1章 There's something about the summer sky
8月1日①
「あー、死にてぇ~……」
それは、
美河町は今日も今日とて、うだるような暑さだ。太陽の光は脳髄を溶かし、青く広がる空は体を圧し潰すように、薫には感じられた。
そんな中、薫が外出しているのは、今日から和倉家で過ごすことになる新人を出迎えるためだった。
木造の、こじんまりとした駅の改札前で待ち人を待っていると、隣に立っていた薫の母親である美奈子がうんざりしたようにため息を吐いた。
「ちょっと、もうすぐ彗ちゃん来るんだから、その陰鬱そうな顔どうにかしなさいよ」
「陰鬱にもならあ」
薫とて、生まれてから十五年間この美河町で暮らしてきたのだから、ただ暑いだけでここまで気分も落ちない。
「こんな格好させられればな」
黄色いアロハシャツにオレンジ色の短パン。蛍光色代表と言わんばかりの服装に身を包む薫は、その不機嫌そうな表情を除けば、有り体に言って南国にいる愉快な人という出で立ちだった。
「あら、似合ってるわよ? 特にそのメガネとか」
極めつけの2000年メガネである。誰もが新世紀の到来に熱狂していた時代、美奈子も例に漏れず悪ノリして購入した負の遺産が、時を超えて薫の耳に装着されていた。
「オレ、シッテル。コレ、ジンケンシンガイ」
「何が人権侵害よ。あんなに成績悪かったんだから報いを受けるのは当然でしょ」
中学三年生の夏休み前。終業式で薫がもらった通信簿はお世辞にも褒められた成績ではなかった。
「だからって、何でこんな格好させられなきゃならんのだ」
「だって
「生贄て」
「アロハ~とかなんとか言って盛り上げんのよ」
「なぜにハワイ?」
「ほら、海とかあるじゃない」
美河町は基本的に観光資源に乏しいが、この季節は駅に面して広がる海に海水浴に訪れる人がちらほらいる。
「まぁ、ハワイほどキレイなもんでもないけどな」
「あんた、ハワイなんて行ったことないでしょうが」
「……」
「言っとくけど、知ったかぶりほどダサいもんないからね。あー、ウチの息子マジだせえ~」
「うぜ~」
軽口を叩き合っていると、美奈子の携帯から着信音が鳴った。
「あ、もう着くって」
そう言うと、美奈子はおもむろに段ボールでできた看板を取り出した。看板には、
『ようこそ☆美河へ! WELCOME KEI!!』
と、書かれている。
目を輝かせて明らかにワクワクしだした母親を横目に、薫はなんだかなと思った。
彗は薫の母方の従姉らしいが、薫は彗との面識はない。
なんでも美奈子の話によると、彗は肺の病気だとかで、都会よりも空気の良い美河町で療養するために和倉家に来るとのことだった。
その話を聞いて、薫はなんとなく昔ドラマで見たような、薄命の儚げな少女を想像していた。一日中白いベッドに横たわる少女は、物言わぬ人形のように窓から見える景色をただ眺めている……。そんな感じだ。
改札越しに電車が駅のホームに到着する様子が見えた。
ガラガラとキャリーバッグを転がす音と共に人影が近づいてくる。
白くヒラヒラとしたレースのワンピースと小さな麦わら帽子。長く伸びる黒髪、透き通る白い肌、スラリとした痩身の少女。
薫は、事前にイメージした通りの儚げな美しさを少女から感じ取っていた。
「彗ちゃん! こっちこっち」
美奈子が段ボール看板を掲げながら声を掛ける。
その声に気づいた少女が黒い髪を揺らしながら薫たちの方に振り向いた。
その動作一つとっても、この田舎町にそぐわないような可憐さを感じた薫は、柄にもなく緊張する。
瞬間。
「……っくく。あはははは!!」
儚げな少女が大笑いしていた。
「何そのメガネ! おっかし~」
「彗ちゃん、見て!」
そして美奈子はすかさずといった様子でメガネについていたボタンを押す。
『Let’s Party!』
愉快な電子音声とともに、黄色いメガネのフレームがピカピカ光り始めた。
「あはははははは!! やばい! 面白すぎ~!」
「ほら、アロハーって言いなさいよ」
「言わねーよバカ!」
こうして、薫が彗に勝手に抱いていたイメージは脆くも崩れ去り、薫の人権もまた崩壊したのであった。
「……死にてぇ」
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