第六話 眠れる遺跡の姫-1
旅人の背中を押すように暖かな風が吹き抜ける大国、デルクラシア。
私はこの国の北のはずれで、小高い丘の上にそびえる一つの遺跡を発見した。
精巧な構造で地下に向かって伸びるこの興味深い遺跡は、どうやらかつて聖堂として利用されていたようだ。
劣化防止の魔法が施された陶器の数々は歴史的価値が非常に高いものだし、飾られている銅剣や彫刻も年季をまるで感じさせない。
現地の人々はこの不思議な遺跡を「ジュラルの聖堂跡」と呼んでいるようだ。
ジュラル、というのはかつてのこの地域一帯の地名に由来しているらしい。
また一つ、驚くべき世界の遺産を目にした私は満足げに今日の宿を探すことにした。
-約七百年に渡って綴られ続けている、ホビット族の高名な冒険家スウォルツ・ラード著作の「大陸紀行」より-
♦︎
「うっ」
「な、なんだこれ……」
地下四層に降り立った三人が目にしたのは、想像もしていなかった光景だった。
上層階に比べて狭く、そして簡素な内装に変わった通路。その床一面にどす黒い液体……恐らくは魔獣の体液がめちゃくちゃに飛び散っているのだ。壁にも至るところに腐敗しはじめている魔獣の死骸の肉片がこびりついていた。辺り一帯がそんな気分の悪い景色で満たされ、それがずっと続いている。
思わず三人ともが絶句した。何よりも臭いがひどい。実際には地下三階層の下降階段の近くに寄ってきた時点で、既に強烈な腐敗臭が漂ってきていた。
肉……それも魔獣の肉の腐った臭い。それを掃除する……もとい餌として食らう魔獣すらも死に絶えるか、あるいは逃げ出してしまったのだろう。そして恐らくそれは、何者かによって引き起こされたことだ。もしかしたら地下四層の魔獣はほとんど全て殺し尽くされてしまったのかもしれない。
残った魔獣がなるべく上の階層へと逃げ出した。だから地下一階層にあれだけの数の魔獣がいながら、地下三階層には全くその気配がなかったのか。
リアスは、辺りに充満する嫌な臭いに顔をしかめながらも、念入りな状況観察を怠らない。
魔獣は野獣と違い知能も高い。危険を察知すればなるべくその場から遠ざかろうという能もあるのだ。だが、もしそうだとすれば一体誰がこんなことをしたのだろう。下級であるとはいえ、魔獣である。これほどの血が流れるほどの数を殺せる者が、そうそういるのだろうか。
リアスは慎重に血溜まりの床に足を踏み込んだ。腐りかけた血溜まりに浸る、心地の悪い感触がブーツの靴底越しに足裏に伝わる。どうやら流れ出てから多少時間が経過しているようで、床の血溜まりは既に固形化し、粘っこくなっている。
それから鼻をつまみ、心底不快そうな顔をして言った。
「ひどいな。誰かは知らないけど、よくもまあここまでやってくれたよ」
先客の線は薄いかもしれない。人間がわざわざこんなことをするだろうか。それともよほどの強者なのだろうか。それも戦闘狂いの類か、あるいは因縁があるのかで、出会った魔獣は片っ端から殺して回っているとか。
しかし、それならば他の階層でもこのような惨状が見られるはずだろう。
リアスはこの酷く手際の悪い殺戮行為を行った者の正体について、そんな考察を重ねる。
「とにかく、先に進んでみよう」
彼女がそう言うと、レミルとアリアは揃って気が進まなそうに目を瞑った。
びちゃりびちゃりと、個体と液体のはざまのような、一面に広がるそれを踏みしめながら通路の中を歩く。異臭は奥に行くほど強くなり、それに連れて気のせいか、血の量や目に映る死骸の数が増えていくようだった。
やがて、進んでいく内に三人は二手に続く別れ道へとたどり着いた。両方ともに血の道は続いていたが、右方の道には更に上塗りするように、細く新しい血痕が奥へと辿っている。リアスはそれを見て、歩を止めると二人を振り向いた。
「ふむ、どうやら道が分かれているね。そしてこれをやらかしてくれた犯人かは分からないが、最近何者かがこっちに向かったみたいだよ」
と、右の道の方を指さす。
壁に飛び散った血のためにところどころの松明が消えていて、薄暗闇を果てしなく続いているように見える右の道の先を眺めて、アリアとレミルは息を呑んだ。リアスは二人の反応を伺いながら続ける。
「私はこの道を行ってみようと思う」
そんな風に告げると、その言葉の先に意識を向けるように、アリアがジーッとリアスの事を見つめてきた。彼女の今の心境を察して、リアスは困ったようにため息をつく。
「はあ。……二人は念のためだ、ここにいてほしい。ただし、私が戻るまでこの場を動くなよ?」
リアスが釘を刺しつつもそう言うと、アリアが露骨に、ほっと胸をなでおろす。一方、レミルの方は特に何を思った様子もなくそれに頷いた。
「分かった。けどリアスさんは大丈夫なのか?」
「あー、私は心配ないよ、ありがとね。んじゃ、とにかくここを動かないで待っていてくれ」
リアスは最後にもう一度そう忠告して、やれやれと再び足をあげると、粘つく床を踏みしめながら右側の道に向かって歩きだす。しばらくして彼女の姿は薄闇に包まれて見えなくなってしまった。
