幕間
時を同じくして。
塔都神宮砦の最奥。かつては天皇を祭神として奉っていた神社があったと言われて久しい庭園では、寿命数千年の神木と見紛うほどの大樹が野天に向かってその枝葉を伸ばし、月光を受けて数多の夜露を滴らせていた。その背丈はゆうに五十メートルを越え、年を通して新緑を実らせるその奇跡と神々しさから、神宮砦の住民にとっては礼拝の対象ともなっている。
そして、その大樹の根元には大樹を挟んで対になるように二つの建物があった。
一つは黄金の鐘が吊され、一部の者のみ立入りが許された聖堂。
もう一つは、大樹の恩恵を賜るために天井を取っ払った礼拝堂。
そこに、白装束を血で染めた二十あまりの集団が平服していた。
頭を垂れるその先、円形の壇の上では一人の青年が大樹に祈りを捧げている。
「――神託である」
青年は腰元まで伸ばした銀髪を緩く結い、その天辺に月桂樹でできた冠を被っていた。平服する集団と同じ白装束を身に纏いながらも、その背に施された瀟洒な刺繍から、塔都理想教会の意志を束ねる存在であることが窺える。
「この周期を以て、機は完熟する。理想郷への道は開かれ、新たなる創世が紡がれる」
謳うように紡がれる言葉。
その声は清らかでありながら、他者の心を引きつける妖艶さを滲ませる。
まさに神託の代弁者。
その声に心を掌握され、理想教会へ入信した者は数知れない。
「……理想郷への道を握るは、はじまりの人間の遺伝子。あるいはその力を有する者だ。これを我らが手中にしなければならない」
訥々と告げられる神託を、白装束らは微動だにせず拝聴する。
……否。
恐れ戦き、けれど反駁する道がないがゆえに絶望していた。
「今宵、神託は新たに下された。このアポロが、ここに新たな神託を告げる。だが、その前に――」
祈りを捧げていた青年――アポロが、閉じていた双眸を開いた。
白銀の髪の隙間から覗く薄青色に宿る感情を排し、抑揚のない声音で告げる。
「はじまりの人間の回収という使命を受けながら、我々は一縷の成果もなせず夜を迎えた。理想郷へ至るために、原罪を洗い流し続ける必要がある。彼女であれば血の一滴で足りたのだが……分かっているだろう?」
返事はない。否定もない。
指の一本さへ動かせない白装束どもは、生唾を飲み込むことがせいぜいだ。
「二十。それが今宵、神木へ捧げなければならない数だ」
「……昼間、私たちが殺めた同士の血では、駄目……なのですか?」
震えるような声音で白装束の一人がそう漏らした。
「愚問だな」
泣き腫らしたような女の声に、アポロは憐れみの目を向ける。
「彼らは聖抜に選ばれた。創世を刮目する使命を負い、理想郷へと出立した。現世に二度と戻れぬ定めを躊躇うことなく受け入れた。この地獄にしがみついた
アポロが右手を振り上げた。
「……お許しをっ。必ずや、使命を果たしますゆえ、いま一度、寛大なる大赦を――」
「懇願に意味はなく、価値はない。そしてまた、神託に慈悲もない。神木の贄となれ」
《神能発動:ギリシャ神話――アポロン――
平伏していた白装束たちが、一瞬のうちに絶命した。
最期の瞬間まで、如何なる現象によってその心臓を貫かれたのか理解もできないまま。
大樹の根が張り巡る大地へ広がりはじめる紅を睥睨しながら、アポロは遺骸に向けて再び不可視の弓矢を放った。五体がちぎれ、そこかしこに臓腑が散らばる。
尊厳を踏みにじる非道だが、この場に彼を批難できるものなどただの一人も存在しない。
大樹の注ぐ血を大地に吸わせたところで、アポロは再び円形の壇へと戻った。
そこへ。
「…………首尾はどうだい、アポロ」
鈴のように凛と響く声がして。
大樹の向こう側から現れた人影に、アポロは無意識のうちに傅いた。
「此度は申し訳ございません。神託のとおり同胞へ命じましたが、例の少女を取り逃がしました」
「……そう、か」
中性的な声に、喜怒哀楽のなにも宿らない。
月光と見紛うほどの白髪を煌めかせ、死人のように白い肌を夜の月の下に晒す若者は、
いましがたアポロが処理した白装束らに紅玉色の瞳を向けた。
「急ぐ必要はない。居場所は判明しているのだろう?」
「……例のよろず屋に匿われているようです。明日にはすぐに――」
「急ぐ必要はない、そう言ったよ」
「……っ、これは出過ぎた真似を。申し訳ありません、レフィクール様」
「分かっているのならいいんだ」
男も女も等しく虜にしてしまう微笑を浮かべてレフィクールは続ける。
「いまは自由にさせておけ。禁断の果実が熟れるころにすべてが整っていればいい。そもそも、私たちの同胞にあの二人組を相手取る力などありはしない。すでに種は撒かれているのだから、神託の示すとおりに手筈を進めるよ」
「……この不手際は遅からず始末をつけましょう。レフィクール様の手を煩わせるつもりは毛頭ございません」
「結果が伴えば、過程などすべては些事だ」
「なんとも寛大な御心、恐縮の至りでございます」
レフィクールは神木に咲き誇る白い花を仰ぎ見る。
「……して、アポロよ。彼を出迎える準備はできているか?」
「ええ。こちらは予定どおりに。すでに彼らも算段を立てている頃合いでしょう」
「ならばいい。気兼ねなく迎え入れてやれ」
「……仰せの通りに。では、僕はこの死骸の始末をしますゆえ」
「……私はしばらくここで瞑想をしていくことにするよ」
「承知しました。それでは、また明日に」
《神能発動:ギリシャ神話――アポロン――金糸の傀儡》
アポロが指揮者のように両手を振るうと、腕や臓腑を欠損した死骸たちが一斉に起き上がり、幽鬼のような足取りで礼拝堂から散っていく。やがて失血死した遺体として、神宮砦内部で人知れず処理されるだろう。
すでに使命を果たし尽くした有機物に用途はない。蛆や蝿の餌になるのがせいぜいだ。
アポロが去り、静まりかえった礼拝堂で、レフィクールは瞑想を終えた。
そして、その口元を歪ませた。
「終末はまもなく成就する。聖抜が完了すれば、理想郷の創世に必要となる因子はすべて揃う。悲願まで、あと少しだ……くくっ、くはははははははははははははっ!!」
セカイには、もう彼女はいない 辻野深由 @jank
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。セカイには、もう彼女はいないの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます