしね、と心の中で付け足す。


 リアスがそう言って笑みながらレミルとティシアに向かって手を差しのべると、レミルはその場の三人の事を見回した。


「俺は……そりゃそうしてくれるってならありがたい。けど、いいの? かなりの長旅になると思うよ」


 ティシアはともかく、リアスとアリアからすればお荷物が増えることになるとも言える。自分のためにそこまでしてもらえるものかとレミルは思ったが、意外にもあっさりと三人は頷いた。


「もちろん、私は歓迎さ」


「私もタナメアと一緒なら何でも構いません!」


「……別に異論はないです」


 約一名嘆息する中で、リアスとティシアには躊躇の感情すらない。レミルは意外そうにアリアの方を見て肩を竦める。


「意外だな、お前は反対派かと思ってた」


「師匠の気まぐれに付き合うのが嫌いなだけです。あと、お前じゃなくてアリアです」


 ブスっと吐き捨てるようにアリアは言った。レミルはそれを聞いて、改めてリアスの手をとる。リアスもその手を握り返した。


 こうしてレミルは何の因果か、途方もない旅の途中で、頼もしい仲間と白銀の姫君に巡り会い、道程を共にすることとなったのだった。


「じゃあ、よろしくお願いするよ」


「少しの間だけど、こちらこそ宜しくね」

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