第四話 ランクA-4

 四方を建物の壁に覆われ、その隙間に出来たいくつもの細い通路に繋がっているちょっとした広場に出ると、レミルは辺りを見やる。


 普段は街の不良か、あるいは酔っ払いかなんかが溜まってるのだろうが、今日に限って言えば人の姿はない。床の隅には読み捨てられた新聞や、近場の売店で売られているサンドイッチの包み紙などのゴミが散らばっていた。


 向こう側の通路からはさっきの男たちが出てきて、へへっといかつい笑みをくれる。わっぱのガキだと思って甘く見られてるらしい、レミルにとっては実に気に入らないことだった。


「悪ぃがてめえを討ち取って名を上げさせてもらうぜ」


 彼らは物騒なセリフを口にしながら、荒削りの棍棒やら粗野な斧やら、あまり楽に痛めつけてくれなさそうな武器を握ってジリジリと詰め寄ってきた。だが、ちょうど数メートルほど距離を取った位置で立ち止まり、レミルの周りを半円を描くようにして散らばった。


 まるで、前方の逃げ場を無くしているかのような布陣だ。


 その形が出来上がったのを確認して、先ほど先頭に立っていた男がニヤリと笑い、レミルの方を向きながら言った。


「やれ!」


 それはレミルに向かって放たれた言葉ではなかった。今しもレミルの背後へと忍び寄って来ていた、もう一人の男へのものだ。


 その男は言葉と同時に、無防備に自分に対して背を向けるレミルめがけて、手に持ったひのきの棒を振りおろす。風切り音がレミルの後頭部を狙った。


 一瞬の出来事だった。確かに無防備だったはずのレミルが身を捌くように体制を横に逸らし、そのまま右足を振り子に振り向くと、相手が得物を握っている方の手首を掴んだ。


 入り組んだ裏路地を利用することで、多数で目立つ囮となり、一人をあらかじめ標的の背後に隠れさせておく。そうやってまんまと背中を向ける相手に後ろから殴りかかり、囮の側は前方を囲うようにして陣取ることで、万が一交わされたとしても四方から襲いかかる事が出来るという寸法のようだ。


 背後から襲ってきた男は最初から見かけない顔だったので、元々何らかの奇襲用にどこかに忍ばせていたのだろう。つまり、奇襲それはこいつらのお得意芸らしい。ということは……。


 ――こいつら、素の腕っ節はそこまででもないな!



 レミルは不意打ちを受け止めると、予想外のことに動揺を見せる相手のレバーに掌打を食らわせる。向こうの意識が揺らいだところで、手首と腹を抱えた体制で腰を軸にして後ろの方へと放り投げた。


 ブン、と大の男の体が空中で見事な弧を描き、半円陣形を取っていた男たちの方へと投げ出される。


 そのザマを見て、思わず男たちがしばし閉口した。


 が、すぐに「おのれぇ!」などと叫びながら半ばがむしゃらに挑みかかってくる。どうやら、この作戦が失敗したのははじめての事のようだ。どうせ今まで、安全な獲物しか狙ってこなかったのだろう。彼らは今日初めて、自分たちの身の丈に合わない標的に手を出してしまったのだ。


 ガラにもなく無理しようとするからだよ、とレミルは心の中で呟き、向かってくる五人の荒くれを見据えた。


 まず、やけに切れ味の悪そうなボロ斧を持った二人が、レミルに向かってそれを振りかぶる。片方が横薙ぎ、他方が縦振りで十字にレミルを屠ろうとした。レミルはそれに対して的確に斜めに体を傾けると、そのまま上半身を低くさげ、横薙ぎの斧をかわしながら片足を振り上げる。そして真上から振り下ろされた方の斧のフェリールの辺りを蹴りあげた。


「ぬわっ」


 斧が相手の手元を離れて宙を舞う。レミルはその間にもう片方の男の手首を掴んで捻りあげ、手からこぼれ落ちた斧をキャッチ。そちらの男は、ついでに背負い投げで路地の壁に叩きつけてやった。


