第三話 出会いの街-1
現行ステラ歴307年。
大陸ハイニウムにも長く続いた戦乱の時代が過ぎ去り、ひと時の隙間のような平穏が訪れた二期五国時代(後進国や戦争によって著しく国力を低下させた国々への委任統治、開発援助を名目として名だたる五大国が台頭した時代)。
しかし、まるでその停戦と平安の時代を抜け目なく狙っていたかのように、大陸に遍く脅威「魔獣」が歴史上に類を見ないほどの大増殖を起こしてから、まだ日は浅かった。
長引いた戦乱と、その反動によって起こった武装放棄によって国力の低下を招いていた国々の中には、魔獣の脅威に対抗する事ができず滅亡していったものも少なくない。
ひと時の安穏すら脅かされた人々はやがて、「星導教会」と呼ばれる新興宗教の神の教えに傾き、虚構と空想に生きることを国則として是とする大国も現れたはじめた。世界全体が一つの大きな流れに傾倒し始めていたのだ。
これは、そんな大陸の一節である激動の時代の物語。
♦︎
賑やかな街通りまで夜通し駆け抜けたレミルは、昨日から何も食べていない空腹でヘトヘトになりながら、フラフラと街道脇の壁にもたれかかった。
ここ二日ほど、彼は持ち金の無さのためにまともな食事にさえありついていなかったのだ。おかげで空腹のあまり体力はすぐに底を尽きるし、昨日なんかちょっとした運動アクティブをしてしまった為に若干意識が朦朧としていたりする。
――とにかく何か口に入れないと。
レミルはそう思い、ちょうど目についた酒場に向かってよろめきながら歩き出す。そして、酒とパンの匂いに鼻をヒクつかせながら酒場の扉に手をかけようとしたとき、同時に中から出てきた人物と鉢合わせになった。
「おっと」
出てきた相手は声を漏らして、「っとと」と二、三歩後ずさる。それから軽く低頭してレミルに詫びてきた。
「失礼した。どこかぶつかっただろう……ん?」
見れば、相手は酒場に似つかわしくないほど秀麗な容貌の人物だった。
流れるように肩先まで伸びる長く美しい金髪に、澄み渡るように青くて大きな瞳。大理石のように白く、同時に少し紅をさしたように血色の良い頬。更には真っ直ぐ通った鼻筋に、ふっくらとした淡いピンク色の唇という不気味なほどに整った顔立ちをしている。
身長は案外高く、男としては決して背の高い方ではないレミルに近いか、もしかすると彼より大きいかもしれない。その容姿にはいささか物騒にも思える、おそらく革製の鎧を身にまとい、腰にはしっかりと(しかし代わった鍔の形をした剣を)滞剣していた。
その姿から思い浮かばれるのは、どこかの貴族家か、あるいはその血族の騎士か。
とにかく、普段ではなかなかにお目にかかることのできないような美人だったわけだ。
そんな凛々しい女性は、今しも鉢合わせたレミルの顔をまじまじと見つめ、少し怪訝そうな顔をしていた。それからついには腕組みまでしはじめ、首を傾げる。
「すまないが、どこかで会ったことがあったかな?」
相手はそう聞いてきた。レミルは相手の姿を見ながらも、残念ながら思い当たる節はない。こんな美しい(ながらも少し風変わりな)女性に出会って、綺麗さっぱり忘れていますというのもないだろう。レミルは首を振って答えようとした。
「グギュル~」
が、代わりにそれに答えたのは、品格の無い彼のお腹の方だった。女性はその音を聞いて少し目を丸めた後、クスリと悪戯な笑みを浮かべる。
「どうやら、満たされていないご様子だな」
そう言って、女性は親指で酒場の中の一角にある空いているテーブルを親指で指した。
「どうかな、君のランチにちょっと付き合わせてくれないか? もちろん代金は私が持とう」
「君、名前は?」
女性は、自分の奢りで振舞った肉とビールをがっつくようにして食べるレミルの様子を興味深そうに眺めながら聞いた。なかなか可愛らしい容姿には無頓着に、彼は貪るようにして無心に久々のご馳走にありついていた。
レミルは聞かれると、骨付き肉を食いちぎろうとする姿勢のまま顔をあげ、女性と目を合わせる。
「一応レミル……って名乗ってるけど」
「一応?」
女性は曖昧な表現に眉を潜めて、更に聞いた。レミルは頬張った大きな肉片をゴクリと飲み込むと、口の周りをペロリとやってから頷いた。
「ん。な~んというか、よく分かんなくて。自分がどこの誰なのかとか、そこんところが」
普通ならばかなり気負うような内容の事を、レミルは大して気にした様子もなく言ってのける。よっぽどの器量持ちか、ただ呑気なのかリアスには測りかねた。
