第七話 北へ向けて-1

 神託を得た勇者タナメアは、白銀の巫女と二人で大陸の果てを目指して旅立った。


 今よりも遥かに荒廃した過酷な大陸を渡り、馬を走らせて湧き出る瘴気の根源へと向かう。


 途方もない旅のようであった。


 遥かなる湿原を横切り、炎が噴き出す海を越え、涙の川を渡った。


 死者の都では屍龍の吐き出す毒に侵された愛馬を失い、水底の街の番人には死出の道を行く故郷の母から託されたペンダントを奪われた。


 深い痛みと悲しみを踏み越えて、二人はお互いの小さく儚い手を、決して離さぬように暗闇の大地を進む。


 勇者が後世に伝えられる勇敢なる仲間たち、偉大なる戦士パトラマ、大魔導師ミリアーノ、聖女ナライラと出会うのは、まだ随分先の話である。


 -叙事詩『アルゴ英雄記』より-



 ♦︎



「いやーご苦労様。まさかお前たちが勝手にノルマを達成してくれてるなんて思わなかったよ」


 アリアとレミルが遺跡のゴーレムを機能停止させた為、知らぬ間に依頼内容が完遂となったことでアルカーンのギルドにまで戻って来たリアスは、ご機嫌な様子で二人に言う。そんな彼女にアリアは可愛い顔をぷっくりとむくれさせた。


「全く、どこで何やってたんですか!」


「いや、ごめんごめん。大事なことを見落としていないかと入念な調査をだね……」


「何が入念な調査ですか! 可愛い教え子の生き死にがかかっていたのに!」


 お前そこまで必死そうじゃなかったろ……とアリアを見ながら呆れるレミルに対しても、リアスは笑みを向ける。


「レミルくんもお手柄だったね。まさかゴーレムを倒しちゃうなんてなぁ。私が引き受けた依頼だったというのに。いやお恥ずかしい」


 ははは、と申し訳なさそうに頭をかくリアスに、レミルは嘆息した。それから短く首を振り、気になることを聞く。


「そういえば、あの娘は?」


 ゴーレムの残骸の中から現れた棺に眠っていた少女。彼女はあの時、レミルのことを知っている風に「タナメア」と呼んだ。レミルにはその名前に覚えはなかったのだが、もしかしたら彼の過去を知っている存在なのかもしれない。


 しかしもしそうだとして、なんでわざわざあんな陰気な遺跡の奥で巡り会わなければればいけなかったのだろうか。


 とにかく聞きたいことがいくつもあるのだ。


 レミルの質問にリアスも心得たように頷き、ギルドホールの奥手にある宿泊施設を目で指した。


「うん、あの後再び意識を失ってしまってね。今はギルドの部屋を借りて休ませてもらっているよ」


 あの後一行はゴーレムの残骸から出てきた棺の中で眠っていた少女を連れて、ターミナルの逆転送を使い、ギルドまで戻ってきた。その間、少女はレミルのことをしきりに「タナメア」という聞きなれない名前で呼んで懐いていたが、それがどういうことなのか、そして彼女はどうしてあそこにいたのか。だが、その質問に対する記憶は曖昧なようで、リアス達が何を聞いてもぼんやりとした表情になり、首を振ってばかりだった。


「それにしてもまさか、アンチマジックバリアを施されたゴーレムとは、よほど周到だね。恐らく彼女のことを守るための仕掛けだったのだろうけど……」


 リアスは腕を組んで考える。


 ――あの地下で出会った下級魔族アンドラスとやらに何か関係があるのだろうか。そして本当にゴーレムの起動のきっかけが、ただの偶然なのか。


「とにかく彼女の意識が戻ったら色々と尋ねてみたいものだね。ところで……」


 リアスはそこで、ここからが話の本筋だとばかりに姿勢を正す。


「君はこれからどうする? 何か宛があるのかい?」


「宛?」


 リアスの言葉にレミルは首をかしげた。


 宛、と言われると何も思いつかなかった。そもそも今までそんなものが出来た覚えはあまりない。宛もない旅、といえば正しくそうなるだろうか。


「と言われても特には……」


 レミルは肩をすくめて返事をする。その言葉にリアスが少し安心したように笑った。


「そうか、それなら良ければ私達と一緒に来ないか?」


「どぅえええええええ!?」


 リアスの突然の言葉に一番驚いたのは、レミルではなく何故かアリアだった。思い切り目を丸めると、信じられない光景を見たと言わんばかりに唖然とする。


「し、師匠が……私がいくら助っ人か召使いを雇いましょうと言っても全然聞かなかった師匠が……。っていうか何でこの人なの……そ、そもそもお尋ね者を連れていく余裕なんてあるんですか」


