第六話 眠れる遺跡の姫-2



 まだ新しい血痕を辿っていったリアスはしばらく歩いて行くうちに、無造作にあつらえられた一つの部屋に着いた。とりたてて広くもないが、小部屋というほど狭くもなく、家具の痕跡と思えるような陶器や、石器の破片などが未だに保存されいて、どうやら先史では司祭達が下宿するために使われていたスペースのようだ。


 そしてその部屋の奥に、一つの人影があった。その人影はこちらに背を向けて、ただ壁を見つめている。


 忍び足で近寄ったリアスは立ち止まると、いかにも胡散臭いその背中にためらいもせず声をかけた。こんな場所に平然と人間が立ってるのは随分おかしな話だ。


「あー、もしもし、こんにちわ。言葉わかるかな」


 たわいもない(というより下らない)挨拶をかけると、その人影はゆっくりとこちらを振り向いた。


 否。


 人、というのには少し違った。主に頭部が普通の人間のそれとは明らかに違うのだ。いうなればなにかの鳥類、特に猛禽類を思わせるような毛に覆われた表皮に、鋭い眼光を宿す小さな瞳と嘴を持っていて、しかも嘴の下からは牙が覗いていた。なのに身体の形は完全に人間で、しかもピッチリと着こなしたタキシードという服装が言いしれない不気味さを醸していた。


 その鳥男は、リアスの姿を確認すると鋭い爪でポリポリと頭をかき、とぼけた様子で宙を見る。


「んー、あれ? これどうすんだ? 人間……だよなぁ」


 しっかりと人の言葉を、それも抑揚や発音まで正確に喋っている。リアスは少し驚いた。こんな生き物は彼女も見た事がなかったからだ。いや、正確にはたった一つこの存在について思い当たる節があったのだが、それとて今、この場で鵜呑みにしてしまうには余りに荒唐無稽に思えた。


 新種の魔獣という線は薄いだろう。だが、既存のもので言葉を喋れるほどの魔獣種など数えるほどにしかいないはず。一体何者だろうか。


「君はどこの誰だ?」


 リアスは至って自然調で聞いた。鳥男はその問いに対して一度首をかしげた後、タキシードのネクタイをキュッと締めるような仕草をした。


「あーそうかそうか。どうも、ぼかぁアンドラスって言うんだけど。あ、魔神のね」


 魔神。


 その言葉にリアスの耳がピクリと反応した。彼女の知るところでは、魔神といえば遥か昔、ヒューマンとエルフが手を合わせ、神として召喚して魔法の教えを乞うたという存在ではないか。まさかこのアンドラスとかいうふざけた格好の鳥男は、自分をその魔神だとのたまっているのだろうか。


 魔神など今は、吟遊詩人が子供に聞かせる歌に詠うような存在であるというのに。


「魔神?」


 しかし、そう聞き返すリアスの中では既に得心が行っていた。


「うん。君は知らないかもね。もう相当昔だし」


 相当昔、というからにはやはりその伝承の魔神のことを言っているのだろう。しかし、その言葉の真偽を確かめる術は今のリアスにはない。


 そもそも魔神などと、どこから現れたのか、現在どこに生息しているのかもわからないというのに。このゲテモノのような鳥男が魔神だというのなら、魔神という種族はみんなこんな馬鹿らしい格好をしているのだろうか。


 しかし、この遺跡の状況の異様さはただ事ではないこともある。どちらにしろ、この鳥男は奇妙なのだ。


「アンドラス、ここに来るまで随分ひどい道だったんだけど、あれは君が?」


 リアスが聞くと、アンドラスはノーノーと指を振る。


「あーあれ、違う違う。あれはあのー、あれ。なんて言ったっけ? 君たちが作ったおもちゃ」


「おもちゃ……ゴーレムのことか?」


「ああそうそう。それがやったんだよ、ひどいよねーほんと」


 アンドラスは人間でいうならば酸っぱそうな顔、とでも言うべき表情を浮かべて首をふる。


「ここに来る時に新しい血のあとが続いていたけど?」


「ああ、あれ。ちょっと小腹が空いてさ、上で手頃なキラーマウスを捕まえて食べてたんだよ」


 リアスはアンドラスの言葉に、思わず自分が魔獣の肉を口にする光景を想像して顔をしかめ、片目をしばたかせる。


「魔獣を食べたのかい?」


「そーそー。そもそも僕らにとってはさ、あれは君たちの世界でいう~なんだ。牛、そう牛みたいなもんなんだから。食べるよそりゃ。そりゃー食べるよもちろん」


 変な喋り方だなぁ、とリアスは思う。しかし魔獣を食べてしまうような者なんて、それこそやはり伝承の魔族くらいのものではなかろうか。


「あのゴーレムがさ、動き出しちゃったんだよね。というより動かしちゃったんだよね。あれさ、作った人間がさ、動き出したら目に映るものを全部やっちゃうように仕組んでおいたっぽいんだよね。怖いよねぇ。で、動いちゃったからまあ大変なわけよ」


 確かにゴーレムは、製作者によってその行動をプログラムされるものだ。複雑なものは高度な魔術練度が必要だが、動き出したら周りにいるものを全員殺せ、というレベルの命令ならばそこまで難しくはないだろう。


 ――しかし、こいつの言っていることが本当ならば何故。何故、今頃になって急に。


 リアスは頭の中で考え続け、そしてアンドラスの言葉にふと気がつく。


 ――『動かしちゃった』?