「良く分からない……記憶がないのか?」
「うーん、そう言う事になる? 気がついたらほんと、宛もなく大陸を歩き回ってて、そんでさ……」
レミルは自分の境遇を説明しようとしながら、途中で言葉を途切る。それから、うーんと腕を組んで考え込んだ。
女性は先を促すように首を傾げる。
「それから?」
「あー、いや……とにかく、その時に持っていたものがこれなんだけど」
そう言って、レミルはボロボロな上衣の内側から何かを取り出した。
「これは?」
女性はレミルの手のひらに包まれたそれを覗き込みながら聞く。そこには随分年季が入り、汚れて色褪せた銀色の小さな塊があった。レミルは首をかしげながら頭をかいて。
「えと、よくは覚えてないんだけど、多分俺の持ち物だと思う。で、この中にほら」
彼はカチッと、その塊の脇を挟むように押す。と、それがパカリと割れるように開いた。どうやらロケットになっているようで、中には何も入っていなかったが、煤けたように古い文字が掘られていた。目を凝らして見ると、どうやらそこには大陸の共通言語で「レミル」と綴られているようだ。
「俺さ、これを見たときに自分でも驚くくらいしっくり来ちゃって。だから、良くは分からないけど、一応この名前で名乗ることにしてるわけ」
「ふーん、なるほどね……」
女性は腕を組んでそれに頷く。
「気がついたら記憶が無かったなんて、不思議な話だな。それで、君は自分がどこの誰なのか分からず、旅をしている、と?」
「ああ。他にすることもなかったっていうのもあるし……それに世界を旅して回っていれば、いつか自分が誰なのかを思い出すことも出来るかな、って思って」
「なるほど、じゃあ私と一緒かな」
女性は唐突に、そんなことを言ってどこか嬉しそうに頷く。レミルは思わず首を傾げた。
「一緒?」
「ああ。……おっと、自己紹介が遅れたな。私はリアシオン、リアスと呼んでくれ。これでも以前はかなり名のある騎士だった者だ。最も、今ではそんな身分はほとんど意味なくなってしまっているがね」
リアスと名乗った彼女は苦笑しながらそう言う。そして、少しだけ視線を落とした。
「実は私も、何をすればいいのか分からないんだ。ずっとな」
「分からないって……でもどうしてさ? 騎士様なら国を守るという立派な任務があるんじゃ?」
レミルがそう聞くと、リアスは「ああ」と少し気恥ずかしげに笑う。
「恥ずかしい話だが、守るべき主君から追放された身でね。だからこうして流浪に身を落としているんだよ。自分がこれから何に仕え、何を守って生きればいいのか、それまで不器用に生きてきた私には分からなかった」
そして、目を細めながら遠くを見るように呟いた。
「一つだけ夢と呼べる物もあるが、それも余り宛にならなくてね。だからこうやって旅をしていれば自分のすべき事も分かるかもと、そう思ったんだ。君と同じと言ったのはそういう訳さ」
「なるほど……結構苦労してきたってこと?」
どこかセンチメンタルな彼女の物言いに、なんと声をかければいいのかよく分からなくなって、レミルはそんな事を言う。それに対してリアスはハッとして、両手を振った。
「あ、すまない。勝手に自分の話なんてはじめてしまって。今のは忘れてくれていいんだ」
そう言いながら、視線を膝に落とす。レミルはそれに対しては「いや」と首を振りながら、ロケットをパチンと閉じるとポケットにしまい直した。
リアスはそれをちらりと見ながら。
「しかし、君を見たような覚えがあったのは勘違いだったかな」
それに対しては遺憾なことに、レミルも分からないとしか言いようがなかった。なにせ彼の記憶はあまり宛になるものではない。少なくとも覚えている限りでは、という条件つきで、彼はリアスの事は見知らなかった。
もちろんリアスが、自分の過去を知っているというのならば彼にとってはこの上なくありがたいのだが。
「こっちには覚えはないけど……」
「ふーん、そうか……しかしなるほど、宛のない旅……か」
リアスはレミルの顔を覗きながら考え込むように唸る。
と、そんな時だった。
突如、蹴散らすように音を立てて大荒げに酒場の扉が開き、そこから一人の少女が堂々と入ってきた。
そしてその少女は入口に仁王立ちしてツーっと酒場を一通り眺めると、こちらを見るなり指さして、
「あーっ! またこんな所に!」
などと声をあげてきたのだ。
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