残された二人は、辺りに腰をかけることも出来ずにお互い目を合わせる。そしてその状況にアリアが目を細め、ぼそっと言った。
「こんな陰気な所で極悪党と二人きりとか、なかなか不安です」
「なっ! この若干気まずくて俺も我慢してる空間で、それ言うか!」
「そりゃあだって、本当のことですし。あ! 私がいくら可愛いからってその気にならないでくださいよ。第一級とか言って、実はそういう犯罪者だったりとかしたら心の底からごめんですから」
「なるか! 俺は変態オヤジかよ! 大体、万が一変な気を起こしてる間にリアスさんが帰ってきでもしたら俺がやばいだろ!」
「えー? でもなんか、そういうの気にしなさそうじゃないですか」
「するわ!!」
レミルはまたアリアに向かって歯をむく。それからふと気になったことに思い当たり、聞いてみることにした。
「ん、てかお前……」
「お前とか言わないでください。アリアです」
「え、ああ……。あー? アリアさ、なんでリアスさんと一緒にいるわけ?召使いかなんか? てか、そもそもリアスさんはなんで旅なんかしてるんだ?」
呼び方を訂正されて、少し戸惑いながらレミルがそう聞くと、アリアは胡散臭そうな目つきでこちらを睨んできた。レミルはすぐに、こいつに聞かなきゃよかったと思い、彼女から目を背ける。しかしアリアはずいっとレミルに向けて身を乗り出し、
「んんー?」
とわざとらしく間延びした声で聞き返してきた。それから、呆れたといわんばかりにため息をつくと、小馬鹿にしたような顔で首を振り、一言。
「そんなの、教えるわけないじゃないですか、あなたなんかに」
さいですよねー! とほとんど半ギレになりながら、レミルが顔をひきつらせて無理やりに微笑む。しかし追い打ちをかけるようにアリアは更に、
「しかも犯罪者だし」
「っだああああ、てめえー!」
うおー、とレミルがアリアに飛びかかろうとした。
「きゃあー! ほらやっぱりー!」
などとおちょくるような調子で面白そうに笑うアリアに向けてぐっと身を乗り出そうとした時、レミルはふと顔を上げる。それから目を左右に動かして、何かを探すようにキョロキョロと辺りを見回した。その様子を見てアリアがキョトンとして聞いてくる。
「ん、どうかしました?」
「いや……今どっかから人の声が聞こえたような」
「人の声?」
アリアは怪訝そうにそう聞き返して、自分も耳を済ませてみる。が、辺りは不気味な沈黙を保ったままで、当然何も聞こえない。
「気のせいじゃないですか?」
「ううん、多分そんなことないぜ。今も聞こえる。アリアには聞こえないのか、ほら。『こっちに来て!』って」
そう言いながら、レミルは左側の通路を指さした。いや、そんなの全然聞こえませんとアリアが大きく頭を振るが、レミルはふらふらと導かれるように左の道に向かって足を踏み出した。
「間違いないよ、絶対こっちから聞こえてる。誰かいるんだ、行ってみよう!」
レミルが確信を持ってそんな風に断言すると、アリアは何言ってるんだとばかりに顔をしかめる。
「いや、師匠に待ってろって言われたじゃないですか」
「でも人がいるかもしれないんだ、もしかしたら襲われてるのかも。リアスさんがいつ戻ってくるかわからないし、それからじゃ手遅れにならないとも限らない」
「え、えー、でもですね、そもそも私には何も聞こえませんし……」
「とにかく俺は行ってみようと思う。アリアはどうする」
「いや、行きませんよ、普通に」
アリアが即答すると、レミルはそれに頷き、そして自分だけで左の道に向かって躊躇なく歩きだした。アリアがその背中に不安そうに声をかけた。
「ちょっと、本気ですか!」
が、レミルは頑なに振り返らない。
「一人で行っても危ないですよ! 何がいても、どうなっても知りませんよ!」
「おう、もしリアスさんが戻ってきたら俺はこっちに行ったって伝えてくれ!」
人の気も知らずにレミルはどんどんと進んでいく。
「わ、私、絶対行きませんからねー!」
最後には言葉が木霊するだけで、最早レミルの背中も闇の中に消え、アリアは一人その場に取り残された。
未熟な魔法少女は途端に「うっ」とうなり、縋るように自分の手首のブレスレットを仕切りに擦りながら右側の道の奥に向かって、
「師匠、何やってるんですかぁ。早く戻ってきてくださいよ……」
とポツリと言ったが、その言葉にももちろん返事はなかった。
やがてすぐに痺れをきらし、もう一度だけリアスの背中が消えていった通路をもどかしそうに見た後、「も、もう!」などと言ってレミルの歩いて行った方に向かってそそくさと駆け出した。
すぐに後を追ったおかげで、ほどなくしてレミルの背中に追いついた。レミルは足音を聞いてアリアが自分の方に走ってきたのを確認すると、
「なんだ来たのか。待ってれば良かったのに」
「し、心配だからついてきてあげたんです」
杖を構えてコホンと咳払いなどしながら言うアリアに「どーも」と適当に返し、レミルは再び前を見つめる。と、やがてほの暗い通路の向こうにぼんやりと何かが浮かび上がってきた。
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