 自分に言ってるのかリアスに言ってるのか、あわわと慌てるアリアにリアスは楽観的に答えた。


「まあ大丈夫なんじゃない? 私たちだって似たような所あるしさ」


 微妙に理屈が通っていない気がしたが、アリアは額に手を当てて呆然と宙を仰ぐだけだった。リアスの本気の言葉に反抗することの愚かしさを、彼女は充分に弁えているからだ。


 リアスは再びレミルを向き直り、


「君の腕っ節ははったりじゃない、なかなかのものだよ。それにやっぱり私は、どうも君に初めて会ったような気がしなくてね。私の気に入る人間って案外少ないものなんだけどね」


 そう言いながら脇のアリアの肩を寄せる。そのまま姿勢を屈め、頬をこれでもかという位に摺り寄せ、ニコニコと微笑んだ。


「ま、今まででもこいつと、あと数人くらいしかいないから」


「からかわないでください」


 アリアはつんと目を背けながら、リアスのその手を鬱陶しそうに外す。


 レミルは、本当に急な申し出を受けて、なんと返していいかわからずに口をつぐんだ。そうしていると更にリアスが続けた。


「私たちと一緒に来れば少なくとも食料とかの心配はなくなると思うよ。身の安全の質も一人でいるよりもずっと良くなると思う。どうだろう、悪い条件じゃないと思うが」


「う、うーん。それならまあ、考えてはみるけど」


 商人か何かの売り物宣伝のような勧誘に、レミルは多少たじろぎながらも、まあ確かに悪くはないか、と思う。


 食料の心配という点では特に。


「助かるよ。どうやら私は君に惚れてしまったらしい」


「ほ、惚れる!?」


「そういう意味じゃないです!」


 リアスの代わりにアリアが即答する。眉根を寄せて困ったようにため息をついているところを見るに、言葉の綾という奴らしい。アリアは両手を組んで難しい顔をしながら、トントンと二度、考え込むように地面を足の裏で叩く。


「とにかく、そういう事なら食糧その他色々と買い足しになりますから、後で商店に寄らないと。特にレミルさんのその服装、流石になんとかしてもらわないと」


「ああ、そうなるか。じゃあアリアよろし……」


「もちろん師匠も一緒にです」


「……はい」


 と、そんなやり取りをかわす三人の元に、不意に正面受付奥手の方から一人の正装の男が小走りにやってきた。白髪混じりの頭髪を整髪剤で整え、上下黒のギルド制服をぴっちりと着こなした初老のギルド職員だった。


 男はリアスの前まで来ると、一つ丁寧に頭を下げ、口を開いた。


「お連れ様の方が、目を覚まされました」


 その言葉に、レミルが敏感に反応する。リアスはそれに頷くと、自分も小さく頭を下げた。


「本当ですか、ありがとう。早速行ってみます」


 そう言ってレミルに流し目をやると、コクっと小さく頷き、職員の案内を受ける。


 三人は二階の、階段から見て手前側にあるシングルルームの一室に通された。案内役を担った職員は、三人が部屋の扉の前までやってくると恭しく頭を下げ、自分の職務へと戻っていく。リアスはそれを確認してからレミルに目で合図を送った。レミルも頷き、軽金属製のドアノブに手をかける。



 ――ガチャリ


「う、うわ!」


 そしてレミルがドアを開けるなり、中から何者かが飛び出して、いきなり彼に飛びついてきた。そのまま相手は自分より僅かに背の高いレミルの首筋に手を回し、若干痛いくらいに彼を抱きしめる。


 見ればそれは、ついさっきまでこの部屋で眠っていたのであろう、あの黒髪の少女だった。白いローブを着た美しい少女は、たじろぐレミルをよそに、その胸に顔を埋め、心から嬉しそうに言葉を紡いだ。


「タナメア! やっと、やっと魔王を倒したんですね! やっと世界に平和をもたらすことが出来たんですね!」

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