第二話 流浪の女騎士-1


 「魔法」という言葉はほとんど、この大陸の文明と同じくらいの古い歴史を持つ。ざっと数千年を数えるほどの遥か昔に、大陸に住む八つの種族の内、ヒューマンとエルフの二種族が協力し、魔族と呼ばれる神々の召喚に成功した。彼らは現界した魔族にあらゆる教えを乞い、その最たる収穫として、忌むべき偉大なる技法を教わったのだという。


 その力によって大陸には、これまでにない大いなる発展と文明がもたらされた。ヒューマンは主にそれらの力を重工業と武力のために、エルフは医療と自然調和のために用いて今日の世界を形作ったと言われている。人は魔法によって人を殺すことを覚え、人を癒す術を学び、物を動かし、歴史を記録し、言葉に力を与えた。


 やがて、この素晴らしく便利で、同時に恐るべき技術に関して幾星霜いくせいそう、重ねられた研究と発展の末に、そのエネルギーの源であるマナについての根源的な理解が普及し、魔法は皆さんのよく知る現在の形へと完成した。


 世界を構成する元素に由来する六つの属性、火炎、流水、大地、烈風、光輝、暗黒を基本とした、組み合わせのパターンが体系化されたのだ。これがおよそ七百年前のことである。同時に、魔法の難易度、術式の複雑さ、そして得られる実利を総合してつけられた、魔法の位階も定められることとなった。


 第一級から第七級までの魔法の内、皆さんにとっても親しみ深いものは精々、第四級のものくらいまでだろう。皆さんがもし将来、自身の真摯な研鑽の果てに第三級の魔法を扱えるようになったとしたら、それは大変立派な所業であり、大路の真ん中でその事を声高らかに自慢したくなったとしても無理はないことだろう。


 しかし忘れてはいけない。現代ではかなり数を減らしたとは言え、マナに愛された真のウィザードの中には、昨今ではほとんどおとぎ話の中の存在になりつつある第二級以上の魔法を扱うことができる者もまだ、確かに存在しているのだということを。


 -メルキセド国家指定教科書『はじめての魔法学』より-


 ♦︎



「なかなか着きませんね」


 ハイニウム大陸南部の大国「風追いの国」デルクラシアの北東に広がる、広大なヨルム大森林の内部、普段ならば決して人の通らないような鬱蒼とした深緑の世界に二人の人影があった。


 一人は見事なほどに漆黒の猛々しい馬に跨り、肩先まで流れるように美しい金髪を伸ばした女性だった。瞳は平民階級には持ち合わせのない、大空をそのまま映し出しているかのような青色で、鼻筋も整った凛々しい顔立ちをしていた。


 一方でそれには似つかわしくないような、革製のライトメイル(防御力はそこまで高くなさそうではあるが)を身につけていることが、彼女の容姿の何よりも目に止まるポイントだろう。また女性としては背が高く、腰には一振りの長剣、それも柄頭に禍々しい紫色の「断魔石」と呼ばれる、祓魔の力を宿した希少な宝石をはめ込んだ、通常のロングソードとは少し異なった趣きのものをさしていたりする。


 馬の方は馬の方で、立派な威風に恥じない堂々とした目つきもさることながら、女とはいえアーマーを身にまとった人間一人、それに鞍に備え付けられたありったけの荷物を運びながら、全く応えた様子すら見せていない。


 そしてもう一人、その馬を引きながら必死にコンパスとにらめっこをしている少女が脇にいた。年齢は十代後半程だろうか。茶のセミロングのボブヘアに、黒いローブを腰のあたりにベルトで締め、履いているのは長い茶色のブーツという、極めて露出の少ない格好。


 顔は大陸には珍しいルビー色の瞳をたたえ、表情にはまだ年相応のあどけなさを残していて、ただどことなく勝気な性格を思わせる強い目力を持っていた。どちらかと言えば男受けしそうな、麗人というよりは素朴で可愛らしい外見である。


 しかし何よりも目を引くのは、露出の少ないこの少女の至る所に伺える装飾品の数々だった。


 耳には沢山のイヤリング、両手の指には全て、それぞれ色の違う宝石のついた指輪をはめ、手首にはブレスレットから数珠のような物までいくつもの腕飾りが、ジャラジャラと無造作につけられていた。また、首には紫と赤と黒のチョーカーに、髪には沢山のブローチやヘアピンまで、極端な程に小物で飾り付けている。


