第二話 流浪の女騎士-2


 リアスの言葉に、アリアが思わず振り返る。そして。


「……!」


 驚いたことに、いま彼女が口にした事がそのまま現実に起こったかのように、二人はいつの間にか雄のヘルハウンド達の群れに囲まれていたのだ。雌よりは小型であるものの、それでも頭まで入れると低い人間の身長に近いほどの大きさを持つ魔狼達が、ざっと見ても十頭以上、彼女たちの周りに集まってきていた。


 魔獣。


 はるか三百年前、大陸中を巻き込んだ「聖戦」の終戦と共に、その傷跡も冷めやらぬハイニウム全土に突如として現れ、そして至るところに住み着いた凶悪な獣達はこのように名付けられた。


 現在までに数百種が確認されてる魔獣達の中には、かつて伝承の時代に神々や魔王が使役したとされる存在の特徴を備える個体も確認されている。その正体については突然変異種か、或いは異界の存在なのではないかという憶測すら飛び交っていた。


 いずれにせよ魔獣は田畑を荒らし、人里を襲う。戦争によるそれとは全く違った形で無慈悲に人々を飲み込み、壊滅させていくのだ。


 掃討するにも、突如として現れたとは思えないほどに数が多い。その上、通常の野獣とは比べ物にならないほど強力、凶暴であり、未だに有用な手立てが打てていないのだ。


 そして現在、僅か六年前に停戦を迎えた大戦争「大陸百年戦争」の終戦と共に、魔獣は再び勢力を増し、その数を急激に増やしていた。人の力、国の力が弱り、世界の均衡が乱れたこの時代を狙うかのようにして。この恐るべき種族の脅威は歴史上においても今、正に趨勢を誇っていたのだ。


 彼らがどこから現れ、何故人々に害をなすのか、その答えは不明だった。分かっているのは、彼らには全くの意思疎通がかなわず、ほとんど本能的に人に仇なす存在なのだということだけだ。だからこそ、そんな魔獣を討伐するために大陸諸国が共同で対策を練っているのだった。



 アリアはズラリと雁首を揃えて居並ぶ魔狼の群れを目にして、思わず、


「ちょっ! 気づいていたならなんで教えてくれなかったんですか!!」


 とリアスに向かって本気で抗議の声をあげた。リアスは凛々しい顔で狼たちを馬上から見下ろしながら笑む。


「『そっちは』って言ってやっただろ」


「そういう意地悪じゃなくてもっと分かり易いように教えてください!」


 それから狼たちに向き直り。


「あーもう! とにかくこれ、なんとかしないと!」


 焦ったようにそう言ってからサッと手を構えると、突然何処からともなく、メイスのような木製の棒を取り出して魔狼達に向けた。


 ヘルハウンド達は向けられた武器に一瞬警戒心を示したが、すぐにお互いにアイコンタクトを取り合うと、低く唸り声をあげながらジリジリと、二人に向かって距離を詰めてきた。血走ったような赤い瞳が二人を睨みつけている。


 アリアはキリッと歯を結ぶと、メイスを握る手に力を込めながら、何やらブツブツと理解不能な言語を唱え出した。その言語は本来、普通の人間には聞き取ることの出来ない「ルーン」と呼ばれる魔法語で、アリアのように魔法、魔導に携わった人間のみが操ることの出来る言葉だった。


 と、アリアの口ずさむルーンの詩が文字として、まるでホログラムのように空中に現れ、揺蕩たゆたいはじめる。そしてそれは、メイスの先端部分を中心にして収束をはじめ、同時に高密度のエネルギーが産声をあげ始めた。


 今しもアリアの前で顕現しているのは「魔法」と呼ばれる大陸古来の技術であった。


 最初はその様子を興味深そうに眺めていたリアスだったが、彼女の詠唱を聞いている内に眉を潜め出し、浮かび上がるルーンに怪訝の色を示した。


 ヘルハウンド達はその様子に身をかがめ、仕切りに威嚇するような仕草を見せる。群れのリーダーと思われる頭頂の毛を禿げ上がらせた個体が各方に指示を出しながら足踏みをしていた。


 そうこうしている内にアリアの詠唱が終わり、彼女はメイスを高く頭上へと掲げた。十分すぎる程に蓄えられたエネルギーが膨張を抑えきれず、光の粒子となってパチパチと弾けている。