 続けてレミルは、唖然とするもう一方に対して、奪い取った斧をクルクルと器用に弄びながら向ける。


 相手が「待ってくれ」なんてムシのいいことを言う前にそれを構えると、情けない首元めがけて打ち払った。切れ味が悪いとはいえ、こんな物で思い切り殴られようものならそれこそ、首の骨の二本や三本は軽く逝ってしまうだろう。


 短く悲鳴が漏れ、勢い良く振り払われた斧が首元ギリギリのところで静止する。が、どうやらそこまで意識が持たなかったらしく、相手は失禁しようかという具合の表情で白目を向き、気を失った。


 レミルがそれを見てつまらなそうに斧を投げ捨てる。と、息を吐く間もなく、次に棍棒と木製ハンマー持ちの二人、加えて先程から周りに指示を出していた親分格の男が、ナイフを振り回しながら、同時に向かってくる。


 まず一振り目の棍棒は斜め上段から、続く二振り目の木槌がまっすぐ横に、最後に親分格のナイフの突きと言った具合に、三人がかりでレミルの姿を追うようにして武器を薙ぐ。ところが、全くもって不思議なことに、レミルはどれも涼しそうな顔をして体を捌き、かわしてしまうのだ。まるで風か何かを相手にしているように、彼らの武器は空を切っていた。


 レミルは苦もなくそれらの攻撃を回避してみせると、クルリと綺麗に回転しながら大木槌を持った一人の背中に周りこむ。そのままヒタリと背と背で張り付くと、後ろ手に相手の太い腰を掴んだ。


 それと同時に、レミルの動きを追っていたもう一人の男が、そのがむしゃらな勢いのまま棍棒を薙ごうとした。レミルに捕まえられた方は慌てて、


「ちょっ! 待っ、待って!」


 なんて制止をかけようとするが、どうやら今更止める事もできないらしく、既に目と鼻の先にまで荒作りな木製の鈍器が迫って来ている。


 男が「ヒイイ!」と背筋を凍らせて目を瞑るのと同時に、レミルが、


「せーの!」


 と息を合わせるような掛け声と共に腰を曲げて、震え上がっている男の体を背負い上げた。すると、まるで計ったかのようにぴったりのタイミングで、背負い上げられた男の足が、今しも襲いかからんとしている棍棒男の腹、更に勢い余って顎を打つ。


 不意の衝撃に襲われて棍棒男の方が白目を向くのと同時に、レミルはくるりと体を半回転させた。背負われていた木槌男は、遠心力によってオモチャのように投げ出され、よろめく棍棒男に激突し、その場で二人仲良くお昼寝と洒落込む形になった。


 最後に間髪入れず、レミルは、自分の動きを目で追いきることすらできていないリーダー格の男の懐に飛び込む。それに気づいて慌ててナイフを振るう相手の手を取ると、グイッと捻りあげてやった。


「ぐぅあっ!?」


 悲痛な声が上がり、男が武器を落とす。割と強めに捻ってやったので、向こうしばらくはまともに武器を持つことも出来ないだろう。


「あっぐぃ!」


 顔を歪めて自分の右手首を抑える男に、レミルは止めに軽い裏拳でこめかみの辺りを打った。一撃の下に男は意識を手放し、宙を舞って倒れ伏すと、もう起き上がって来ることはなかった。



 レミルは、時間にしてみれば数分と経たない僅か短時間の間に、見事に六人の男たちを気絶させると、パンパンと手を叩く。そして、最後に難儀そうにため息をついた。


「はあ、本当にツイてねえ」



 ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー



「す……すご」


 闘いにもならない闘いが終わると、その様子を眺めていたアリアが思わず声を漏らした。


 一緒に立っていたリアスも驚き半分と言った調子で少し笑むと、何事もなかったかのように平然とこちらに戻ってくるレミルに声をかける。


「や、すごいね君。思った以上にやるじゃない」


「伊達に極悪党してませんねー」


 他人事だと思って好き勝手言いいやがるアリアには歯を向きつつも、レミルは肩をすくめた。


「このくらいはな。少し前なんて茶飯事だったし」


 リアスはその言葉に「へえ」と興味深そうに頷く。顎に手を当てて、人を値踏みするような調子だ。


「気になるな。君のそれ、ただの喧嘩殺法かい? それとも誰かに教わって?」


「うん、まあそんなところだよ。と言っても、思いつく限りでは元々からやけに身体がよく動くタイプだったんだけど」


 あまり愉快そうではない調子でレミルは答える。その言いようから察するにどうやら、彼に武術を教えた人物というのがいるらしい。


 リアスは益々この少年の事情に興味を持ち、腕を組んだ。


「君、結構面白いかもね」


 不吉に笑いながら人の気も知らずにそんな事を言うリアスだったが、レミルにとっては何も面白い話などない。そんなリアスに、アリアは呆れたように嘆息し、もしもーしと話題を変える。