 ゴーレムが動き出したのではなく、何者かが動かしたということか。ゴーレムの起動条件であるならば、その行動プログラムの内容からして何者かから攻撃を受けた時、或いは一定のエリア内に何者かが侵入した時、というような迎撃目的のものである可能性が高い。


 何者かはその条件を満たし、ゴーレムを動かしてしまったということか。


 ――では一体誰が? 王都の研究機関か? 


 いや、彼らならばそんな下手は踏まないだろう。細心の注意で入念な調査と保全に務めるはずだ。


 とするならば、他に考えられるのは魔獣。……魔獣が偶然、何らかの作動条件を満たしたのか。確かに、この遺跡にまで魔獣の姿が確認されるほど彼らが増殖したのは、百年戦争の終戦後、つまり近年になってからだ。


 おそらく魔獣の出現が一因し、偶然、起動条件が整うことでゴーレムを動き出した。その結果、長い眠りから覚まされたゴーレムが、目に映った魔獣を手当たり次第に殲滅した。


 確かに筋の通っていない話ではない。それであればつい先日、突然ゴーレムの活動が観測されはじめたという話にも納得が行く。


 ――だが果たして、そんなにも単純で、偶然の出来事なのだろうか。


 リアスが一人、そんな風に様々な考えに耽っていると、アンドラスが気だるげに口を開いた。


「あーあー、僕、探し物があるんだがな。あのゴーレムとやらが関係ありそうなのは分かってるのに、全然見つからないんだもんさ」


「探し物? そうか、そもそもなんで君はこんなところに? 魔神とかなんとか言ってたけど」


 リアスがそう聞くと、アンドラスは少し笑って手を振る。


「ははは、そんなことどうでもいいんだって。それよりさ……」


 それからもう一度、ポリポリと頭をかいた。


「僕、人間に見られちゃダメだって言われてんだよね。ここで死んでよ」


 そう言うアンドラスの姿が今にも視界から消え失せ、鋭い爪が一瞬にしてリアスの眼前にまで迫ってきていた。


 尖爪がリアスの顔に向かって襲いかかる。既にその鋭利な光は彼女の鼻先にまで迫っており、到底かわすことなど不可能に思えた。


 何せ、まさにその切っ先が彼女の頬を残忍に引き裂こうかという間際の瞬間まで、リアスは表情ひとつ動かさなかったのだから。


 しかし、結果から言えば、確かに彼女の姿を捉えたと思っていたはずが、アンドラスの一薙ぎは虚空をはたいただけだった。


「あれ?」


 アンドラスが、想定と異なる端末を受けて、首をかしげる。


 と、いつの間にか、僅か半歩を真横に逸れてその攻撃をかわしていたリアスが、涼しい顔のまま言った。


「やあ、まさかいきなり殺しにかかってくるとはな。流石に想像しなかったよ」


 などと抜かしながら、麗しく眩しい笑みをくれる。


 それと同時に、彼女を襲った方のアンドラスの腕が飛んだ。


 正確には、切断され、宙を舞いながら地面に落ちたという表現が正しい。鮮血というべきなのか、黄緑色の液体を景気よく吹き出し、そこには生々しい肉の断面が見えていた。


 一体何が起こったのか。それはアンドラスにも分からなかった。


 ただ一つ考えられるとすれば、目の前に立つ女騎士は、あの一瞬で攻撃をよけるだけでは飽き足らず、腰の剣を振り抜いてアンドラスの腕を断ち斬り、そしてそれを再び収めるだけの余裕を持って汗一つかかずに立っている、という流れだ。アンドラスの視界にはその予備動作すら映らなかったにもかかわらず、である。


「人……間?」


 アンドラスの瞳が狂気の漆黒を映し、クワっと鋭い牙をむきだしにした。そして体に力を込め、今度は手を抜く事なく全身の力をもってしてリアスに跳びかかる。残像がぶれて、怪人の姿が一瞬の内に彼女の目と鼻の先にまでやってくる。


 伝承によれば、魔神という存在は人間など及びもつかないほどの叡智と強大さを併せ持つらしい。魔力も筋力も知能も人間の遥か上を行き、それに打ち勝つどころか、勝負を挑むことさえおこがましいと。


 確かにそう伝えられていた。


「ほう」


 アンドラスの言葉を耳にして、リアスがニヤリと凶悪に笑う。


「私を人間と呼ぶか、魔神」


 それがアンドラスが見た最後の光景だった。



 ♦︎



 リアスはふう、と軽くため息をつき、眼下に転がる、見事に縦半分、唐竹割りとなった鳥のような姿の、「自称魔神」の亡骸を見下ろす。その瞳は驚愕を映し出す間もなく光を失っていた。


「殺さないで色々聞いた方が都合が良かったかもしれないが、このご時世に魔神はちょっとな……」


 そして腕を組みながら最後にこう言い残した。


「派遣組の下っ端だろうけど、剣を抜くまでもなかったなぁ。やれやれ、一応片付けておくか」

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