8月2日①


 カーテンの開く音ともに、薄暗い部屋に日の光が射しこむ。


「かおくん、起きて」

「んー……」


 薫は、眩しさから隠れるように枕に顔をうずめる。


「もう」


 彗は薫のだらしない様子に呆れると、その耳元に顔を近づけた。


「かおくん……」


 囁かれる甘い声。耳にかかる吐息がこそばゆく感じられる。


「耳の穴から指突っ込んで、奥歯ガタガタいわしたるぞ」

「!?」


 その酷くドスの利いた声への転調に驚いた薫は、反射的に飛び起きた。


「あ、起きた」

「なんだ今の」


 まだ寝ぼけ眼の薫は、ベッドの傍らにしゃがみ込んでいる彗の姿を確認する。


「あ? 彗? なんでここに」

「朝ごはんできたから起こしに来たんだよー」


 彗はその場ですくっと立ち上がると、そのままドアの方に向かう。


「ほら、早く支度して降りてきなよ? じゃないと、かおくんの分まで私が食べちゃうから」


 そう言い残すと、パタンとドアを閉めて階段を下りて行った。


「……」


 なんだかよく分からなかったが、いつまでもベッドの上に膝立ちで呆けている自分が間抜けに思えてきた薫は、とりあえず彗に言われた通り身支度を整えることにした。

 顔を洗ってからリビングに向かうと、彗と美奈子がすでに食事を始めていた。


「あ、かおくんおはよー」

「おはよ」


 こちらに気が付いた彗と挨拶を交わす。その様子を見ていた美奈子は、うんざりした調子で薫に声を掛ける。


「あんた夏休みだからってもう少しシャキッとしなさいよ」

「へいへい」


 薫は美奈子の小言を軽く流すと、自分も朝食をとるために席に着いた。


「そういえばかおくん、今日は空いてる?」


 納豆をかき混ぜていると、隣に座る彗が話しかけてきた。


「ああ、空いてる。というか夏休み中は特に何の予定もないな」

「そうなんだ、よかった。じゃあさ、今日も町を案内して欲しいんだけど」


 安堵した表情を見せた彗は、自らの希望を提案する。


「えぇー……」


 リビングに流れるテレビを見ると、天気予報士が今日も真夏日になることを告げていた。そんな中を練り歩くのも気が引ける。


「昨日見た商店街の方が気になってさー。かおくん、オススメのお店紹介してくれるって言ってたし」

「あー……」


 薫は昨日の会話を振り返り、そういえばそんなこと言ったなと思い当たった。

 最近顔を出していなかったし、久しぶりに行ってみるのもいいかもしれないと思った薫は、渋々といった様子で了承する。


「しゃーなし。行くか」

「わーい」


 嬉しそうに喜ぶ彗を横目に、薫は白飯を掻き込んだ。


 家から歩いて十分ほど経過した頃。

 薫と彗は『四時参道』と彫られた石碑の前に立っていた。


「だいたいここから商店街って感じかな」

「おー、結構人いるね」

「まあ、家の周りとは比べ物にならんわな」


 まっすぐ伸びる石畳の道。その両脇に瓦葺きの古めかしい木造建築が立ち並んでいる。

 少し錆びたホーロー看板が立つその軒先は、商品の品定めをしている人や、店主と値下げ交渉をしている人の姿で活気に溢れていた。


「暑いし、とりあえず店行くか」

「うん!」


 二人は商店街に足を踏み入れた。少し歩いたところで、明るく柔らかな声が掛けられる。


「あら、薫ちゃん。彼女連れてデート?」


 赤々として重量感のある肉が並べられたショーケースの奥で、パーマが特徴的なおばさんが二人の方を見ながらニコニコ笑っていた。


「彼女じゃねーよ」

「照れなくてもいいのよ!」


 ダメだこいつ話を聞く気がない、と薫が思っていると、彗が前に名乗り出た。


「こんにちはー! 私、かおくんの従姉で千条彗っていいます。しばらくかおくんの家で過ごすことになったので、この商店街を案内してもらってるんですよー」

「あら、そうだったの。じゃあこれからよろしくね彗ちゃん。あ、お近づきの印にこのコロッケあげるから持っていきなさい」

「え! いいんですか!?」

「いいのいいの。ほら薫ちゃんも」


 そう言っておばさんは、紙に包まれたコロッケを二人に差し出す。


「サンキューおばちゃん」

「サンキューです! ……ぱくっ。……おいひい」


 さっそくコロッケを一口食べた彗は、たちまち幸せそうな表情を見せた。その様子を見ておばさんも笑う。


「そう言ってくれるなら嬉しいねえ。またおいで」

「ぜひ!」


 コロッケを食べ終わった二人は再び歩き出した。


「お肉屋のおばさん、めっちゃいい人だねー」

「まあ、そうだな」


 主婦たちが、道端でかしましく井戸端会議に興じている横を通り過ぎていく。

 おにごっこをしている様子の子どもたちが、二人の方めがけて走ってきたかと思えば、脇を通り過ぎてそのままどこかに行ってしまった。


「なんか江戸時代みたい」

「やっぱ、都会と比べると古臭い街だなって感じか?」

「あ、ううん。そういう意味じゃなくて。ただやっぱり、知らなかったからさ。こういう場所があるんだーっていうか」

「イマイチ要領を得ない」

「うーん。距離、かな。ここはすごく皆が近い。うん。私は好きだな」


 やっぱり釈然としない彗の感想を特に気にも留めず、薫は適当に返す。


「なんかあんまよく分かんないけど、好きならよかったな」

「うん!」

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