「そんなことよりどうすんですか、遺跡のゴーレムの件」


「ん? ああ、あれね。そりゃあもちろん……」


 リアスは答えながら、目をキラキラと輝かせ、グッと拳を握った。それを見て、アリアが察したようにうっげーと顔をひきつらせて目を細める。


「受けるに決まってるさ。謎と言われたら私も引き下がれないしね」


 リアスは腰に手を当てて、白い歯を見せて笑いながらそう言った。


 レミルはそんなリアスに対して、何を思ったかヒョイと手を挙げて、気まずそうに口を開いた。


「あーそう言う事ならさ、もし良かったらなんだけど……出来れば俺も連れてってもらえないかな。よしみで」


 一瞬、その言葉に二人が驚いたように彼を見る。どうやらその視線にはそれぞれ別の感情が込められていたようで、レミルが「あ、やっぱいいです」と取り消そうする前に、まずはアリアが応えようとした。


「よ、よかったらって。あのですね、私達は別に遊びに行くわけじゃないんですよ? ギルドの依頼ったって、一応列記とした公務なんですからそんな簡単に……」


 が、すぐさま隣のリアスに口を塞がれ、モゴモゴと遮られる。


 そして今度はそのリアスが聞いてきた。


「また唐突だね。一体どうしていきなり?」


 リアスの問いかけに、レミルは若干目を逸らしながら、答え難そうに口を曲げた。


「いや、この街でちょっと目立ちすぎちゃったかな、と。ギルドにもいくらか目をつけてきた連中がいるみたいだし。だからあんまり街中をウロウロしていたくないんだ」


 それに、とレミルは今朝まで仕切りに鳴らしていたお腹の辺りを摩るような仕草をしてから小声で続ける。


「その、ちょっとした手持ちも必要だし」


「はっは~ん」


 すると、レミルの言い分を聞いていたアリアが、早速自分の口を塞いでいた鬱陶しいリアスの手を払いのけ、意地悪そうに笑った。


「つまりこういうことですか? 街でブラブラしてると危ないし明日のご飯代が必要だから仕事に同伴させて、ついでにその報酬も分けてください、って?」


 やけに悪意のこもったような言い方にレミルは若干気分を害し「むっ」と口を尖らせたが、間違ってはいない、とそれを肯定する。


「ま、端的に言えばそうなる、かな」


 アリアは短い返事を聞いて「そう言う事ですか~」などと頷きながら、大して面白くもないくせにハハハッと乾いた笑い声をあげた。そしてそれからすぐにしかめっ面になって噛み付くように言う。


「って、なにが『そうなるかな』ですか! 何か勘違いされているようですけど、私達はボランティアでこんな事をやってるわけじゃ……!」


 そこまで言ったアリアの口が、またもリアスの手によって塞がれた。が、それでもとにかく何か言い続けたかったらしく、彼女はその掌の中でもひたすらにモゴモゴとさえずっていた。


 レミルはアリアのやかましい抗議に対して、虫を払うように手を振る。


「そんな事は分かってるって。ちゃんと相応の働きはするよ。さっきも言ったけど、これでも腕は立つんだ」


 そう言って、ほのめかすように向こうで伸びている連中の方に流し目をやった。リアスはもの言いたげな弟子の方を見て苦笑しながら、レミルに答える。


「まあ君の言いたい事はわかる。けれど、私達の受けようとしてるのは難易度Aランクの依頼だ。ただの人間を相手にするのとはわけが違うよ?」


 先ほどは随分と楽観的に受注を決めた割には、そう語るリアスの言い分は慎重だった。


「うっ……まあそれは確かに」


 レミルは肩をすくめて少し弱気になる。もちろん彼はギルドライセンスなど持っていないし、記憶にある限りでギルドの仕事として依頼を請け負ったことなどもない。Aランクがどうとか、そういうのはよくわからないのであまり自信が無いのだ。


