8月2日②

 そんなことを話していると、二人は目的地にたどり着いた。

 並んでいる店と同じく瓦葺きの木造建築だったが、他の店が軒先を広く開いて商売をしているのに対し、普通の民家のようにドアが設置されていた。

 そんな外観を見て、彗は不思議そうに尋ねる。


「ここ、お店なの? 看板とか表札とか何もないけど……」

「ああ」


 そう言うと、薫は躊躇することもなくドアを開いた。


「ええっ! 大丈夫!? ここ誰かのお家なんじゃないの?」

「大丈夫だって、ほら」


 おっかなびっくりしている彗をよそに薫は建物の中に足を踏み入れる。

 その様子を見て、彗もおそるおそるついていくことにした。

 ドアをくぐった先は、広い三和土の空間になっていて、三和土の端には地下へと続く階段が確認できた。そして、その傍らには小さな黒板の立て看板が設置されていた。

 彗はその看板に書かれた白い文字を読み取る。


「ええと、喫茶・リシチトン? ここ、喫茶店なんだ……」

「そうだよ。じゃ、行こうぜ」


 慣れたように階段を下っていく薫に彗はついていく。

 階段を下っていくと、薄暗い空間がオレンジの照明にやさしく照らされている様子が見えてきた。

 内装は全体的に落ち着いた雰囲気だった。レンガの壁も、木張りの床も、ダークな色合いでまとめられていて、シックさを演出していた。

 階段を下りた先にあるカウンター席は五席ほど、テーブル席は六卓がある程度余裕を持って設置されるくらいの広さだった。

 店の奥には、段差があり、その上にドラムが置かれている。その空間は、小さなステージのようになっていた。

 二人の存在に気づいた、カウンターに立つ店主らしき無骨な男が声を掛けてくる。


「いらっしゃい。……って、薫じゃねえか、久しぶりだな」

「久しぶり、オッサン」

「てめー、俺のことはマスターと呼べと言ってるだろうが。ん? そっちの嬢ちゃんは?」

「はじめましてー。私、かおくんの従姉で、千条彗といいます。よろしくお願いします!」


 彗は微笑みながら挨拶を済ますと、丁寧に頭を下げた。


「彗か。俺は、坂本ってんだ。ここではマスターと呼んでくれ。……まあとりあえず、その辺座れよ」


 言いながら、坂本はカウンターに視線をやる。二人はその言葉に従い、席に着いた。


「二人とも、コーヒーでいいか」


 薫と彗は互いの顔を見合わせて、お互い頷いた。その様子を見た坂本は、用意を始める。

 店内に流れるジャズの音を聞きながら、彗は薫に話しかけた。


「かおくんのオススメだけあって良い雰囲気だねえ、なんか落ち着くな」

「オッサンの接客がもう少し丁寧ならいいんだけどな」

「聞こえてんぞ、クソガキ」

「そういうとこだよ」


 彗は、薫と坂本の応酬に苦笑しつつ、店の奥にあるドラムを指し示した。


「そういえばマスター、どうしてドラムがあるんですか?」

「ああ、俺バンドやっててな。たまにここで演奏してんだ」

「へえ、そうなんですね~」

「そこにいるクソガキもたまに弾いてるよ」


 坂本はテキパキと手を動かしながら、薫の方に視線をやった。


「え、かおくんバンドやってるの!?」

「いや別にどこかに所属してるってわけじゃないけど……。ただ、たまにオッサンのとこで弾いたりはする」

「そうなんだー、すごいね! かおくんは何の楽器?」

「ベース」

「ふーん、演奏してるとこ見たいなあ」

「地味だぞ」

「ううん、かおくんカッコいいから、きっと絵になるよ」


 カウンターに頬杖をついた彗が、上目遣いで薫に微笑みかける。


「はあ? ……つーか、音を聞け音を」


 彗の様子に一瞬ドキリとした薫だったが、なんとか平静を装った。

 二人の会話をよそにカウンターの奥からコーヒーカップが差し出される。


「ほらよ、お二人さん。あ、砂糖とミルクいるか?」

「私は大丈夫です」

「! ……俺もいらねえ」


 その言葉を聞いた坂本は怪訝そうな表情で薫を見る。


「ああ? 薫、おめーいつもは……」

「うるせえ、いらないったらいらないんだよ」

「……はーん。まあ、そうやって男を上げるのもいいんじゃねえか」


 坂本はクックッと喉を鳴らして笑う。

 彗は二人のやり取りを特に気にすることなく、コーヒーカップを持ち上げた。


「わあ、良い香り……。いただきます」


 彗はコーヒーの香りを楽しんだ後、口に含む。


「はあ。おいしい」


 目を閉じて、ため息をつきながらリラックスした様子の横顔を見た薫は、意を決したようにコーヒーカップを口に寄せる。


「……っ」


 口に含んだコーヒーの味は想像以上に苦くて、薫は思わず顔をしかめてしまう。その反応を感づかれないように、顔を下げた。


「……うまいな」

「だねー。あれ、かおくんどうしたの? 具合悪い?」

「いや、なんでもない」


 薫の様子を見ていた坂本は相変わらず堪えるように笑っていた。


「そうだ薫、今度仲間とまた演奏しようって話になってるんだが、お前もやろうぜ」

「いいけど、いつやんの?」

「今度夏祭りあるだろ、あの辺りでやろうと思ってるんだが」


 夏祭りというワードを聞いた彗は興味津々といった様子で尋ねる。


「夏祭り! 楽しそー、いつやるんですか?」

「今度の十三日からだ。美河の夏祭りは例年三日間開催だから、演奏はそのうちのどこかでやろうと考えてる」

「わかった、まあぼちぼち練習しとくわ」

「ああ、よろしくな」


 その時、彗のお腹が豪快に鳴った。


「あっ、あの、これは違くて……!」


 赤面する彗をよそに、坂本は特に気にした風もなく声を掛ける。


「別に恥ずかしがることねえだろ。昼飯まだならなんか食ってけよ」

「おごりか?」


 すかさず薫が尋ねる。


「お前がそのコーヒー飲みきれたらな」

「ちっ……。あ、いや、まあ余裕だけど」


 ニタニタ頬を歪める坂本を一瞬恨みがましく思った彗だったが、自分のメンツを守るために、ぐいと一飲みした。

 その後、提供されたナポリタンを食べた後、二人は店を出た。

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