「さあ、喰らいなさい魔獣たち! ファイアーストー……」


「待ったー!!」


 アリアが今まさに、最後の口上とともに第三級の火炎魔法を放とうかという時だった。リアスが声をあげて片手を振るい、アリアを制止する。


 すると、途端にメイスの先端に集まったエネルギーが強制的に発散を促され、みるみる内にしぼみ、消失していった。自らが召喚した火炎球が瞬く間にちっぽけな蛍火へとかわり、そのままパッとはじけて消えてしまう様を見て、アリアが思わず目を丸める。


「ち、ちょっと何するんですか、師匠!」


 あたかもふざけるなと言わんばかりに食ってかかろうというアリアに対し、リアスは人差し指で周囲を囲うようになぞった。


「ば、馬鹿! こんな所で高級火炎魔法を使う奴があるか! 周りをよく見ろ周りを!」


「……あ」


 リアスに言われて、アリアはそう言えば、という表情で固まり、辺りをゆっくりと見回した。そう、彼女たちの周りは一面深い緑に包まれた景色。こんな所で景気よく火災旋風なんて起こしてみようものならどうなるか。


 いくら未熟な魔導少女と言えども、その様子は想像に難くなかったようだ。


「グルル……」


 突然、警戒するべきエネルギーの消失を感じ取り、ヘルハウンド達は一旦姿勢を解くと、改めて二人に狙いをすました。


「あっ、ほら、ほら、師匠が余計なことするから!」


「むっ」


 今にも飛びかかろうかという魔狼達の様子に、リアスも意識を向ける。


 刹那。好戦的な一匹が口火を切るかのように二人にめがけて飛びかかった。


 鋭い牙をのぞかせながら大きく口を開き、目には残忍な光を照りつかせながら、数メートルの距離をもひと跳びに飛んだのだ。


 恐らくまずはリアスを狙ったのだろう。馬上に構える彼女の首筋をめがけて、まさにそのヘルハウンドは食いかかろうとしていた。


 しかし。


「ギャイン!!」


 突然、脇から何者かに吹き飛ばされて、悲鳴をあげながらその一匹は吹き飛んだ。圧縮された空気の塊、風の中級魔法「ナックルウィンド」を無防備な脇腹に食らったためだ。


 見れば、今しがたその大気球とヘルハウンドが激突した辺りに向けて、アリアがメイスを構えている。どうやら彼女がその魔法を行使したのであろうことがわかった。


 しかし彼女は今、ルーンの詠唱を行うこともなく、一瞬の内にその魔法を完成させた。人間は通常、魔法語という異界の言語を用いなければ、魔法という外法を使うことは出来ないはずであるのにも関わらず、だ。


「おっ、さっそく「ジーン」を使ったのか」


 リアスがそんな彼女を見て、驚くでもなく言う。対して、アリアは不機嫌そうに目を細めてぶつくさ言った。


「これ、使うといつも以上に疲れるから嫌なんですよね」


 ジーン。


 魔法の中では異端として扱われ、百年戦争以前には第二級の禁術にも指定されていたものだった。ジーンとは「精霊」を指す言葉であり、この魔法はその意味の通り、世界に満ちるあらゆる元素、言わば魔法のエネルギーの源のマナと呼ばれる物質の担い手である「四大精霊」に直接働きかける力がある。そして精霊の力を借り受けて一定の時間、ルーンの詠唱なしに魔法を行使することを可能とするのだ。


 だが、その便利で強力な効果の分、代償もかなり大きい。特に、無制限に体内の魔力を消費し続け、魔力量の多い上級の魔導師でもなければ死の危険性もあるというデメリットから、百年戦争以前には禁術に指定されていた。


 しかし、大戦渦中の実戦の中では、ルーンの詠唱などというまどろっこしい工程を踏まなければならない魔法の意義が疑問視され、そのために再び使用することを許可、というよりも戦場で強制されたのだ。そして実は、それにより多くの魔法使い達が大戦中に使い捨ての駒として扱われたという問題もあったのだった。


「ガルル!」


 突如、吹き飛ばされた同胞の姿を見て、ヘルハウンド達は一斉にいきり立ちはじめた。リーダーの個体は歯茎を見せながら憎々しげに顎を二、三度こちらに振り、手下をけしかける。それと同時に今度は、四匹が四方から同時にアリアに向かって踊りかかった。


「さーて、ちゃっちゃとやっちゃいますか」

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