8月1日③
駅を出て歩くこと数分。周りの景色を見た彗は、はしゃいだ様子で感想を言った。
「すっっっごく、田んぼだね!!」
二人の目の前には、見渡す限りの田園風景が広がっている。
「なんでそんなテンション高いの」
「だってさー、こんなに天気のいい日に、こんなに穏やかでのどかな自然を見たら、あぁ夏だなー、とか思わない?」
「まあ、夏だし」
「違うよ! そうじゃないよ! なんていうか情緒というか趣深さというか、そういうものを私は感じているのだよ」
「ふーん?」
目の前の景色は薫にとって別段面白みのない風景だったが、彗の目には惹かれるものがあるらしかった。
「あっちにはこんな場所なかったからさ。遮るものが何もなくて、心を空にして全てと繋がれそうな感じ? あはは、なんだか私も言っててよく分からないかも」
楽しそうに笑いながら歩く彗。その視線が別の方向に向けられる。
「あ、でも、あっちの方は結構建物が並んでるね」
そう言って、彗がその方向を指差す。
「あぁ、あそこには商店街とかあるんだ」
そういえば彗がこの町のことを知りたいと言っていたのを薫は思い出した。ちょうど良い機会なので美河町の概要を説明してやるかと思う。
「駅からずっと北に行くと神社があるんだけど、その参道に昔からの名残でわりかしいろんな店が軒を連ねてる」
「へー、面白そうだねえ。今度オススメのお店紹介してね」
「……いいけど。で、この美河町は基本的にこの参道を軸に東西に二分される。東は見ての通り田んぼ。西は住宅街になってる。なんか東側の方が古くて、西側の方が比較的最近開発された感じらしい。まあ、どっちも俺が物心ついた時には今の感じだったからその辺の歴史はよく分からないけど」
「そういうのって、東西で仲が悪いとかありがちな話だよね」
「余所ではあるかもしれないけど、ここはそういう確執めいた感じはないな。俺も普通にあっちに住んでる友達いるし」
「あっ、薫くんの友達興味あるなぁ~。今度紹介してね」
話が噛み合っているんだかいないんだか分からない受け答えだなと思っていると、彗が何か呟きだした。
「かおるくん……かおるくん……」
「?」
「かおくん!」
「うわっ」
何か呟きだしたと思ったら、今度は突然大声を上げる彗に、薫は驚く。
「なに急に叫んでんだよ」
「ピンときちゃった! これから、かおくんね」
「はあ?」
「だから、君のことこれからかおくんって呼ぶから。よろしく」
彗の唐突な宣告に薫は面食らってしまう。
「いやいや、なんだそのナヨナヨした呼び方。勘弁してくれ」
「えー? 格好いいよ! こう、かおーって感じで」
「お前、結構フィーリングで話すクセあるな」
「まあ文句は受け付けないんだけどね。お姉さん特権です」
得意気に胸を張る彗。
「お姉さんて……」
そう言われて薫は、彗の歳をまだ知らないことに気が付いた。
「え、お前何歳?」
「あれ、もしかして知らなかった? 私十七だよ。つまり君の二個上」
「マジか」
出会ってから、はしゃいでいる彗の姿ばかり目に付いていたせいか、年下あるいは同い年くらいだと思っていた。
薫の反応が可笑しかったのか、彗はクスクス笑う。
「年下のくせにちょっと生意気で可愛いなあとか思ってたら、そういうことだったんだね」
「なんだよ、急に上からになりやがって。二年なんて誤差だろ」
彗が年上と判明したからといって、薫としては特に態度を改める気はなかった。
「えー、二年は結構大きいでしょー。あ、お姉ちゃんって呼んでもいいよ」
「誰が呼ぶか」
彗の提案を、薫はぶっききらぼうに拒否した。
そんなこんなで歩を進めていた二人はやがて家に着く。広大な水田の風景にポツポツと見える住宅の一つが薫の家だった。
ごつごつとした石の塀や、脇の庭へと続く道に植えられた小さな松の木が、薫の祖母の代に建てられた時から続く、歴史を示している。
落ち着いたベージュの外壁と、瓦葺きの屋根が特徴的だった。
「素敵なお家だね」
「そうかな」
薫が玄関の引き戸を引くとガラガラと音が鳴った。
「ただいま」
「ただいまですー!」
二人の声を聞きつけた美奈子が廊下の奥から玄関に向かってくる。
「おかえり、どうだった彗ちゃん?」
美奈子が尋ねると彗は嬉しそうに言った。
「すっっっごく、田んぼでした!!」
その勢いに呆気にとられた美奈子だったが、やがて陽気に笑いだす。
「あはは! まあ、この辺なんて田んぼくらいしかないからねえ」
「私、ここの景色すごく好きです!」
「そりゃよかった。さっ、ついてきて。彗ちゃんの部屋に案内するわ」
美奈子が先に行くと、彗がその後ろをトテトテついていく。
玄関からまっすぐ伸びる廊下の突き当たりにある、亡くなった薫の祖母が使っていた部屋が彗に用意されていた。
薫は部屋に向かう二人を見やると、二階にある自分の部屋に戻るために、廊下の途中にある階段を上った。階下からは彗と美奈子の騒々しい声が聞こえてくる。
「あいつ、本当に今日からここに住むんだな」
その喧噪から、新しい住人の存在が実感を伴って感じられるような気がした。
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