「でも魔獣くらいならやれるぜ。これまでだって何度も襲われたんだ。オーガ族の男数人相手に取っ組み合いをしたことだってある」


 リアスはそれを聞いて、主にオーガの男との取っ組み合いというところに顔をひきつらせ、


「そ、それはまたなかなか、過激だね……」


 などと言う。そしてすぐにまたすました顔に戻ると、自分の言い分についての説明を始めた。


「一口に魔獣と言っても色々ある。そのランクによって強さも凶暴さも様々だよ。ヘルハウンドやコボルトを倒したくらいではゴーレムとは戦えない」


「ランク……か」


「そう。知らないかな、魔獣には危険度や被害度に応じて幾つかのランク分けがされている。コボルトならEランク、トロルや雄のヘルハウンドならDランクといった風にね」


 ランク。


 それは、三百年前にこの世界に突如として現れた魔獣という存在に対して、各国の統治機関とギルドが合同で、その脅威や及ぼす被害、及び単純な強さに応じて分類した種別である。大分類としてアドバンスド、上級、下級の三つに、更に詳しくは上から順にEX、S超、S、A、B、C、D、E、Fの九つのランクに分けられる。


 Fランクであれば危険度はほとんどなく、野獣と大差のないレベルであるが、ランクが上がるに連れて警戒レベルは増し、ランクAでは一流ハンターに討伐が依頼され、ランクS超級ともなれば一国の軍隊でも太刀打ちできないほどである。


 ちなみに今のところ最高クラスとされるEXランクの魔獣は、もはや人知の及ばない天災と同等とみなされ、現在までにそれに該当するものは四種しか確認されていない。


「へえ、わざわざそんなことをしてあるんだな」


 レミルは頷きながら顎に手を当てる。


「俺が倒したのは確か……」


 かつて屠った魔獣の名を思い出すように宙を見上げながらポツリと呟く。


「……ニーズへッグ」


「……!」


 彼がその単語を呟いた途端、リアスとアリアの瞳が見開いた。


「ニーズへッグ……?」


「ああ、確かそんな名前だった」


 リアスが眉をひそめる。


「君、一人で倒したのかい?」


「仲間なんていないからな」


 軽い調子で言うレミルに対して、リアスは大した事だというふうに真面目な表情で言った。


「ニーズへッグは魔竜種、分類上はA超級……いや、Sランクに引けを取らないレベルの魔獣のはずだ。それを一人で倒したというのなら……」


 そこまで言ってから、ガシリとレミルの手を握ってくる。


「すごいことだよ! にわかには信じられない!」


 またも目をキラキラと危なく光らせてそんな言葉を口にするリアス。レミルは戸惑ったようにぎこちない笑みを浮かべた。


「そ、そう?」


「ああ、そうさ。それなら私に同行しようが何しようが当然君の自由だよ!」


「な!」


 軽率すぎるリアスにアリアが声をあげる。


「ち、ちょっと! それとこれとは全然別じゃないですか! そもそも、ニーズへッグを一人で倒したなんて本当なんですか? 証拠は?」


 胡散臭そうに睨みをくれるアリアに向かってレミルは「はあ?」と呆れたような表情を浮かべた。


「あるわけないだろそんなもの。というか俺がそんなせこい嘘つくかよ」


「なにを偉そうに! 証拠もないのにそんな突拍子もない話を……!」


 そこでまたリアスが彼女の言葉を遮る。


「ま、ま、ま。そこまで言うなら是非お手並みを拝見させてもらおうじゃないか。何より、君には色々と秘密がありそうだしね」


 爛々と表情を輝かせるリアスは最後に「ただし」と付け加えた。


「もちろんのことだけど、安全は保証できないよ?」


 表情とは裏腹に本気の忠告を滲ませた声音に、レミルは目を背ける。


「わかってるよ、そんなこと」

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