 そもそもが彼女の外見の雰囲気とマッチしていないということもあり、もしこれをお洒落のつもりで身につけているのなら大分センスがない、と多くの人は思うことだろう。


 馬上の女性は、コンパスと辺りの木々とを交互に見つめながら、「うーん」とうなるような声を出す少女に向かって言う。


「と言うよりは、完全に迷ってないかこれ……」


 ヨルム大森林と言えば、旅人からも恐れられる魔の森である。その広大さは何より、大国の領土内にありながらも人の手がほとんど行き届いていないため、凶悪な原棲生物「魔獣」達の格好の住処なのだ。深奥部にはそれらが群れをなして潜んでいるということもあって、普通の人間が近づく事は少ない。


 うっかり足を踏み入れたりしようものなら、怪我をしない内に引き返そうという者がほとんどだ。


 そして、本来タブーとされるそんなダンジョン内にのこのこと入り込んだ挙句、呑気に迷ったなどと洒落こんでいる二人組がいるわけだが。


「け、けどですねぇ。このコンパスの通りに進めばそろそろ森を抜けられる筈なんですけどねぇ……」


 少女の方は、頭を抱えながらそんなことを言う。彼女らは今、森の一番浅くなっている部分を南側から入り、北側から抜けるというルートでデルクラシア北西の大都市「商業と出会いの街」アルカーンを目指していた。上手く行けば半日とかからないくらいの距離にあるのだが、森に入ってから早数時間、一向にその終わりにたどり着く気配がない。


 少女は髪の毛をかきながら、自分たちの現状に顔をしかめる。その様子を見て女性はため息をついた。


「多少遠回りになるとは言え、やっぱり交通料を払って大人しく公道を行った方が良かったんじゃ……」


「なっ! 何を言ってるんですか、ダメですよそんなの! 遠回りな上にお金もかかるなんていい事ないじゃないですか! 大体、なんです! そもそも南側から入ったんですから真っ直ぐ進めば森の北の端に出るんですよ!」


「けどこれ、本当に北に進めてるのかねえ」


 信用のならないコンパスを胡散臭そうに眺めながら、女性は肩をすくめて呟く。


 この女性、名をリアシオン・リッツォーノ、通称リアスと言った。かつては別の名を冠して、この世界で知らぬものはいないほどの高名な騎士だったものだ。といっても、今では当時の名を捨て、とある目的のために世界を放浪する旅を続けている。


 六年前に終戦を見た大陸百年戦争後期にも、弱冠十二才という若さで参戦し、一騎当千の力を振るったとの伝説を持つ。


 そしてもう一人の少女。こちらはアリアという名で、出自は平民であるため性はない。出生の由来が分からない魔法使いの少女であり、かつて、旅の途中のリアスと出会い、彼女に見込まれることで弟子として旅の供をする事になったのだった。


 付け加えて最後に、リアスが跨っているこの黒馬。軍馬の名門である「竪琴の国」ジャルビン公国に生まれた、ミリスという名を持つ強靭な肉体に恵まれた名馬だ。並の乗り手では彼女を操る事は出来ず、あまりの猛々しさと漆黒の外見、そしてその誕生の逸話から「邪竜の生まれ変わり」とされていた。優秀な軍馬を好むジャルビン貴族達からも忌み嫌われていた所を、リアスが見事に手なずけて引き取ったものだった。


「大丈夫大丈夫、そのうち終わりが見えてきますって」


 吹き飛ばすように楽観的にそんなことを言うアリアに、リアスは困ったように苦笑いする。


 ミリスがそんなタイミングでいちゃもんをつけるように「ブルルッ」と鼻を鳴らしたりしたが、アリアはてんでお構いなしだ。


「それより気をつけてくださいよ。この森、ある所では魔の森なんて言われてて、魔獣がウジャウジャ潜んでるんですから。進むにしたって細心の注意を払って……」


 アリアはそこで言葉をとぎらせる。それからミリスを止めると注意深く視線を細めて、前方の木々の隙間の方を睨んだ。そして小さく漏らす。


「……って、早速いますね」


「ああ、いるな。そっちは二匹ってところか?」


 リアスは大して驚いた様子もなく頷く。二人の目には、生え茂る木々の隙間の向こうに体高優に二メートルもあろうかという巨大で赤黒い体毛の狼が二匹。低く喉を鳴らして周囲を警戒している様がしっかりと映っていた。距離にして二百メートルばかりか。


「ええ、それもヘルハウンドですね。狡猾な奴らですよ。大型の雌が少数で風上に立って獲物の気をひきつけている間に反対側から敏捷な雄達が忍び寄るんです。獲物は気づい時には取り囲まれていて為すすべなしって寸法ですよ」


「へえ、こんな風にか? 上手いもんだな」


「え?」

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